旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)北部編①

2017-08-20 13:53:17 | 海外旅行

カンチェンジュンガ(8586m)山群

インド北部シッキム王国とダージリン、世界第2位の高峰カンチェンジュンガを見る旅(  20101113ー20) 

今回始めて「西遊旅行」と言う僻地専門?の旅行社を試してみました。結果はとてもしんどい旅でしたが、満足度はほぼ90%でした。旅行前に罹った「帯状ヘルペス」が完治しないまま、11月13日の出発前夜に突然左目が真っ赤になり空港で買った目薬を差しつつ、衛生や水事情のよくないインドへの旅で少し不安でしたが、まあ何とか無事に過ごせて予期以上の楽しい旅が出来ました。 

とは言うものの先ず空港までのMKタクシーシャトルバスが珍しく30分超遅延到着。関空からインド・デリー空港(香港経由・実フライト10時間・時差3時間半)までのインド航空が2時間遅延。すっかり新しく綺麗になったデリー空港で荷物を受け取るまで1時間弱待ち。とご難続き。結局デリー空港近くのホテルに着いた関空組6名は深夜12時過ぎ。気の毒なのはここで合流する成田組4名。12時間も延着し、ホテルへ朝5時過ぎ到着。朝食後直ぐの出発となった。 

11月14日。ご一行様は男性4名と女性5名に女子ツアコン1名10名とこじんまりしたお団体さん。国際線に隣接し今年7月に新規開場した国内線は、以前のボロ空港を知る者としてはもうただその立派さに感嘆。この美しい絨毯びきの空港がいつまでそれを保てるのかが疑問。 

すっかりキレイになった絨毯引きの出来立て国内線乗り場 

ここでも又国内線のJET―AIRWAYが2時間余延着。しかし飛行中ずっとヒマラヤ山脈が遠望出来、エヴェレストもハッキリと見る事が出来たのは予期せぬ収穫だった。西ベンガル州のバグドグラ空港に着いたのが15時。ここから4台の4輪駆動車に分乗し、約5時間の山岳道路を、途中小雨模様となった悪路をひたすら登り、シッキム州(旧シッキム王国の都)の州都「ガントク」に着いたのが21時頃。 

飛行機からヒマラヤが遠望出来た

      

       ガントクへの途中の村 

途中2名の女性は車酔いでダウン。ホテル・NOR-HILLは中々立派なホテルで、シッキム王の迎賓館として建てられたものだとか。遅い夕食も口に合う美味しいものでやや満足。今回のツアーの一つの売りはホテル。19世紀から21世紀前半の英領インド時代に避暑の為建てられた木造の迎賓館や別荘を転用したもので中々味わい深いホテルでした。

ノルヒルホテル

      

      ホテル内のレストラン

      

      洒落たお部屋

ホテルの外観です。

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インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)中部編③

2017-08-17 08:42:02 | 海外旅行

12月13日。快晴。結局乾季だから毎日快晴。タジ・マハールのあるアグラから首都デリー間はブーゲンビリア咲き乱れる立派な中央分離帯を持つ主要道路。金が掛かっている。それでも有料道路ではない。途中でドライブスルーのマクドを始めてみた。 

新旧デリーは大都会である。特にニューデリーは都市計画に基づいた近代都市。しかしながら歴史のある都ゆえそこかしこに世界遺産がある。 

まづ73mのクトウブの塔へ。コレはイスラム寺院の付属建築物の一部とか。ここは自由行動だったが、例の二人、集合時間になっても戻らない。自分勝手な方々はほんとに困る。でもケロリとしていた。 

フマユーン廟、インド門、官庁街、ガンジーメモリアル等を訪ね今日の日程をほぼ終わる。最後に連れて行かれた土産店に入らず、小一時間散策したオールドデリーの街角の喧騒にやっと普通のインドをチョッピリ実感した。夕食はインドで日本料理という事でしたが、何故か狐うどんと太巻きが出た。 

デリー フマユーン廟

デリー イーサハーン廟

 

デリー 高級住宅も多かった

ニューデリー クートーブ・ミーナール尖塔

翌14日は最後の訪問地ムンバイ(旧ボンベイ)へ移動。デリーが政治都市なら、ここはまさに商業都市。インド経済発展の最先端とかで高層商業ビルや高級マンションが増えガイドも鼻が高そう。 

16世紀ポルトガル領として開け、やがて英国統治下に。市街地には古い建物が立ち並び一見英国風。でもそこここにヒンズーやイスラム寺院がキリスト寺院よりも目立つ。 

海岸線には立派なハイウエーが走るが、鉄道は郊外から鈴なりの人々を乗せて近づく。手洗いの大洗濯場があったりするが、路上に牛もいないし、歩道は綺麗に掃除されていた。でも一歩郊外へ出れば一部は物凄い貧民窟も現存するらしい。 

インド門、プリンス・オブ・ウエールズ博物館、マハトマガンジー記念館等を訪れ、昼食は老舗ホテルのタジ・マハールで豪華なインド料理。夕景を見ながら空港へ着くと何だかヤレヤレと感じるのは何時ものこと。夜行便で翌朝15日早朝無事帰国しました。 10数年後このタジ・マハールホテルはテロの標的となり、TVでこのレストランが惨劇の場になったことを知り愕然としました。

ムンバイの海岸から見た市街

ハイウエーも既にあった

ムンバイの露天大洗濯場

何しろ10億の人口と、日本の9倍の国土。加えて数学に強いお国柄とか。今後の発展しだいでは、中国と並んで日本の脅威かも。国内に貧困格差の問題を抱えながら原爆保持国でもある点等似ているね。 

帰ってからフイットネスクラブで知り合ったインド人達に会って、正直な感想を述べると以前は一枚紙を隔てて接していた彼らが急に親しみをもって接してくれたのも大きな収穫でした。 

短期間でしたがソコソコインドを見られた楽しい旅でした。今回残念だったのはガンジス川を見ることが出来なかったこと。ヒンズーの寺院訪問が全然なかったこと。次回は南部やフンザ地方。或いはカルカッタ方面なんかに行ってみたい。

 

 

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宝塚チケット考

2017-08-16 14:32:13 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

昔から良い席が取りにくいと言われていた宝塚歌劇の切符。

当日券、大昔は阪急の一番電車に乗り、南口と終点から2組に分かれ駆けっこしてファミリーランドの入り口で待ち、更に開門したらチケット売り場まで疾走、モッタイぶった不愛想な売り手さんから売って頂いた切符を押し頂いてとまでは言いませんがそれでも1F後列か、2F,3Fが関の山でした。

コネがあってたまに1Fの10列目までが取れれば天にも昇る心地ち。純粋でした。こちらも段々質が悪くなり、表門にたむろする余った座席券を売る人から開演直前に行きゲット。それでもダメなら当日券売り場へ行き、席種は問わず観れればいいとあきらめの境地で観た。

最近は教えて貰ってJRみどりの窓口で一般発売日に並んでゲット。これ以外に楽ですが14列目以後になる。でも中央近いのもあるからまあまあのお席。先月の月組はJRでは取れなくて、オンラインを始めて試して見たけど、まあラクチン。2Fでしたがセンターの3列目で見易かった。クレジットを使えば自宅で印刷できる簡便さ。

でもっと楽をしようとコープの個配カタログに弁当付きで発売中の宙組をを一度試したら、抽選で当たったのはいいけど2F上手の1番。なんぼ何でも一番端っこて未経験ゾーン。多分観にくいやろうね。一度1Fの上手2列目の2番で見たけど、近過ぎて下手がよく見えなくてダメ。

先日の雪組先行オンラインで試したら2Fでしたが、月組のと全く同じ席。まあ見易いし、聴きやすかったので満足。ジイジいになると場所によるとセリフが聞こえ難いと言う問題もあるんです。でも人間一度楽をすればあかんね。今後はどうやら2Fのセンターならオンラインでと言う一番楽な方法に定着しそう。

 

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インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)中部編②

2017-08-15 10:43:33 | 海外旅行

到着したシャイプールは別名ピンクシティーと言われるラージャスタン州の州都。きちんと都市計画された街並みにピンク色に彩色された2階建ての家並みが続く。シティ-パレスを見てホテルへ。ラジプタナ・パレス・シェラトンは4階建てのどっしりした造りで、内部も豪華で清潔。片隅にイスラム教のお祈りをするコーナーがあった。夕食はインド料理だってけれど余り辛くなかった。清潔、静粛、快適で快眠。 

シャイプール シティパレス 月の宮殿

シャイプール シティパレス ディワニカース

翌朝。皆様方インドの清潔度に認識が変わったのか、朝食は果物始め、ヨーグルト、ジュース等ためらわずお召し上がりに。それと洗顔洗髪もしたとか。見た目お湯の透明度はこの間のNYシェラトンよりはるかに綺麗だし、熱い湯がたっぷり出てもう満足の入浴。 

今日、12日はまず朝日に映える「風の宮殿」へ。5層の建物だが実際は壁面があるだけの張りぼてみたいなもの。前面に透かし彫り様に窓枠がうがたれ、王宮の美女達が通りや、お祭りのパレードなんかを見るために造られたとか。でも予算不足で中途半端に終わった感あり。結構有名な場所なのに道路沿いにあるためか無料。建物1階の一部に車の修理屋が陣取ったりしているのもインド式? 

シャイプール風の宮殿

当時はまだ世界遺産で無かったのか、一部に車の修理工場が?唖然!

後は農村地帯をつき切りアグラ城へ。途中世界遺産の一つ、ファテーブル・スイクリに立ち寄る。一度はムガール朝の首都だったことのある遺跡だが、短期間に建設され、直ぐ捨て去られた都だったとか。

ファテーブル・スイクリ遺跡

アグラ到着後は市内を車窓から見学しつつ、今回の目玉。かの有名な世界遺産タジ・マハール宮殿へ。流石に観光客、特にカラフルなサリーに包まれたインドの女性のグループが目立つのは「ロマンス」に彩られた建立秘話の所為だろうか。 

シャー・ジャハーン皇帝が、先に逝った愛妻妃の為に、22年の歳月と巨費を使って建立した、総大理石造り、完全左右対称の白亜の宮殿が大空を背景に屹立する様は一見の価値ありと思う。我々の到着時間は4時頃だったので、徐々に太陽に赤味が増し、壁面が彩られて美しかった。後早朝、月下の風景も素晴らしいとか。 

タジマハール廟正門 

これぞ かの有名な世界遺産 タジ・マハール廟

この後居城だったアグラ城へ急行。そこからジャムナー河を隔てて見るタジ・マハール廟も美しい。ここで神戸から来た一人参加のオッサンが行方不明に。それまでも何度か探す場面はあったが、今回は間もなく閉館なのにどうしても見当たらぬ。ガイド二人と城の警備員総出で探し、お城の外れで物思いにふけって???いるところを発見された。

かっこ悪いのか、すねたのか、この方夕食には参加しませんでした。宿泊したムガール・シェラトンは広大な敷地に2層だけの造りのどっしりした建物で設備もよくモウ一度泊まりたいランク。但し今回は全て郊外の静かな場所に立地しているので市内に一人で出かけるには遠すぎたのが残念だった。

アグラ城 これ借りモノです

アグラ城 ジャスミンの館

ジャムナー河越しに見る夕日映えるタジ・マハール廟

アグラ城内

 

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インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)中部編①

2017-08-14 14:27:51 | 海外旅行

 中部インド旅行記(2000.12.10-15) 

これは2000年当時書いた旅行記だから現在は何処も大きく変化していると思う。又写真はフィルム写真をスキャンしたもので不鮮明だと言う点お許しを。

今回の旅はほんとに短期間で、訪問先もほんの一部分。とても「インドへ行った」なんて言える代物ではありません。実際に街を一人で歩くことも殆ど無く、大部分がバスの車窓から垣間見ただけですから多分に誤りがあるかも判りませんがオユルシオ。 

よくインドに関して「悠久の大地」とか「どうしようもない貧困とカースト制度」、「ガンジスの沐浴と散灰」、「とてつもない群集、雲助タクシ-、狡賢い商人とバクシ-シ(物乞いの類)の洪水」等を想像する方が結構多いようですが、ソレは未だに異国人が日本を「富士山 & 芸者」で位置付けるのと似て非なるものと言うのが実感です。 

実際都市部(ニューデリーやムンバイ)は、かつてイギリス植民地であったという事は紛れもない事実だけれど、立派に計画された有数の大都市だったし、人々の服装や住居も他国に比べてそんなに遜色のあるものではないという印象でした。結構新品のバイクや自転車が見られたしタクシーや乗用車も綺麗に磨かれてアメリカやヨーロッパよりはるかにまし。 

事実貧困は存在するし、どうしようもないスラムも散見されました。でもアレ究極の省エネですね。誰かがゴミを路傍に捨てる。あっと言う間にまず使えそうなもの、燃えるものは人間が持ち去る。後は牛、猿、カラス、すずめ、羊、犬等が群がって、あっと言う間に食べる。残るのはビニール類のキレッパシだけ。化学製品なんて無かった時代ではコレデ綺麗さっぱり自然回帰が出来たわけだろう。 

一級国道に該当するような道路に、牛馬はおろか、サル、羊、山羊、水牛、ラクダ、象等がトラック、バス、バイク、自転車と不思議な調和を保って溢れ、僅か五日間の滞在でしたが交通事故は一度も見ませんでした。 

前置きはさておき、行って来ました初めてのインド。でも参加者が少ない時期で団体旅行が中々成立しない。特にインド方面なんかは。何しろ12月初旬は安い。という事で暮れの忙しい時期、12月10日出発、暇なジジババ主体のご一行は19名でした。 

特に男性は一人を除いてどう見ても退職者。女性は20代一組、40代一組を除いて全部が50才以上と見た。今回の収穫はツアコンサン。30代前半と思われるが、言うべきことは言うが、必要以上はでしゃばらず、控えめなのに、テキパキ。清潔感溢れる女性で、今まで行ったツアーの中では最高の女性でした。 

三宮から乗った空港バス。最前列で何やらはしゃぐ老人二人。結局この方たちも同行者でした。集合の時嫌な予感がした二人の内の一人でもあった。あと一人は一人参加のオバサン。のっけから金を払わずに「添乗員さん、目が悪いので小さい字読めないから出入国カード書いてくださる?」と甘え声。ツアコンきっぱりと「有料の方に悪いから出来ません!」と拒否。 

僕の隣席はババさん寸前のオバサン。でも旅慣れているようだし、同行の男性の世話も焼くので忙しく、余り関わりにもならず、旅経験自慢、孫自慢もしないので助かる。でも話を聞くうち彼らは旅トモ、山トモで実夫婦ではない模様。もう一人の一人参加の75歳ジーサマは「阪大工学部出身」と聞かれもしないのに宣伝。でもそれで、何で「スーパー」やってたのかな? 

件の一人参加のオバサンは早速「窓際に変えて」とおねだり。ツアコンきっぱり拒否。以後コレを数回繰り返す。アキレタ。なんだかんだで約7時間余のフライトで最初の寄港地ムンバイ(旧ボンベイ)へ全日空機は無事到着。 

インドはパキスタンと敵対関係にあるからとて、国内線乗り継ぎのセキュリティチェックの厳しいこと。でもソレは回数(5回)だけで、中身は適当。マア人手は十分ある国だからかな?それとも立派なワークシェアリングなのか?なんだかんだで遅れて、10日の目的地デリー空港に着いたのは深夜0時。 

所がご一行中2組の荷物がひび割れて、ソノ補償交渉に手間取り、空港を離れたのが1時。結局ホテルには深夜2時頃着いた。アアシンド。そこでツアコン実力発揮。約10分足らずでチェックインを終わり。鍵を手早く渡す。拍手! 

ホテルは30階建てくらいのインターコンチネンタル。部屋は立派で、ミネラル2本と、果物のサービスつき。僕は17階だったけど、犬や車、汽車の音が何故だか直ぐ傍に聞こえ眠りつけず、ウトウトしたら直ぐに6時のモーニングコール。もうサイアク。 

何しろ今回のインド旅行は事前に色々ご注意がありすぎた。で皆さん少々センシティーブ。例えば歯磨きや、うがい、洗顔までミネラルでした方がよいとか、果物や、生野菜、アイスクリームは避けた方がいいとか。これではいくらなんでもインドの方に失礼だ。マア注意するに越したことは無いけれど… 結果最初の朝食は皆さんとても慎重で、ミルクや卵類にも手を出さなかった。 

さてバスに乗りこむ時、例のオバサン後から来てさっと割り込み、一番前はガイド用と言われていたのに意に介さず一番前の席へ陣取る。勿論ツアコンがご注意しぶしぶ2列目に移動。車窓から見るニューデリーは立派な街路が続き、建物もそれなりに立派で、何しろ緑が多い。 

昨夜空港到着直後暗闇で見たスラムの印象とは大分違う。ただ聖なる牛チャンが我が物顔にあちこちたむろする原風景は健在だった。今日、11日は古都シャイブールへ。幹線道路だがあちこち工事中で、ブーゲンビリアがチョコチョコ咲いている分離帯なんかに時々出くわす。 

兎に角舗装はされている、やや広めの二車線道路なので、追い越しをしなければスピードがあげられない。で運転手君は鋭い警笛音を鳴らしつつかけ抜ける。同時に助手君は反対側から相手車両にご挨拶という手順。結構譲り合いの精神は持ち合わせているようだ。 

ちなみにバスはインド国産だそう。外観はソコソコだが、どこかに隙間があるらしく、隙間風が入ってくるし、騒音が直に聞こえる。何故か客席と運転席は頑丈な仕切りで隔てられていてまるで囚人の護送車見たいで客席から前方が見えない。乗り心地はまずまず。理解できないのは、観光バスなのに窓枠がそこかしこにがっちり組まれ、丁度目線のところに太いのが一本視界をさえぎっている。インド人はそんなに胴長なのか? 

車窓から見る農村風景は、秩序だった田畑を見慣れている目には、未だ粗放農業の段階に見える。インドの農村人口は総人口の60%とか。現在(2000年当時)人口10億との事だから6億が農業従事者だと言う。何だか空恐ろしい。コレが貧困の中でも決定的な飢餓が発生しない秘密かも… 

道路はマア大変。トラック、バスを筆頭に乗用車、バイク、自転車がからむ。でもぎっしりではない。ソレを縫って、まず人間、牛、ラクダ、羊、山羊、サル、犬が入り乱れる。殆ど放し飼い状態に見えるのに、どうして飼い主は区別するのだろうか?逃げないのだろうか?不思議なことに馬と猫が殆ど見当たらない。牛のウンコが丸く押しつぶされ燃料用なのか壁に貼り付けられて日干しにされているのがここかしこで見られた。 

後感心したのが農産物を積んだトラック。もう満載なんてものじゃない。大きな袋状のものに詰め込んだ農産品を、丁度ロバやラクダの背に振り分け荷物よろしく積む荷物の様に、トラックの左右にだらりとはみ出した形で乗せ、更に上へ積むと言う、考えられないくらいの過積載。それでもひっくり返らないのはそういう風に作られた特別仕様のトラックなのか。 

そうこうする内に、今日の目的地ジャイブールの北9kmに位置する山城アンベール城に着く。老人グループを慮ってか?象のタクシーに乗せてくれる。僕ら4人の乗ったのは一番だったのに後の全部に抜かれてもなおも悠々としたペース。御者は頭に来ていたが…ここでも象さんのウンコは即肥料になるみたい。 

物乞いの類は殆ど見かけない。例によってまず物売り集団が殺到。城に着くまでひっこく迫る。上に近づくにつれ¥1000で売る個数が増える。流石ベテラン?の多い今回のメンバー誰も買わない。城の内部へ入る直前がクライマックスで一斉に値下げ。何名かの方は根負けして買った模様。後で判明したが敵もさるもの、個数を増やして値下げしたかに見えたが、ホテルで確認したら、個数が足リなかったり、木製がプラだったり、きちんと縫製出来ていなかったり。 

万里の長城のミニ版のような城壁が山並みを縫いかつては州都であったとか。暑さ対策で上手く風の流れを利用した構造が目を引いた。「鏡の宮殿」と称する部屋では一旦暗くして、ろうそくの灯ではめ込んだ鏡のきらめきを見せたりする。

 

象のタクシーで登城

色んな物を売ってました

象のタクシー乗り場

 

城壁はずっと上まで続く

シャイプールへの途中水上宮殿を見た。湖の中に浮かぶ一見夢のお城と言いたかったが、近くで見ると水はけが悪いのか殆ど汚水状態。水草がびっしりでお世辞にも住みたいとは思わない。これでも暑い時期には心地いいのだろうか?

水上宮殿

笑ったのはバスの中である女性、夕刻近く外を見つつ「やっぱりインドは貧しいんやね。電灯が少ないからか街が薄暗いわ」と仰る。で「窓ガラスは濃いめの色ガラスだからチョット開けて見たら」とアドバイスしたら「あらッ イヤー アカるうー」とえらい驚きよう。まあ旅の見聞記なんてこう言う事も多いと言う一例。

 

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