まだ幼稚園児だった頃、
社宅仲間の三家族とともに剣山に行った帰り
祖谷のかずら橋に立ち寄った。
渡る人、渡らない(渡りたくない)人とでわかれるなか、
私の母も当然渡らない仲間にいたら
「渡る!」といってきかなかった私。
小学生以下の子供は保護者の付き添いが必要。
母は、二度三度と
「ホントに渡るのか」と尋ね
(恐らく渡らないよう説得)
がんとして諦めなかった私。ガンコモノ…
かずら橋、行ったことがある人はわかると思いますが
足元はけっこう隙間が空いていてかなり怖い。
母が想像した通り、幼稚園児の私は
スタートした途端
「こわいー」と泣き出したそう。
「ほら、やっぱり」と母。
でも一方通行のこの橋。じゃ、やめよ。
というわけにはいかない。
しがみついてくる我が子を
自身も恐怖を抱えながら渡った母。
30年以上経ったいまでも
うらみつらみで語られている。
お盆休みに帰省した兄夫婦と母と一緒に
かずら橋にやってきた。
私自身は10年くらい前にも友人と一緒に訪れたけど
そのときは橋の入口のところで
橋の様子を見て友人と二人
渡るのをやめた。
今回、母はまたしても30年以上も前のその話をし、
「あのときは怖かったー。もう私は渡らんよ。今回はみんなが渡るのを見よる」
と言っていたのだけど、
なんと橋の入口に行列!
1時間くらい待つのか?というくらい。
実際には30分くらいの待ち時間ですみましたが…。
そんなわけで、1人先にゴールで待ってても
寂しいでしょ、一緒に並んでおこう。
と母も行列に加え、そして列が進むにつれ、
途中で列を離脱して引き返してくる人おらんよ、
ここまできて渡らんのもつまらんよ、
と言って、結局母も渡る(渡らせる)ことに。
渡っている人はみな、気持ちへっぴり腰な感じ。
母に「渡らんのはどうよ?」
と言っていた兄も私も
スタートした瞬間に恐怖心でいっぱいに。
一歩目で既に
「後悔してる」と言う兄。
私も同じ気持ちだった。
大人の足がハマるくらいの隙間に怯え、
さらに手すりは何故か外側に倒れて心許ない。
これが非常に怖い。
でももう子供じゃないので泣き叫ぶことはできない。
大丈夫、誰も落ちてない。みんな渡ってる。
と、恐怖心を必死に押さえつける。
でも…
昔からみんながこけないようなところで
こけてしまう私。
隙間にはまってしまう自分を想像しては首をふる。
「怖いねー」と言う母に対し
口が聞けない兄と私。
そんななか、ただ1人パシャパシャと写真を撮る余裕っぷりをみせたのは兄嫁。
私も橋の途中で一度スマホを取り出したものの
カメラアプリを起動することができず
落としてもいけないと思い、
そのまままた鞄にしまう。
手すりが向こうに倒れるの勘弁してー!
と泣きそうになった。
誰も落ちてない。
また自分で言い聞かせる。
なんとか渡りきった後、
どうやら血の気が失せて顔が蒼白くなってたらしい。
普段と違っていたようで
「おとなしい」
と兄嫁にも言われてしまった。
母には
「あんたにも怖いもんがあったんやねー」
と言われれる始末。
確かにね、強気なこと言ってましたよ。
でも内心ビビってることも自覚してた。
それでも、ここまで怖いとは!
橋を渡るのに行列だったので
先にお昼を食べたのは正解だった。
渡ったあとだときっと食欲失せてたなぁ。
味噌がたまらなくおいしい、でこまわし
アメゴの塩焼き
そしてもちろん祖谷そば
祖谷は高知からだとけっこう近い。
また遊びにいこう。
もう渡らないと思うけど。