伊能忠敬…と聞いて、まず思い浮かぶのが
日本の地図を作った人でしょう??!!
江戸時代、足で歩いて、初めて日本地図を作った…これくらいしか知らないよ。
アレだけ、聞きたい、聞きたいと熱望していた『大河への道』
やっと、念願かなって7月17日の本多劇場で、聞かせてもらえることになったのだから…
ちょっと自分でも勉強してみようかと…
志の輔さんが、このお方にほれ込んで、4年かけてこの新作を作ったその気持ちが分かるくらい
魅力のある人なんですわ
千葉県九十九里の生まれで、18歳の時に
酒造家の伊能家に婿養子に入り、その当時衰退していた家業を、倹約に努め
また、まき問屋を江戸に設けたり
米穀取引きの仲買いをして、約10年で経営を立て直し
1783年の天明の大飢饉では,私財をなげうって、地域の窮民の救済にあたり
その功で、苗字、帯刀を許される事になった。
50歳の時、家業を息子に譲り、隠居の身に…。
人生50年と言われた時代に
なんと51歳の時、若いときから興味を持っていた天文学を学びたいと
江戸に上り、天文学者・高橋至時(よしとき)に、入門を希望!!
その時、高橋先生は32歳、弟子は51歳!!
測量の最初の狙いは《地球の直径はどれくらいか?》という、疑問から出発して
《北極星の高さを、2地点で観測して、見上げる角度を比較することで、緯度の差が分かり
2地点の距離が分かれば、地球は球体なので、外周が割り出せる》と、提案
この2つの地点は、遠ければ遠いほど、誤差が少なくなると、師弟は考え…江戸から
はるか遠方の蝦夷地まで距離を測ればどうだろう…と。
この時代の数学は、なかなか優れていたんだよね
サイン、コサイン知っていたんだね!!
いよいよ、江戸を出発したのが56歳すぎ、まず東日本側を昼は、雨の日も風の日も歩き続け
夜は夜で、天体の観測で、その位置を確認し、誤差を計算し…3年後、江戸に戻って、東日本の地図を作り
本来の目的である、《地球の大きさを計算》し、それもビックリするくらいの正確さで割り出されたという!!
進呈された地図のあまりの正確さに、その後は幕命をうけ…17年かけて、全国踏破を果たした、その不屈の精神力とパワー
すごいでしょう!!!

もう、ビックリだよね。
門前仲町の富岡八幡様の境内に、伊能忠敬の像があるらしい
いつの旅立ちの時にも、この八幡様に参拝してから出発をしていたとか!!

落語友の皆さん、本多劇場に行く前に
八幡様をお参りして、この伊能像を拝んでから行きましょうね
こんなに近くにあるんだもんね…これも何かのご縁では?
すごいい人だね


足で、地球1週くらい歩いたんだよ
道路事情だって、悪かった時代、江戸時代にだよ!!
脱帽