仕事をしているとほとんど毎日お昼ご飯が午後3時とか4時からになる。
逆に11時からの時もある。
サービス業の宿命なのかもしれないと思う。
仕事の口コミなどを見てると若い人の多くは既にそういう職場をブラックな仕事と思っている人がいるのではないだろうか。
おそらく「そんなんヤダ~」と対応できない人も多いと思う。
そういう人はたいていそういう職場に対して文句を言う。
私の二十代の頃は飯が食えればマシの時代。
ただ、最近は年齢には逆らえないのだろうか、私も食事時を逃すと疲れがどっと出てきて体が動かなくなる。
確か45歳頃から体調がそんな風になったと思う。
その頃の仕事は徹夜続きで、バセドウ病にかかった初期の頃だから心身共に悲鳴をあげていた。
また、土日休みが当たり前と思うのも最近の若い方の常識なのだろうか。
「たくさんの時間を使って仕事をしてたくさん稼ぐぞ」っていう人はいない様に感じられる。
高度成長期と呼ばれた頃は生きることはもっと過酷で、人が嫌がることをして生きることが普通の仕事だったように感じる。
底辺を生き延びてこそ上を目指すことができると思っていた。
なんだったら法の目をかいくぐるくらいの覚悟を持って生きるのだ、そして成功者と呼ばれるのだ、と。
生き方の基準が「しぶとく生きる」というレベルにあったように思う。
これは周囲の人たちには嫌われるけれど構わない。
それでも図太く生き延びる道を選択することなのだろう。
他人に対して忖度するなどという事を否定するに近い。
わざわざ他人を慮っては生きていけない。
社会的に不要な親切は大きなお世話。
最近の流行りの「おもてなし」などしない事。
そういう意味では日本の文化的ではないかもしれない。
お互いにワーワーガーガー言いながら、自己主張を言いながら他人を押しのけて生き延びる。
他人の目を気にしながら控えめに行動するなど以ての外なのだ。
逆説的に感じるかもしれないけれど、先日流行った「嫌われる勇気」の意味合いにはそういう部分も含まれてる気がしてる。
かつての成長期の日本には周りを見る余裕がないから「今、ここ」を精一杯に生きるしかない人たちが大勢いた。
そして、余裕のない生活を必死で生きていた。
ご飯が遅れたなどといってらいられないし、休みが飛んだっていうことはむしろ商売繁盛なのだから喜んでいた。
生活スタイルが贅沢になって、それから労働は8時間以内にしましょうとか言ってるのではないのだろうか。
ただ、年金問題にもあるけれど、若い日に苦労したから老後は年金で生活できるっていう制度も贅沢な考えに思う。
結局は人は死ぬまで働かなければならない。
社会的な労働ができなくなったら、家庭の仕事をすればイイ。
孫やひ孫の面倒を見ればイイ。
庭の草むしりをすればイイ。
庭がないなら道沿いの溝掃除をしろ。
「そりゃあ汚いな」などと年寄りが言ってるから若い連中まで嫌だ嫌だと言う奴らが増える。
溝掃除をしたら周囲も綺麗になるだろう。
それをしないから、世界は汚れっぱなし。
汚染状態が放置されるのだ。
今の人々の生活環境を見たら 贅沢を言うな、と先人達は言うのではないだろうか。
ただ、年齢には勝てない。
勝てなくなったらそろそろ潮時なのだろう、とも思う。
潮時になっても本来は若い人たちの職場を卒業させてくれない世の中は多分不幸だな。