八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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宇陀市榛原高塚の「七塚まいり」

2012年10月01日 | つれづれ
先日、宇陀市榛原高塚の
「七塚まいり」の行事がありました。

「七塚」とは八咫烏神社の周辺にある塚跡のこと。
具体的には…
「尼塚」「弓張塚」「山伏塚」
「丸塚」「王塚」「犬塚」「高塚」の「七塚」。


▲大門貞夫氏「伊那佐の里」より

(僕はこれに八咫烏神社本殿の祀られている丘、
 通称「たけつの塚(建角塚?)」をあわせて、
 ひそかに「八塚」と呼んでいますww)






これらの塚跡の由緒は詳らかではありません。
いつごろ出来たのか、どなたが葬られたのかさえも。

しかし、唯一、発掘調査がおこなわれた「高塚」からは、
その際は弥生時代の土器や木製農具が出土したそうです。

(日本の正史である続日本紀に
 文武天皇の御代『慶雲2年(705年)に八咫烏社を祭る』と
 記述が見え、これが当社の創祀と伝わるとされていますが、
 実は弥生時代すでにその原型は形成されていて、慶雲2年に
 文武天皇によって神社としての体裁と名称が与えられた?
 …などと勝手気ままに想像するのは楽しいですねw)


さて、高塚集落では、これら塚の存在を知りながら
特別な行事は永らくおこなわれていませんでしたが、
数年前、地元で
「高塚集落の有志で行事しようやないか」
という気運が高まり、杭をたて塚跡を顕彰し、
年に数回、「七塚まいり」をおこなっています。

 山伏塚から丸塚へ
 犬塚から高塚へ

お祀りの方法は、それぞれの塚跡に
花と御供(おにぎり)を供えて、般若心経を三巻します。
その間に参加者は順次、あらかじめ汲んで来た水を
塚跡にかけていきます。

目に見えず、しかも誰かも知らず、それでも拝む。

これは日本における根本的な信仰のかたちに思えてなりません。
自然発生的で素朴。

そういった「ひとの営み」は
とても美しく
また愛おしいことだと感じています。