3日前のブログ記事で、わが家が「仏壇じまい」を行ったことを記しました。その時に仏壇の抽斗(ひきだし)中から出てきた「すごいモノ」、今日はその話題です。まぁ「すごいモノ」なんて言うと、「お宝か?」って期待感が高まるかもしれませんが、残念ながらそっち系ではありません(笑)。
出てきたのは和紙で綴じられた虫食いだらけの冊子で、表紙には「家譜」と記されていました。そうなんです。これはわが家の先祖代々の家系図を克明に記したものでした。
ページ同士がくっついているところもあり、破損しないように気をつけながら開いていくと、そこには細かい文字(しかも筆文字)で、克明にわが家の歴史が記されていました。
まずは、わが家の初代が本家から独立したのは、寛政8年(1796年)であることがわかりました。1796年というと、杉田玄白や伊能忠敬らが活躍した時代ですかね?
上の画像のページは、4代目の頃の家系図です。「四女」とか「五女」とかの記載から、「やっぱり当時は子だくさんだったんだな」とか「八百政家は女系家族だった時代があったんだな」とかわかります。生後まもなく亡くなった子どもも少なくありません。
ちなみに、このページの中央右にある「長女・さた」は、ボクの曾祖母です。明治4年に生まれています。彼女は後に婿養子を迎え、その婿さんがわが家の5代目当主となります。そしてその5代目夫婦の次男がボクの祖父、八百政家の6代目となります。家譜は、祖父が明治38年(1905年)に生まれたという記述が最後でした。ちなみに日露戦争の勃発が1904年ですから、時代はまさに「坂の上の雲」です。
「家譜」にはわが家の家系図だけでなく、わが家の親戚筋の家系図も併せて記載されていました(ボクが知らない家も多くありました)。なんかこの家譜、まさに「ボクのルーツ」「わが家のルーツ」って感じです。「これは子孫にも残しておくべきだな…」と思いました。
今回仏壇から発見されたこの「家譜」は、ボクに残りの人生に宿題を与えてくれたように思います。
まずは、祖父が生まれた以降の八百政家の歴史を、この家譜に付け加えることです。明治38年から120年間空白となっているわが家の歴史を、埋めなければいけませんね。家譜へ最後の記載となった明治38年誕生のわが家6代目の祖父は、祖母と結婚して3人の子(既に2人が逝去)を設け、その長男である7代目の父は母と結婚してボクと姉を設け、8代目のボクは妻と結婚して2人の子どもを設け、さらに孫が3人この世に誕生しています。この記録を家譜に書き加えることはボクの務めでしょう。
さらに、判読不明の部分も少なくないこの八百政家の家譜をしっかり復元し、令和版の改訂家譜として整理して、ボクの子どもや孫たちに残すことです。まぁそれが日の目を見ることはないかもしれないけど、「あぁ確かジジがそんなものを残していたよなぁ…」程度の記憶が孫たちに残ればそれで良しです。
「父が建てた家の整理と解体」という宿題を終わらせる見通しがつきましたので、ボクは次の新しい宿題に取り組み始めたいと思います。