今日は、感動という言葉を何度も聞かせてもらった。
感じて動くと書いて感動。。。
私の身近な感動はTVドラマで体験できる。
また、夕景など自然から与えられた美しいものを見ることで、
心を揺さぶられ、この景色に出会えたことに感謝する。
子供の姿であったりもする。
しかし、これらは周りから与えてもらうばかりで、
自分で感動を作り出したわけではない。
。。人に感動を与えることは簡単なことではないと思う。
まず自分が物事に感動できないと人には伝わっていかないと、
聞かせていただく。
感動と夢は二つで一つのような気がする。
80歳の老婆でも夢や希望を持って生きていたら18歳の少女と同じ。
逆に18歳の少女でも夢も希望もなかったら、
80歳の老婆と同じだと聞かせていただく。
夢に向かって努力をしている姿は見る人を感動させるのだ!!
また人は感動を求めているのではないか。。
頑張っている人をみて、人は応援したがるらしい。
つい先だってTVのチャンネルを回したら、たまたまあるスポーツの試合をやっていた。
今見始めたばかりのほんの数分で、私は選手の頑張る姿に心揺さぶられ、
「ヤッタ~ヤッタ~!!すご~い!!」と、
涙まで流して健闘を喜んでいた。。。
時間なんて関係ない。。
私もどういう形でもいいから、人を感動させたいなといつも思っている。
思っているだけで、なかなかそこまで到達しないのだけど。。
いつでも素直に感じることが出来る柔軟な心を、
いくつになっても失いたくないなぁと思う。
一つのことを長年やっていると、
横着になったり要領を使うようになるらしい。
横着や要領は自分から感動感激を遠ざけてしまうという。
自分はどうだろうか・・
たまには自分を振り返ったり人に言ってもらうことも必要なのだ。。
私はその前の年の秋の期なのですごい近い!!
私と一年違わないんだよね!!
すご~い!!
やはり人が先に気が付いてくださったんですね。。
友達とかに、「ちゃんと話聞けるようになったやん」とか、「なんか丸くなったね」って言われてましたが。
年月がたってから、よぅなったんかな…って思うようになったんです。
お子さん2人連れて、妊娠中で、大変だったでしょう。
私は、635期で、自分の因縁の自覚をさせられるほど、振り回されてました。
2度目の気がします。
22さいだったんですか~。
若いころの修養科だったんですね。
私は4歳2歳連れて、3人目が妊娠2ヶ月で、
34位で行かせて頂いたんですよ~。
大変でした。。
自分が変わったという実感があるんですね。
私は自分では分からなかったなぁ
人に言われて「そうかなぁ(^^)」と。
ちなみに私は629期でした。
多分ね。。この数字が記憶にあるのでそうかと思うの。
私もそう思います。。
昨日の睦会、今日の躍進会でまたまた色々聞かせていただいたんです。。
会のみんなが反省やら個々に言わせてもらって。
しかし、反省の中に喜びが感じられないとおっしゃってました。
睦会でのことですけど。。
係が入れ替わって、
来年は私が睦会のかかりになってしまいました。
団地めぐりも終わったので、今度はそちらにということです。
あ、お母さんも一緒ですよ。(^^)v
助け合ってやっていきたいなぁと思ってます。
振り返ってみれば、若い時に感動した事の方が少ないかもしれません。
22歳の時に、修養科に行って、変わったんでしょうね、私。
いつも聞いていましたが、
また、なるほどそうだと思いました。
感動、あまりないかなあ・・最近。
そこまで努力してないのかも。
最後の一段落は、
本当にそうかもしれないと
身につまされる思いがしました。
今日は大教会で集まりがあったのですが、
その中でもある先生が同じようなことを言っていました。
常に新しいことややり方などを見つけ、
自分で脱皮していく努力が必要なんでしょうね。