車に乗っていて、良く出会うんですが。。。
信号が無い横断歩道で歩行者がいる場合、よく止まって歩行者に譲ります。
その時に、こちらも見ず、どこか前方を1点凝視してわたってく行く人。
それもゆっくり渡っていく人。
ホント良くいます。
この時、この人は何を見ているんでしょうか?
私が見えていない「何か」を見ているのかな?
ってね。
多分そうじゃない。
「見ない事」は「何もない」という事。
つまり、「親切にしてくれている対象」を見ない事で「そんな事実はなかった」という事にしたいのではないかと思うのです。
こういう人って、普通の生活でも「人の親切」を足蹴にしているんだろうなと思います。
逆に損しているのにな。
まあ、そういう人にとって周りを見ることが「情報過多」になっているのだろうと。
周りの状況全てが、処理できない量の情報になっているんじゃないかな?
今どきの人って、処理できる情報量が「すこぶる」少ないのでは?
そんな気がするんです。
見ていない事は、「無かったこと」になるのでは。
これと同じことかな~と思う事に「歩きスマホ」ってのも同じではないかと思うんです。
一般的に歩きスマホって、スマホに集中して周りが見えない状況になっているって言われますが・・・。
ひょっとすると、スマホに集中することで「処理できない周りの情報」を遮断しているのではないかと。
処理できないので「無かったこと」にしているのではないかと思えてならないです。
理論が逆で「集中している」から「周りを見ない」のでは無く、「周りを処理したくない(できない)」から「スマホに集中」しているのではないかと。
無かったことにしてしまえば、何かあっても「知らなかった・・・ので私は悪くない」って理論にしたいんだろうな~。
人を殺めた人が「殺すつもりはありませんでした」とか「死ぬとは思いませんでした」と同じ。
知らなければ(知らなかったふりをすれば)「何をやっても良い」という理論じゃない?
ひどい話です。
どこまで人間を落とせば、こういう考えになるのでしょうか・・・。
逆に、横断歩道でずっとこっちを見て、渡りもしない人も困るんですけどね。。。
もっとコミュニケーション取った方が良いですよ。
あと、政府も「少子化対策」ってやっているけど、まずは「教育改革」じゃないのかな。
もし、アニメ「PSYCHO-PASS」のドミネーターを向けられたら、どれだけの人間にNGを出されるのだろうか?