いつか、テレビを見ていた時のひとコマ。
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昔のいろいろな番組を
あるテーマのくくりのなかで
(どんなテーマだったか忘れてしまった)
ランキング形式で小出しするもの。
そのなかで
「欽ちゃんの仮装大賞」に出場された
85歳のおじいちゃんがとても印象に残った。
演目は「夫婦岩」。
いわゆるM字開脚の膝と膝を夫婦岩に見立て
注連縄でそれらをつないで
その背後にくる顔面を真っ赤に塗って
これを「初日の出」と見立てる。
それで、
「夫婦岩の初日の出~!!」とか
確かそんなふうに叫んで満面の笑み。
その表情があまりにも微笑ましく
会場を沸きに沸かせて、みごと合格のメダルを手にした。
「おめでとう。じっちゃん、やったなあ」
と歩みよっていろいろおじいちゃんに聞く欽ちゃん。
おじいちゃんは、欽ちゃんに
おもしろコメントを引き出されながら
ほがらかに受け答えしていたが
「なぜ夫婦岩なのか」との問いなると
ニコニコ顔で答えていた おじいちゃんの表情は一転。
ぽろぽろ涙をこぼして嗚咽してしまった。
この年の3月に
長年連れ添った おばあちゃんを亡くしたのだという。
それで「夫婦岩」。
ここで欽ちゃん。
「ああ、おばあちゃん出てきちゃったよ~。そこにいるのかなあ」
おじいちゃんは何かを思い出したように
天を仰いで合掌して、何か叫んでいるように見えた。
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いろいろ感じたこのひとコマで
いちばん僕が強く感じたは「祈り」。
「祈る」ということは
結局、自分以外の「なにか」に向いていないと
成立しないのだと思う。
神さまの目の前で
「私、お金持ちと結婚できますように」とか
「俺、べっぴんさんに惚れられますように」とか
普通、そんなことは祈ったりしない。
「この子が病気や怪我もなく、すくすくと育ちますように」とか
「お父さんの病気がよくなりますように」とか、
本来の「祈り」とは、そういうものだと思う。
どうしようもないほど
せつなくなるほどに湧き上がる「想い」や「感謝」。
「祈り」の本質はここにあるのだ。
あのおじいちゃんもきっと
天国のおばあちゃんに対して
あふれ出る感謝の気持ちを抑えられなくなって
拝んでいたに違いない。
神主は「仲執り持ち(なかとりもち)」といわれている。
「仲執り持ち」とは、神さまと人との間に立って双方をとりもつこと。
それゆえに
神主は神さまに対して一般の人と比して
特別な装束、特別な言葉(祝詞)、特別な作法で、
あらわすことのできる最上級の敬意をはらい
「人の想い」を届ける。
そう考えると、神主の使命は本当に重要だ。
でも、それだけに素晴らしい使命でもあるんだよなあ。
・・・・・・・・・・・・・・
それにしても、欽ちゃん。
あんなに起伏にとんだ展開に
重たくなったり湿っぽくなったり
ましてや茶化したりせず
ひょうひょうとしたままのたたずまいで
ニュートラルに、しかもおもしろさは崩さず
見事な司会っぷりだった。
やっぱり欽ちゃんは稀代のエンターテイナーなんだなあ。
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昔のいろいろな番組を
あるテーマのくくりのなかで
(どんなテーマだったか忘れてしまった)
ランキング形式で小出しするもの。
そのなかで
「欽ちゃんの仮装大賞」に出場された
85歳のおじいちゃんがとても印象に残った。
演目は「夫婦岩」。
いわゆるM字開脚の膝と膝を夫婦岩に見立て
注連縄でそれらをつないで
その背後にくる顔面を真っ赤に塗って
これを「初日の出」と見立てる。
それで、
「夫婦岩の初日の出~!!」とか
確かそんなふうに叫んで満面の笑み。
その表情があまりにも微笑ましく
会場を沸きに沸かせて、みごと合格のメダルを手にした。
「おめでとう。じっちゃん、やったなあ」
と歩みよっていろいろおじいちゃんに聞く欽ちゃん。
おじいちゃんは、欽ちゃんに
おもしろコメントを引き出されながら
ほがらかに受け答えしていたが
「なぜ夫婦岩なのか」との問いなると
ニコニコ顔で答えていた おじいちゃんの表情は一転。
ぽろぽろ涙をこぼして嗚咽してしまった。
この年の3月に
長年連れ添った おばあちゃんを亡くしたのだという。
それで「夫婦岩」。
ここで欽ちゃん。
「ああ、おばあちゃん出てきちゃったよ~。そこにいるのかなあ」
おじいちゃんは何かを思い出したように
天を仰いで合掌して、何か叫んでいるように見えた。
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いろいろ感じたこのひとコマで
いちばん僕が強く感じたは「祈り」。
「祈る」ということは
結局、自分以外の「なにか」に向いていないと
成立しないのだと思う。
神さまの目の前で
「私、お金持ちと結婚できますように」とか
「俺、べっぴんさんに惚れられますように」とか
普通、そんなことは祈ったりしない。
「この子が病気や怪我もなく、すくすくと育ちますように」とか
「お父さんの病気がよくなりますように」とか、
本来の「祈り」とは、そういうものだと思う。
どうしようもないほど
せつなくなるほどに湧き上がる「想い」や「感謝」。
「祈り」の本質はここにあるのだ。
あのおじいちゃんもきっと
天国のおばあちゃんに対して
あふれ出る感謝の気持ちを抑えられなくなって
拝んでいたに違いない。
神主は「仲執り持ち(なかとりもち)」といわれている。
「仲執り持ち」とは、神さまと人との間に立って双方をとりもつこと。
それゆえに
神主は神さまに対して一般の人と比して
特別な装束、特別な言葉(祝詞)、特別な作法で、
あらわすことのできる最上級の敬意をはらい
「人の想い」を届ける。
そう考えると、神主の使命は本当に重要だ。
でも、それだけに素晴らしい使命でもあるんだよなあ。
・・・・・・・・・・・・・・
それにしても、欽ちゃん。
あんなに起伏にとんだ展開に
重たくなったり湿っぽくなったり
ましてや茶化したりせず
ひょうひょうとしたままのたたずまいで
ニュートラルに、しかもおもしろさは崩さず
見事な司会っぷりだった。
やっぱり欽ちゃんは稀代のエンターテイナーなんだなあ。