陽のあたる介護・・・そして約束の場所へ

誰かの為に何かの為に生きる事が本当の幸せなのかもと感じる今日この頃・・・やはりいつも誰かの笑顔を見続けたいからだと・・・

ひとからまなんだもの

2019-06-30 12:31:58 | 日記

49年間なんだかんだ言いながらも有り難いことに生きております。

明日から早いもので7月・・・・・1年に1回だけ逢えることが許される「織姫」と「彦星」・・・・・の約束の日・・「七夕」。

 

少し空想でお話いたしますが・・・かなり距離のある遠距離恋愛??・・・長い長い単身赴任??・・・それとも・・・逢ってはいけない理由や環境の中での切ない恋心??・・・・・逢う場所までの交通手段が一年に一回しか運行できない乗り物??

その他いろいろな空想もあるでしょう・・・・本来受け継がれた「伝説」もあるでしょう・・・・

「七夕」という言葉や文字でさまざまな「形」「光景」「想像」が「解釈の仕方」で「どんなものにも変わる」という事をお伝えしたかったのと・・・・・学んだときのお話を少しだけ・・・・・・。

 

「死」からイメージされるもの・・・・・・・・みなさんはどうお考えでしょうか??「不安」「恐怖」「自然」「痛い」「哀」「苦」「涙」「別れ」・・・??

「黄泉の国??・」「天国と地獄??」「生まれ変わり??」「別の生き物や物体に変わる??」「無限の極地??」

それとも・・・・・「いつも見守る守護神??」「神様仏様??」などなど・・・・。

とにかく・・・・「解釈」と「感覚」「常識」などで「言葉」には無数といわんばかりの「解釈」があり、ここに「個人的感情」がつくと「自己防衛」にもかわり、平気で「人を裏切ることが出来る」という出来事を目の当たりに最近出くわしました(笑)

 

なぜ・・・(笑)が付くかと言うと・・・・・・・・怒りを通り越しての(笑)なのかもしれません。

8月の内部研修でお話しする内容のひとつですが・・・・・・社会人のモラル「いつまで新入社員なんですか??」

 

まさに・・・・この事例に見事マッチングした出来事だったので余計に笑いに変わったのかもしれません僕なりの解釈でこの出来事を整理してみたら~(笑)

 

大いに結構・・・・絶景かな・・・絶景かな・・・・・・・「結果自然成」

 

 

 

 


ひとからまなんだもの

2019-06-30 12:31:58 | 日記

49年間なんだかんだ言いながらも有り難いことに生きております。

明日から早いもので7月・・・・・1年に1回だけ逢えることが許される「織姫」と「彦星」・・・・・の約束の日・・「七夕」。

 

少し空想でお話いたしますが・・・かなり距離のある遠距離恋愛??・・・長い長い単身赴任??・・・それとも・・・逢ってはいけない理由や環境の中での切ない恋心??・・・・・逢う場所までの交通手段が一年に一回しか運行できない乗り物??

その他いろいろな空想もあるでしょう・・・・本来受け継がれた「伝説」もあるでしょう・・・・

「七夕」という言葉や文字でさまざまな「形」「光景」「想像」が「解釈の仕方」で「どんなものにも変わる」という事をお伝えしたかったのと・・・・・学んだときのお話を少しだけ・・・・・・。

 

「死」からイメージされるもの・・・・・・・・みなさんはどうお考えでしょうか??「不安」「恐怖」「自然」「痛い」「哀」「苦」「涙」「別れ」・・・??

「黄泉の国??・」「天国と地獄??」「生まれ変わり??」「別の生き物や物体に変わる??」「無限の極地??」

それとも・・・・・「いつも見守る守護神??」「神様仏様??」などなど・・・・。

とにかく・・・・「解釈」と「感覚」「常識」などで「言葉」には無数といわんばかりの「解釈」があり、ここに「個人的感情」がつくと「自己防衛」にもかわり、平気で「人を裏切ることが出来る」という出来事を目の当たりに最近出くわしました(笑)

 

なぜ・・・(笑)が付くかと言うと・・・・・・・・怒りを通り越しての(笑)なのかもしれません。

8月の内部研修でお話しする内容のひとつですが・・・・・・社会人のモラル「いつまで新入社員なんですか??」

 

まさに・・・・この事例に見事マッチングした出来事だったので余計に笑いに変わったのかもしれません僕なりの解釈でこの出来事を整理してみたら~(笑)

 

大いに結構・・・・絶景かな・・・絶景かな・・・・・・・「結果自然成」

 

 

 

 


親と愛犬との介護日誌②

2019-06-29 13:35:31 | 日記

 

久しぶりのこのタイトルで書かせていただきました。

以前は「父親」でしたがこれからは「母親」の介護話が、たま~~~に書かれているかもしれませんので御ひいきに(笑)

 

 

以前の生活の面影は「父親」が亡くなってからはガラリと変わってますが・・・面白おかしく親子で楽しんでおります~。

かなり「もの忘れ」も多くなってきてますが・・「基本の生活リズム」がほぼ変わっていないのである意味「先読み」出来ることが幸いかもしれませんね。

 

前にも書かせていただきましたが「親子だから出来る究極の支援」という考えを常に持っていまして・・・究極と言っても特別な事はなにひとつなく・・・かといって・・・放置しているわけでもなく・・・この先どんな状況であろうと・・・どんな人格に変わってしまっても・・・・「覚悟」を決めておりまして・・・・。

 

その一方で・・・・愛犬も年齢を重ねたせいか・・・変わってきましてね・・・・。

朝起きると・・・玄関に「う〇こ」が転がっていることが多々おおく・・・「運がつく」ことも以前より多くなりましたね僕の身体の一部に(笑)

 

なんだかんだで・・・この仕事をしているからなのかもしれませんが・・・この状況の中で楽しんでいる自分が時に存在してるときがあります。

 

この間は、僕の目の前で倒れこみました・・・・・しばらく様子見てから体調の話は一切せず「寿司食べるか~??」と聞くと「食べるわ~」と言うので、買ってきて愛犬におすそ分けしながら食べておりました~。

 

・・・そういえば・・・数日前に喧嘩まではいきませんが・・こんな「やりとり」したんです・・・。この「やりとり」を読んでみて・・・皆さんは何を感じますかね~(笑)

 

10日前くらいに勝手きた「カットスイカ」のお話。

僕「もう・・・このスイカ駄目じゃない??」

 

母親「大丈夫だから、あんた2階持って行って食べなさい」

 

僕「いやいや・・・これ・・・においがやばいって・・・色も赤じゃなくなってきているし・・・」

 

母親「本当大丈夫だから・・・いいから食べなさいって」

 

僕「・・・無理」

母親「じゃあ私・・・たべるわ」

僕「・・・・・・・・・・」

 

母親「わっ!!!すっぱい!!やっぱり駄目だ」

 

僕「だから・・・駄目だって言ったじゃない」

 

母親「見た目は大丈夫なのにね・・・」

 

僕「いやいや・・・見た目スイカじゃないでしょうこれはもう(笑)」

 

母親「確かに・・・スイカじゃないね・・・なにこれ??」

 

・・・ちなみに・・・このあとは「さくらんぼ」が犠牲になっておりました(笑)

 

 

 

 

 


つぶやき

2019-06-28 18:47:56 | 日記

色々な事を・・・・色々な人へ「たくす」・・・・・・。そんなことを最近徐々にはじめました。

 

「未完成」なものもあるかもしれませんが・・・・「たくす」・・・・願いをこめて・・・・・。

 

伝わるか・・・伝わらないか・・・わかりませんが・・・・・次の「扉」をあけるには・・・どこかの「窓」を一度閉めたほうがいい・・・

 

約束の地への階段・・・・・一歩足をかけたようです・・・・・。

 

 


ひとからまなんだもの

2019-06-28 07:29:21 | 日記

 

最近・・・・古巣に出入りする機会が増えた・・・・。やはり「原点」がそこに「今でも見える」から「居心地」がよいのかもしれないですね(笑)・・・・・。

 

本題に入りますが・・共同生活という言葉と環境がある限りどの施設でも・・・どんな人でも「好き嫌い」があり・・・・「いがみ合い」があり・・・・「揉め事」というものが生まれてきますよね・・・。

 

よく聞くこんな「介護あるある」ですが・・・・入居者同士いがみ合いが発生するとたいていは・・・・・お互いを「引き離す」ことを考えていませんかね???

その「瞬間」はいいと思いますが・・・・長い生活の中でではどうすれば良いのかと・・・・「考えるチーム」もあれば「引き離し」がゴールとするチームもある。

この「チーム思考」を知る研修を内部でもやろうと思ってはいるのですが・・・まずはこの場所でお伝えをさせて頂きます。

 

ではどうしましょうかね~上のような環境が生まれた場合・・・・・。

全体をきちんと見られる思考がある「リーダー」がいたのなら「即実践」すると思いますが・・・個々の施設ではもしかしたら「タブー」となる環境づくりになるかもしれませんが(※職員さんが見えなくなるからという理由)

 

「死角」という「環境」を作り出すことで「毎日見ていたものが視野から消える・・・そこに生まれる環境で何が見えてくるか見極めることで、この作り出した死角がもしかしたら死角ではなく・・・・・安心できる場所に変わることがある」

 

 

ようするに・・・・・普段よくしているかもしれませんが・・・1人の時間、空間で過ごす・・・・それも「部屋」ではなく・・・・・雰囲気はひとりではない自然体な死角という環境。

 

「認知症」という病気をお持ちの方々の「脳」がどうなっているのか・・・どんな「症状」や「言動」が起きているのかを理解、共感、受け止めていると・・・自然に「死角」が必要となることが少しずつわかってくると思います。

 

 

 

 


ひとからまなんだもの

2019-06-26 13:15:21 | 日記

 

僕の尊敬するドクターの1人で・・・

 

「言葉で治療する」

 

ご存知の方、たくさんいらっしゃると思います

 

「カマダミノル」先生

 

ここまで辿り着くまでの背景には・・・・「父:岩次郎(育ての親)」の存在と言葉があったからだと・・・感じております。

 

お逢いできる日を・・・楽しみにしております。  

 

 


ひとからまなんだもの

2019-06-24 15:39:44 | 日記

この仕事を長く続けていると・・・いくつもの「入居者」「利用者」さんの名言を耳にする。

何か起きるときに・・・・いつしかの「名言」がよくあの頃の情景とともに蘇り・・・その名言を頼りに・・・手探りで何かアクションをおこし始めると・・・・意外と「良い結果」に繋がることが多くなってきました。

 

多くなってきた理由とは・・・「自分の考えを優先しなくなってきた」だからなのかもしれませんね。

「自分の経験」も確かに正しいこともあるのでしょうけれど、それを「基準」にしなくなったってのもあるのかもしれませんね~。

 

「歳を重ねるとともに失うものも多くなっていく時代」・・・・・・だけれど・・・・「歳を重ねるとともに・・・小さな幸せにとても感動を覚えていく」・・・だから「30年前の自分」より「今の自分」の方が「幸せの数」が多いんですね~。

 

今朝は・・・・空の青さが・・・「いい一日だな~」と独り言に変わっておりました(笑)

 

「義を見てせざるはゆうなきなり」・・・・・あるばあちゃんの口癖であり・・・僕には「名言」という学びです。


ひとりごと

2019-06-23 12:00:04 | 日記

 

昨日まで元気で明るく過ごしていた一人のばあちゃんが・・・今朝・・突然倒れて・・・「脳梗塞」と診断された・・・。

救急車の中のばあちゃんは「昨日とは違い」・・・「昨日と同じような支援」はもう出来ない・・・

 

あとは・・・・・奇跡を信じたい・・・・・・

 

そして・・・いつも「瞬間」を「大切」にしていきたい・・・・・・大切に生きたい・・・・・。

 

 


ひとりごと

2019-06-22 16:22:33 | 日記

突然・・・「介護の話」をしたくなる・・・・・。

とにかく無性に・・・・話したくなる・・・・。

伝えた言葉が少なくても・・・・その奥にある言葉の意味をわかってくれて・・・その言葉に自分自身が納得する言葉が一言でもあると・・・・とても嬉しくなる。

そういうやり取りに飢えてくると・・・・過去の自分と向き合ってみる・・・・。

 

自分の言動や考えが正しいとは言わないが・・・・今まで関わらせていただいた入居者さんの笑顔の数だけ・・・僕は・・間違っていないと思っている。

 

笑顔=正しい支援とも言わないが・・・・理由も何もわからないままの表情は・・・本当に哀しいものである。

 

ひとりごとのように・・・最近自分ひとりでつぶやいているときがある・・・・・。

 

自分の・・・・未来を・・・予言するかのように・・・・・

 

 

 

 


人からまなんだもの

2019-06-22 07:59:46 | 日記

 

本日は「雨」ですね~

こんな話をよく耳にします。

雨が続くと・・・・・・・・「もう雨はいらないね・・・」と雨が不快なものに変化し晴れが快に変化されている

反対に

晴れが続くと・・・・・・「雨がほしいね・・・・・・・・」と晴れが不快に変わり雨を求め望んでいる

っで・・・・

中間の曇りが続くと・・・・・・・「はっきりしない天気だね~」みたいな感じで・・・。

「職業」によりこの「天気」の変化というものはとても「重要」なもので「その日の言動」にも変化を及ぼしますね。

 

話を本題に移しますが・・・最近「翻訳機」というものが増えていまして海外で役立つアイテムのひとつになっているようですね。

日本語で話すと各国の言葉に変化してお互いが「理解できる」優れた機械ですね。

 

では・・・・・・「認知症」という病気をお持ちの方々の「言動」「思考」「こころ」をみなさんはきちんと「翻訳」されているのでしょうか??

「きちんと伝え」「きちんと受け止め」「きちんと理解しようと努力」されているのでしょうか・・・?

・・・・1人の職員の解釈で「その方々の性格」を決め付けてしまう場面・・・皆さん経験ありませんか??

 

「何を伝えようとしているのか・・・・・」

「何を伝えてあげようとしているのか・・・・」

「何を伝えなければいけないのか・・・・」

 

そこには「翻訳機」というものは間違いなく存在しないわけで・・・・・唯一の方法はやはり・・・「こころ」だと・・・。

「人として」一緒にいるのであれば・・・全て「人として」関わるべきではと・・・最近感じます。

 

「認知症」と思って接し見ているのは、第三者であり・・・・本人は自分を「認知症」と思いながら生きなければいけないのでしょうか・・・・。

 

関わる側の「思考」ひとつで・・・・・「特別な言動」にはならないのでは・・・と・・・これからも伝えて生きたい。