おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

四万十川

2025-02-13 10:58:37 | 映画
「四万十川」 1991年 日本


監督 恩地日出夫
出演 樋口可南子 小林薫 山田哲平 高橋かおり
   石橋蓮司 菅井きん 佐野史郎 小島幸子
   ベンガル 絵沢萠子 中島葵 奥村公延 芹明香

ストーリー
四万十川流域に小さな食料品店を営む山本家。
一家の主、秀男は出稼ぎに出ており、妻のスミが店を切り盛りしていた。
ある日、秀男が出稼ぎ先で大怪我をして宇和島の病院へ入院することになり、長女の朝子が集団就職をやめて家へ残ることになる。
五人兄弟の次男で小学校三年生の篤義は、クラスのいじめられっ子だったが、くじけず元気に成長していた。
夏休みも近いころ、篤義の学校で鉛筆削り紛失の事件が起こった。
その犯人に、やはりクラスのいじめられっ子である千代子が祭り上げられ、そんな彼女をかばって自分が盗んだと名乗りあげる篤義。
だが実は心の中で千代子を疑っていたことを悟った篤義は言いようのない嫌悪感に襲われた。
夏休みが過ぎ、二学期が始まった。
教員室に呼ばれた篤義は、井戸に小便を仕込んだと覚えのない濡れ衣をかぶる。
実は学校で「いらん子」といじめられた友達の太一が、相手の家の井戸に小便をしたのだった。
その気持ちが痛いほどわかった篤義は太一と一緒に処罰を受ける。
数日後、秀男が退院して家に帰って来た。
それと同時に朝子は町に働きに出ることになり、皆が朝子を見送る中、ひとり四万十川を見下ろす山頂に登った篤義は、朝子の乗った列車を見つめながら泣いた。
それからしばらくして、四万十川流域に台風が直撃。
篤義たちは危うく難を逃れたが、家も店もつぶれてしまう。
さらに何日か経ち、秀男は再び出稼ぎに出る。


寸評
清流「四万十川」に滅した貧しい家庭の少年物語である。
僕が育った村はこれ程の田舎ではなかったが、それでも似たような所があった。
家の前には川が流れていて、そこで釣った鮒やモロコは食材にすることが出来た。
数は少なかったがウナギも居て、夜に仕掛けをしていけば翌朝に獲れた。
大きな池があり、農業用の小川も流れていた。
小川の土手には柳が植えられていて、まっすぐな枝を切って皮をはぐと真っ白な枝となり、絶好の刀になった。
遊び場所はいっぱいあるというのが田舎の風景だった。
篤義たちが四万十川で鰻を獲ったり、魚を捕まえたりしている姿は、僕には郷愁をそそる行為である。
台風が来て前の川が増水すると、たちまち床下浸水であった。
台風が去ると役所の人が来て床下を消毒してまわる。
昭和30年代だとまだまだ日本国中が、都会を除けばそんなだったのだと思う。

石橋蓮司の先生はひどい教師だ。
目を付けられている篤義は何かにつけて犯人扱いされ、石橋蓮司は弁明の機会も与えない。
疑わしい子のランドセルをいきなりひっくり返して中の物をぶちまけている。
この先生の下では生徒は育たないのではないかと思ってしまう。
ダメな大人の代表者のようだ。
今見ればそう感じるが、当時はそんな先生も大勢いたような気がする。
先生の仕打ちに文句を言ってくる親もいなかった。
もしかすると、親たちもそれどころではなかったのかもしれない。

篤義は勉強が出来ないようだが義理人情にはあつい。
共犯者としてでっちあげられても、篤義なら一緒に叱られてくれると思ってと言われると責める気もしない。
小便を井戸に入れた家は金持ちの家だったのだろう。
たぶんガキ大将はその家の子だ。
篤義は金持ちの家の子なら何をやってもいいのかとくってかかる。
最後に篤義が言う「金が魔物になったとはどういうことなのか」に通ずる。
人力でやっていた作業は機械化されていく。
篤義の友達は故郷を棄てて出て行かざるを得ない。
清流「四万十川」に面した村は近代化の波に流されていく。
ここにあった自然と人々の人情は守っていかねばならない。
逆に言えば、制作された頃はそれを失いつつある時代だったのだと思う。
母親は村の為に店を続けるのだが、村人は台風で荒れた家を総出で修理してくれると言う。
それでも父親は出稼ぎに出て行かねばならない。
長女も働くために都市へ出ていく。
家族はバラバラになってしまうが、篤義はその現実を感じながら大人になっていくのだろう。