「飯岡土人形」飯岡郷土資料館での調査
阿嶋啓治さんから土人形の木型を郷土資料館へ寄贈したという話を聞き調べて来ました。三つの型と鎌田忠治先生が同じく寄贈した土人形10体がありました。
何れも写真のとおりガラスケースに収められていましたが残念ながら時間の経過か彩色に劣化が見られました。なお、右端の猫人形は寄贈者不明と記載されていました。
いままでのところ12体の土人形を確認出来ました。これからも調べて行きながら復刻へにの方途を探って行きたいと考えています。
ケースの中の土人形
阿嶋啓治さんから土人形の木型を郷土資料館へ寄贈したという話を聞き調べて来ました。三つの型と鎌田忠治先生が同じく寄贈した土人形10体がありました。
何れも写真のとおりガラスケースに収められていましたが残念ながら時間の経過か彩色に劣化が見られました。なお、右端の猫人形は寄贈者不明と記載されていました。
いままでのところ12体の土人形を確認出来ました。これからも調べて行きながら復刻へにの方途を探って行きたいと考えています。
ケースの中の土人形
先ごろ、飯岡土人形が保存されている飯岡郷土資料館で調べて見ました。土人形9体と型枠3個がありました。その内型枠は木でなく土で作られいわゆる土人形とは異なっていました。
11月15日に旭市に在住する武多和喜一郎氏の甥にあたる竹多和フクさんに聞き取り調査しました。
戦前は雑貨商を営み雛人形を作り広く販売していた。戦後は家具店に商いを変え現在に至っているという。
従来から「飯岡土人形」は明治から昭和にかけて今戸焼や芝原人形を祖型にした大中小の3種が房総地域で販売され「ドガミシモ」と呼ばれていた。
資料によればかっての飯岡町で桃の節句に飾る雛人形の多くはあまさけや製の土人形であったという。
「飯岡土人形」に関する資料として昭和48年10月に千葉県で開催された国体で県の民芸品の展示したものが飯岡町史の中で残されている。
現在、郷土資料館資料館に保存されているものはこの時に展示したものと思われる。
きっと、家々の倉庫?にしまわれているものもたくさんありそうですね。