タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

猿田彦(さるたひこ)

2022年12月03日 | 徒然なるままに

女房が「たまにはBROOKS以外のコーヒーもいいんじゃない?」「面白い名前のコーヒーがあったのよ」と、スーパーからドリップコーヒーのティーバッグタイプのやつを買ってきました。これです。

猿田彦(SARUTAHIKO)コーヒーです。なんと!使っている豆はコスタリカ産ですと。W杯で日本を破ったコスタリカから、海を渡ってはるばるコーヒー豆がやってきているんですね。猿田彦珈琲は、東京恵比寿のコーヒー屋さんだそうです。

そんなことより、この「猿田彦」のネーミングです。この文字を見て手塚治虫の「火の鳥」を思い浮かべた方は、かなりの手塚通ですね。猿田彦は手塚治虫のライフワークであった「火の鳥」に、時を越えて頻繁に登場するキャラクターです。時代によっては「猿田」だったり「猿田彦」だったりします。

この鼻の大きい男性のキャラが猿田彦です。鉄腕アトムで言うなら”お茶の水博士”系の容姿です。猿田(猿田彦)というキャラクターは、様々な時代が描かれている「火の鳥」全編に登場しています。

3世紀頃の日本(倭)を描いた火の鳥の黎明編では、卑弥呼に使える兵士の猿田彦として登場し、西暦3404年頃の宇宙や地球の地下都市を描いた未来編では、地上のドームで寂しく暮らしていた猿田博士として登場します。さらに宇宙飛行士として登場したり、乱世編では鞍馬山の天狗として描かれていたり、とにかく猿田彦は「火の鳥」全編を通して重要なキャラクターとして登場するのです。

「火の鳥」全編を通して共通しているのは、ある時代の猿田彦が犯した罪により、どの時代でも「顔は永久に醜く、子孫(先祖も)まで罪の刻印が刻まれる」という罰を受けるのが、この猿田彦だということです。

ボクが「火の鳥」を読んだのはおそらく中学生の頃からだと思うのですが、この猿田(猿田彦)の名を見たときに、「あれ?これって知ってる!」って思った記憶があります。

今もわが家の敷地内にある「猿田彦大神」の石碑です(なぜかわが家の石碑は「大神」ではなくよく見ると「太神」ですけどね)。「庚申塔(こうしんとう)」の石碑と並んで建てられています。ボクの記憶(曾祖母か祖父から聞いた話)では、少なくともわが家の曾祖母の時代以前からわが家に祀られていたようです。

曾祖母はボクが小学校1年生の時に95歳(たぶん)で大往生しましたから、1870年頃の生まれ。江戸時代から明治になって直後に生まれた年代です。ってことは、この猿田彦の石碑は少なくとも明治初期からわが家に祀られていたことになります。

猿田彦 は日本書紀の瓊々杵命(ニニギ→天照大神の孫?)の天孫降臨のときに、道案内をした国津神(あまつかみ→神々の総称)です。「猿田彦大神」は、「庚申(こうしん)信仰」(十干十二支の組合せの一つで、60日または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる信仰行事)とともに祀られるパターンが多いのだそうです(わが家もまさにそうです)。庚申の申はサルであることから、猿田彦に繋がってくるわけですね。

江戸時代から明治時代になると、廃仏毀釈とか「神道」重視の時代になります。お寺だって潰される時代ですから、路傍の庚申供養塔も「処分」されそうになるんですね。慌てた民衆は、サルを猿田彦のサルにこじつけて、さらに、神社の境内に運び込んで、道教と仏教由来のこの石碑を、神道のものとして残したらしいです。その石碑がなぜかわが家に残っているというわけなんですよ。

「猿田彦コーヒー」から手塚治虫の「火の鳥」、そして「猿田彦の石碑」と、いろいろボクの妄想にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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