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服飾ファッション危うし X 中国確かに侵略された3?

2024-09-07 | ファッション
天津での義和団の活動で有名な根拠地は道教の施設だった「呂祖堂」。
皆さんこちらで武芸の鍛錬を重ね、司令所を兼ねていたとの事。(現在は記念館)
彼ら・彼女らの武器は刀と槍など、相手は銃、後に大砲ですので、
とうていタイマン(一対一での勝負)では勝ち目は毛頭ありません。
又、義和団の戦闘服(インナー)なのですが「刀槍不入」(敵の攻撃を通すことがない)
と云うお呪いをかけていたとの事。これには決死の覚悟が窺われません事?
天津もアロー戦争で結ばれた「北京条約1860年」にて英・仏の租界を設置されていました。
その後1895年独、1896年日の租界設置以来、天津の民衆は行き場のない怒りを抱えいた
状況から一つの思いに突き動かされ義和団に賛同・参加をしたのかも。
天津の義和団員は4万人を超えたとも云われてます。
義和団の急速な拡大に対し大国(列強=great powers)等は清朝に収拾を要求。
虎の子の西洋式軍隊を率いる袁世凱軍は義和団を取り締まり・鎮圧に。
義和団は列強と清朝、両方相手にしなければならない状況に。
ところが、この後ある事件を契機に一変するのです。
その事件は列強の「大沽口砲台(タイココウ)(現天津市浜海新区)」攻撃事件。
大沽口砲台は都・北京を守る玄関口、船で来て北京に向かうのはここを通過し川を渡り
天津の街から上陸する以外、かの時代方法がありません。北京から最も近い海に造られた
大沽口砲台は清朝時代、海上から来襲する者への守りの要。
特にアロー戦争以降、外夷の侵攻に対抗する最終防衛線として機能していました。
列強は何てことか、清朝にこの大事大事な大沽口砲台の明け渡しを突如要求するのです。
明け渡し要求理由は
義和団の勢力拡大で安全確保が必要、海上と陸上も自由に行き来したいから。
余りにも自分勝手で理不尽な要求では?
これに対し、袁世凱軍は当然拒否します。
それに対し、列強の艦隊は艦砲射撃で砲台を攻撃・破壊するのです。(6/17)
*列強の艦隊(英・米・仏・独・伊・墺・露・日=8ヶ国連合軍)
守りの要、大沽口砲台陥落を受け、清王朝は8ヶ国連合軍に宣戦布告するのです。(6/21)
 続く。(義和団は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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