具合の悪い時に、トルストイの「アンナ・カレーニナ」という本を時々読んでいました。上・中・下の長編で、まだ中をボツボツ読んでいるのですが、今日はちょっと心に響いた所を読みました。
登場人物の中のリョーヴィンという大きな田園のオーナーは、たくさんの労働者を抱えて様々な問題に四苦八苦していますが、時々は朝から晩まで汗まみれになりながらも、自ら好んで労働者と一緒に草を刈ったり共に働いています。そんな時は、オーナーである事すら忘れる位に清々しい気分になるらしく
「神は一日を与え、神はそのための力を与えたもうたのだ。この一日も、その力もすべて労働にささげられ、労働そのものの中に報酬があるのだ。では、だれのための労働なのだろうか?その労働の結果はどうなるのであろうか?いや、こうした考えこそ、第二次的な、取るに足りないものなのだ」
すごく感激屋の私は、ここの所でとてもじ~んときて・・・
いろいろな事を考えれば考える程、人は欲が深まっていきがちですが、私は絵を描く時に、このリョーヴィンと同じくとても清々しい気持ちになります。 ああ~
おんなじだな
俗世から飛んでる感じ
この気持ち好い感じを、味わった事のない、もしくは忘れてしまった人に、きっと私は伝えたいんだな 言葉では上手く表せない・・気持ち
多分無心に一生懸命に何かをやっている人は解ると思います。
・・・満ち足りた気持ち、安らぎ、清純な感じ・・