そもそも余暇活動というのは日常から解放されたいからいつもとは違う時間の過ごし方を求める行動ではなかろうか。
自分自身も毎日の仕事や日常の雑務から逃れたいと思うことが多々ある。
通勤時の電車や、スーパーでも買い物もそうだ。
仕事だけでは無い。
日課も同様である。
朝昼晩の食事も毎晩同じ食卓で少しだけいつもと違う材料で食べてもなかなか気分は変わらない。
だから、外食をする。
夕飯をとる場所が違うし、食べるものも違う。
当然、お金もややかかる。
だから、それだけのお金を使ってでも余暇活動としての外食をする。
余暇活動と言う概念よりも一条からの逃避とも言える。
そこに気分の変化があり、何か新しいものが自分を心地良くする。
ところで、SNSに於いて多くの人がスマホやパソコンからログインをしている。
You Tube,ブログ、ツイッター、LINE, Instagram、TikTokなど沢山ある。
多くの人が出入りしている。
インターネットの世界はすでに市民権を得ている。
そうなるとそこには多くの時間を費やす日常が現れる。
私がSNSを知った頃は現実社会から逃避するためのネット環境だろうと思っていた。
でも時代はすでに日常の社交場になってきてる。
そして、そこでお金儲けもできるからすでにインターネットの中は現実の社会となってる。
肉体を伴わない現実社会である。
なので、仮想通貨が仮想ではなく物体を持たない実通貨になった。
当然、そこで行き来する人間関係も現実社会となった。
外観は見えないけれどそこに生きている人間が存在する。
人と人とが交わる社交場には日常の人間関係があるから嫌な出来事も起こるだろう。
人の世界が面倒だから逃げ込んだネット社会、そこも人のいる人の世なのだ。
もう既にそれは余暇活動とは言えない。
人間関係が面倒になったら むしろ、そういうSNSとかではなく、本を読むとか、釣りにくとか、運動をするとかの方がきっと身体は健康になるに違いない。
それでもSNSに入り込みたいという気持ちがあるのであれば、逆に目的は友達が欲しいとか、人が恋しいとかの方だろうな、と思うのである。
それでも、それなら現実の人の方が素直なのではないだろうか。
身体の痛みを伴う実態が目の前にあるからだ。
素直でないのなら、それは自分自身元々が素直でないからだろう。
人は自分のことは関心が強くても他人のことはあまり関心がないから素直になってても対して実害はない。
実害があるとすれば自分自身の強欲から相手が許せないだけなのだと思う。
他人は他人だから。
少々のことは放って於いていいものである。
ただ、SNSの頻度が増すと日常になり、
日常になるとログインしなければならないという強迫観念が出てくるのではないだろうか。
SNSだから無責任に言いたいことだけ言ってトンズラできたら楽だろうけれど、それは社会的な避難を浴びる。
SNSの中からつまはじきされる。
最近のニュースではSNSの書き込みでもちょっとした言い方の間違いがメディアに食いつかれている。
そうなると骨の髄まで貪られるほどの攻撃を受ける。
有名人などは標的にされる。
一般の人でも目立ちかた一つで有名人の仲間入りにされてしまい、まるでオモチャにされる。
なので他人のことをあまり言わない方がいい。
ニュースやメディアの記事を見てると、有名になりたいからログインしたいという人もいるのではないか?と思う。
そういう感覚が出てきたら既にネット中毒という病気に侵されてると思うべきなのだろう。
ログインしなければならない、という気持ちなり感覚は寧ろ、そろそろSNSはおやすみの時期だと認識すべきじゃないか、と感じる。
しばらく気にしなかったら気にならなくなる。
病気はそうやって治さなければならない。
一般的に認知されてるのはスマホ中毒とも言うらしい。
ところで、最近本を読む時間が増えた。
たいした本ではないからここでは言わないけれど、一冊の本を読んでいたら眠くなる。
そしたら、少しお茶でもして、それから別の本を読む。
また眠くなると、ちょっとだけ眠って、それからまた別の本を読む。
時々運動というか背伸びをしたりする。
別の何かを間に入れないときっと寝てしまうだろうな。
その繰り返しで4冊くらいの本を並行して読んで見た。
焦らず時間をかけて、内容が頭に入らなければ何度でも読み返す。
認知能力が低下してるのか元々悪いのか、何度も読み返す。
読む返すとだんだんと書いてることがわかった気がしてくる。
そうすると、なんとなく自分が前進してるような感覚になってとり落ち着くのだ。
小学校で授業が45分刻みだったのは眠くなるからだろうな、とわかったし、飽きない工夫だったんだなと解る。
大学の授業は90分もあるからダメだなとも思う。
本を読み始めてからスマホゲームをいくつかやめた。
やめるという言い方をするほどハマっていたのかなと思った。
そして自分はやはりスマホ中毒者の1人だったんだなと分かった。
Kindleとかもあるけれど、やはり紙の本が一番落ち着く。
以前からあった紙媒体は良い。
なんでか精神的にとても良いと思う。
あらためて精神的にこんないいものが身近にあることを知った。