久しぶりにお話しますね。
「親と愛犬」がぼけると・・・・それはそれなりに面白いことが起きて、そこに笑顔と笑いが産まれ、よくもわるくも「共存」と「共助※ともに助ける」という光景に専門職思考から人間的思考に切り替わる。
けれどこれが本来あるべき「介護の本質」と感じております最近は。
上げ膳据え膳を求めるのならそれを叶えてくれる場所がある
けれど生きて行くのなら生きて行くために必要な場所とそれを支える存在や環境がある
あれだけ食べなかった母親がとうとうあることと、あるものに反応し、ある事を提供し続けたことで・・・・
母親の「一日に必要とされる最小限の摂取量」※ほとんど寝ている人に三食※健常者なみの量は食べられませんね※
を定期的に本人から望み食べている
じつは今朝も「食べたいから買ってきて欲しい」と言われたので早朝5時にコンビ二に買い物して母親にわたし出勤してきた。
いまの母親の「楽しみ」でもある
介護は「支援」ではなく「本人の意思や思考やいままで生きてきた証」を「尊重」した中で「自らの意思で考え動こうとする環境と演出し、それを自然に任せて状態で本人の今ある最大限の言動を引き出す」
「支えて援助」ではなく「最大限に引き出す」 その「引き出し方を学び身につけ実践できちんと見極め対応できる」のが介護としての第一歩・・・・・これが本物とボクは伝えて生きたい。
母親のここ数週間の言動、それが「楽しみ」に変わることで生きるに繋がると最近は思う