My ordinary days

ようこそいらっしゃいました!
ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

ちゃり。

2011-03-22 19:21:16 | 日記
何年ぶりだろう、
自転車に乗りました。


乗れるんです。乗れないと思っている方もいるようですが・・・


ママチャリには長男くんが1歳半位から載せて(?荷物か)走っていたのだけれど、長男くんが幼稚園に入園する前に次男くんを妊娠、妊婦は基本的にはあまり自転車に乗らないほうがよろしいので幼稚園の送迎はずっと車をつかっていた。歩け・・・・ない距離でもない、かもしれません・・・が、(あ、やっぱり無理だな、3歳児連れてあの距離は相当かかるな・・・幼稚園に一番につくことをよし。としていた男なので、やっぱ無理)車。ずーっと車。生まれてからも車。翌年には年子で長女ちゃんもきたので自転車は無理。車。

次男くんの入園前に幼稚園の近くから引っ越していたので、次男くんの通園もやはり車を使いました。ママチャリは放置期間が長かったためにぼろぼろになっていき、さようならに・・・

一度幼稚園から自転車に乗っていく用事があり、友達の自転車を借りて乗ったら「ええっ!ははは」と笑われたことも・・・なぜ? 
スカート姿が多かったのと、靴もあまり自転車をこぐのに適した風ではなかったからかもしれません・・・ ガ とにかくなんか笑われた。


今日は長男くんの自転車を借りて搭乗。普段なら間違いなく車を利用する距離なのですが、なにしろガソリンが無い~。
時々販売しているスタンドもあるのですがチョー並ぶ。どこが最後尾なんだかもうさっぱりわからないくらい。
覚悟を決めてならんでもいいのだけど、その時間もない、というか いつ開いているのかよくわからないんです・・。気合いが足らないのかもしれないーーー

メーターに半分は残っているので、それは緊急用にして近場はなるべく自転車または徒歩で用を足そう、ということなのですが

今回は被災地に支援物資をまとめて送ってくれる某NPO(詳しく知らない)(ちゃんと政府から物資を送る許可?をもらっているところです)からのメールの転送の転送をもらい、そこに関わっている人ではなくても救援物資を受付てくれるというので段ボールに詰め物をしてピックアップしてくれる場所まで出かけたのでした。自転車で・・・・正味5分くらいのとこかな。
今回は仙台に向かうと言っていたなー。

メールで案内された集積所に向かうと、・・・あららら、わたししかいないよ。さみしーい。自転車の前かごに載せられるサイズの段ボール(長男くんの自転車には後ろの荷台は付いていない)なのでそう大きくはないのですがおしりふきナップや靴下、ホカロンなどなど、をぎゅうぎゅうに詰めて持って行きました。ピックアップ用の軽トラもすぐに来て、(荷台には毛布やらいろいろ詰まってた)今夜出発します!と走り去って行った。

少しでも何かの、誰かのお役に立てばいいのですが。


自転車。
ギヤの切り替えがカンタンで停めたときに首が振れないような装置?がついていたり、自転車も発達し続けているんですね~

モチロンちゃんと乗れましたさ


新聞記事より「福島原発事故の放射線被害、現状は皆無」

2011-03-21 17:24:19 | 日記
落ち着いて行動しましょうね。


福島原発事故の放射線被害、現状は皆無
毎日新聞 2011年3月20日 東京朝刊

「3月11日に発生した東日本大震災では、19日の時点で、死者は計7000人を超え、行方不明者も多数出ています。

 死者6434人を出した阪神大震災をしのぐ大惨事と言えます。心から哀悼の意を表するとともに、一日も早い復興を祈っています。

 地震の規模がマグニチュード(M)9・0というけた外れの大地震は、巨大津波による甚大な被害と、原子力発電所の深刻な事故をもたらしました。津波の被害からの復旧は、被害の小さな地域では徐々に始まっています。一方、原発事故は予断を許さない状況です。今回は、いつもより多くのスペースを使い、福島第1原発の事故による放射線が、人体に与える影響について考えたいと思います。

 対応は花粉症対策と同じ
 放射線とは、ものを突き抜ける能力が高い光や粒子のことです。そして、放射線を浴びる(=被ばくする)と、遺伝子にダメージが生じ、人体に悪影響を及ぼすことがあります。放射線を出す能力を「放射能」、放射能を持つ物質を「放射性物質」と呼びます。

 今回の原発事故では、原子炉からヨウ素、セシウムといった放射性物質が漏れ出し、大気中にまき散らされています。たとえれば、スギから「放射線を出す花粉」が飛散している状態と言えます。放射性物質も、そこから出ている放射線も目には見えません。

 窓を閉めて、家の中にいれば、吸い込む花粉の量が大幅に減ります。放射性物質も同様で、屋外と比べ、屋内の被ばくは10分の1程度に減ります。しかし、放射性物質から出る放射線の一部は、窓や壁を突き抜けますから、家にいても、放射線を完全に避けることはできません。

 放射性物質による被ばくには、「外部被ばく」と「内部被ばく」があります。外部被ばくは、衣類や皮膚に付着した放射性物質から放射線を浴びることで起きます。家に帰ったら、屋外で上着を脱ぎ、服はよくはたいて放射性物質を落としたうえで、シャワーを浴びれば問題ありません。洗濯物は外に干さず、窓はできるだけ開けず、換気扇もなるべく使わないようにしましょう。要は、花粉症対策と同様、「花粉」を寄せつけないことが大事なのです。

 雨が降った場合は、放射性物質を含んだ水滴が皮膚に付着しないように、レインコート(できれば使い捨て)を使うと安心ですし、折りたたみの傘を携帯するとよいでしょう。

 体内に放射性物質が入り、身体の中から放射線を浴びる「内部被ばく」は、より危険です。身体の表面に付着した放射性物質と違い、体内の放射性物質は洗い流せないからです。外出するときは、ぬれたタオルなどで口や鼻をふさぐと安心です。テーブルの上に置く果物などには、ラップをかけ、食べる前に洗うとよいでしょう。

 日常生活でも自然被ばく
 ただし、現段階では、避難した原発に近い地域の住民の人たちを含め、一般の人の健康に悪影響が出るとは考えられません。被ばくを心配し、「サーベイメーター」による検査を希望する人が増えていますが、そもそも「被ばくした」「被ばくしていない」という議論はナンセンスです。なぜなら、私たちは、普通に生きているだけで、必ず「被ばくしている」からです。

 大気中には「ラドン」といった放射性物質が含まれますし、宇宙や大地からの放射線による被ばくもあります。ホウレンソウなど食べ物にも放射性物質が含まれます。世界平均では、年間約2・4ミリシーベルトの放射線を浴びます。この「自然被ばく」の量も、場所によって異なります。たとえば、イランのラムサール地方では、年間の自然被ばくが10ミリシーベルトを超えます。日本から、この地方へ引っ越せば、被ばくが増えるわけですが、ラムサール地方でがんが多いというわけではありません。

 耳慣れない「シーベルト」という言葉は、放射線が人体に与える影響の単位です。ミリは1000分の1、マイクロは100万分の1を意味します。1シーベルト=1000ミリシーベルト=100万マイクロシーベルトとなります。

 もう一つ分かりにくいのは、「毎時10マイクロシーベルト」という表現です。これは、1時間あたり10マイクロシーベルトの被ばくがあるという意味で、線量率と呼ばれます。毎時10マイクロシーベルトの場所に3時間いれば、30マイクロシーベルトを被ばくするという意味です。線量率は「蛇口から流れ出るお湯の出方」、たまったお湯の量が「何ミリシーベルト」という数字で表されます。

 発がんリスク、喫煙以下
 では、どのくらい放射線を浴びると身体に悪影響があるのでしょうか? 原爆の被害を受けた広島、長崎のデータなどから、100ミリシーベルト以下では、人体への悪影響がないことは分かっています。このレベルの被ばく量は症状が出ないだけではなく、検査でも異常な数字は確認されません。

 100ミリシーベルト以上の被ばく量になると、発がんのリスクが上がり始めます。といっても、100ミリシーベルトを被ばくしても、がんの危険性は0・5%高くなるだけです。そもそも、日本は世界一のがん大国です。2人に1人が、がんになります。つまり、もともとある50%の危険性が、100ミリシーベルトの被ばくによって、50・5%になるということです。たばこを吸う方が、よほど危険といえます。

 現在、文部科学省が、各地の線量率を測定しています。最も値が高い福島県の数値でも、風向きなどで高めの地点もありますが、多くの地点で、毎時数マイクロシーベルト程度です。測定は屋外で実施していますから、屋内に退避していれば、線量率は毎時1マイクロシーベルト以下です。東京、埼玉、千葉などは、屋外であっても、その10分の1以下です。

 毎時1マイクロシーベルトの場所にずっといる場合、どのくらい時間がたつと身体に悪影響が出始める100ミリシーベルトに達するでしょうか? なんと11年以上の月日が必要です。通常より高いといっても、現在の放射線のレベルは人体に影響を及ぼすものではないことが分かります。

 繰り返しますが、事故の現状では、発がんリスクの上昇を含め、一般の人たちの健康被害は皆無と言えるでしょう。安心して、冷静に行動していただきたいと思います。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)」








気になるサイト。 今日は春分の日だ

2011-03-21 14:41:57 | 日記
春分の日です。
雨が降っていて、寒い。でも節電のため暖房もいれず湯たんぽを抱えてじっとしています・・。こゆときオール電化は辛い

原発はどうにかこうにか現状維持できているようですが、被災地への支援はどうなっているんだろう。いま東北はもっと寒いよね・・政府は動いてるんだかなんだか、取りやめになったけれど総理が現地視察どうこうって、なにしてるのいったい?と思います。なんでこんなときにつかえない市民活動家が一国の総理大臣~被災状況も政府発表ないですよね、まだ。途中経過すら聞いていないような・・・マスコミの出す被災者等の数値って各社が独自にまとめたものみたいだし・・「ひどい」ということしかわからない。
大丈夫なの??
はやく総選挙を!と思いますが、それより何より、被災者支援と被災地の復興をどうにかしないとね。
もちろん個人でできることはしたいと思いますが、こういう時に中央政府が大きな視野をもってきっちり対処してくれないとすべてが遅れていってしまう。なんだかなーー


以下、気になるサイトをメモ。


子どもの心のケアのための(PTSDの理解とその予防)保護者向けリーフレット自然災害や事件・事故により、心に傷を受けた子どもの心のケアが重要になっています。
 保護者の方に早期の対応と予防に心がけていただくことを目的に、「子ども安心プロジェクト」の一環として、子どもの心のケアのためのリーフレットを作成しました。

応急手当WEBはじめに
家族の急病、戸外活動やスポーツ時のケガ、災害・交通事故現場での傷病者との遭遇…。このような緊急時は、119番への通報と同時に、その場に居合わせる人による応急手当が重要になります。とくに呼吸や心臓の停止、大出血などの重篤な容態では、救急隊や医師が到着するまでの間にいかに早く適切な処置をするかが、その後の状態を左右します。

一人ひとりが正しい応急手当法を学び、冷静沈着かつ自信をもって対処できるように-。家族を危機から救い、地域社会のなかでお互いに助け合っていく意識の芽生えも願って-。本サイトでは、一般によくみられる25傷病の応急手当法と、日本版救急蘇生ガイドライン(2006年発表)に基づく救急蘇生法について、たくさんの図説を交えて紹介しています。家庭、職場、学校などで身近な場所に備えて、いざという時の行動にお役立てください。

北海道医師会 救急医療部


被災地での生活を助けるアイデア集防寒、食糧、放射能対策、救助等



避難用の住宅も各自治体がそれぞれ用意をしてそれぞれ直接交渉をして、国からは避難所の斡旋についての情報もなにももらっていないらしい。
なにやっているんだか、政府。

東電に各箇所との連携が悪いって、そっちが連携とるよう指示しなくちゃいけないのに。トップがトップの仕事をしていないからごちゃごちゃするのです。

St. Paul's HS

2011-03-21 00:32:13 | 日記
長男くんのとこの高校は9日が卒業式だったから、無事にお式ができたのですが・・・。
よいことが書いてある、というので読んでみました。 立高は卒業式中止なんだ。あ、でも卒業礼拝は行うのね。よかったね。


立高HPからコピペ:







卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司