山里から春の山菜-1
今年の春はワラビ、サンショウ、アシタバ、タラノメ、ウド、タケノコ、ヒメタケなどの山菜を献立に載せた。これには匝瑳市で無農薬の野菜などを手掛ける通称「にんじんや」さんからの届け物に負うている。
地魚料理は鮮度という時間に労を掛けて存立する。これに比べ山菜料理は旬という時間とあく抜きに労を厭わぬことを思い知らされた。仕込みの効率化を日常として来たこれまでの有り様をすこし見なおしに迫られたといってよい。
天ぷらなどはあくの強いものを除けば調理に労を掛けないで済む。一方あくが強いものほど野生とは<あく>の深みの度量と考えれば、野性味を残しながら保存食の系に準じた料理方法で応えるしかなかった。
醤油、酒、味醂、砂糖などの調味料で味を整え試食、献立に載せてみたところ概ね好評を頂いた。
今後について考えてみた。山里から産出される山菜の料理を地域の見直しに例え試行して見たとする。
一つに従来の保存食の系とこれと異なる調理方法を創りだすこと、もう一つは産出する場と生産者の明示にかかっている。次にこれらに興味を持つ調理人の発掘である。
今年の春はワラビ、サンショウ、アシタバ、タラノメ、ウド、タケノコ、ヒメタケなどの山菜を献立に載せた。これには匝瑳市で無農薬の野菜などを手掛ける通称「にんじんや」さんからの届け物に負うている。
地魚料理は鮮度という時間に労を掛けて存立する。これに比べ山菜料理は旬という時間とあく抜きに労を厭わぬことを思い知らされた。仕込みの効率化を日常として来たこれまでの有り様をすこし見なおしに迫られたといってよい。
天ぷらなどはあくの強いものを除けば調理に労を掛けないで済む。一方あくが強いものほど野生とは<あく>の深みの度量と考えれば、野性味を残しながら保存食の系に準じた料理方法で応えるしかなかった。
醤油、酒、味醂、砂糖などの調味料で味を整え試食、献立に載せてみたところ概ね好評を頂いた。
今後について考えてみた。山里から産出される山菜の料理を地域の見直しに例え試行して見たとする。
一つに従来の保存食の系とこれと異なる調理方法を創りだすこと、もう一つは産出する場と生産者の明示にかかっている。次にこれらに興味を持つ調理人の発掘である。
いわゆる山菜に比べて料理に用いられる砂浜や磯辺の植物を「浜の山菜」とも呼ばれている。飯岡周辺の浜ではツワブキ、ハマダイコン、ハマエンドウなどを見ることができる。わたしの敷地内にはアシタバ、ツルナ、ハマダイコン、ツワブキが自生している。
その他にオカヒジキ、ハマボーフーなどは今から20数年前に浜から姿を消している。
海岸に自生していた飯岡海岸のハマヒルガオは津波でほぼ壊滅した。今年の春になって、工事地区以外ではあちこちにハマヒルガオが咲き始めた。
下永井から屏風ヶ浦の浜に足を運んで見よう。厳しい環境に打ちかって昼は開き夕べには閉ざす可憐な花が咲き誇っている。今月いっぱいが見ごろである。
飯岡から九十九里の浜を歩いてみても浜の代表的名植物であるオカヒジキ、ハマボーフーは見ることが出来ない。ほぼ人工的海岸に覆いつくされた結果といえる。
今から20数年前、飲食の生業を始めた頃に地のものを献立に載せたいと考えオカヒジキやハマボーフーの栽培を試みたことがあった。
その頃、野栄町(現匝瑳市)にあった県の砂地野菜研究所に出向き栽培の手ほどきを受けた。所長さん(名前を忘れた)は快く栽培方法を教えてくれ種を譲って頂いた。
春に種を蒔き、秋に種と採り4,5年ほど繰り返したが増やすことに至らず自然消滅に至った経緯がある。その頃、スーパーに人工的な栽培によるオカヒジキ、ハマボーフーが店頭に並び始めた。