体がなかなか動かない
若い時のように思うように動かないのである
機敏でない
だからノロノロと動いている
頭もこの状態では仕事がはかどらない
言い切ってしまうと仕事にならない
もういい加減今やっている急かされる仕事は切り上げたいと思うのである
ある程度老化をすると若い人が思っているような仕事の効率を求めても実現はしにくくなっている
しかしやらねばならない
どうもそこには無理がある
そもそも現代はテレビ画面の中のバーチャルを見て自分も現実でそういう行動ができるだろうと言う錯覚を持ってしまっているのではないだろうか
会社の会議室の中で「ああすればこうなる、こうすればああなる、だから計画通りに物事が進む」と思っているのではないか
若い労働者が実際に動いてみてできたらそれで充分できることだと思っているのだろう
ところが実際にそこで労働しているのはそこそこの老化したおじさんおばさんたちなのである
そうなると話が違う
自分でテストしてみてできたから他の人も全員できるだろうと言う錯覚がある
車の運転にしてもそうだ
高齢者のドライバーが事故を起こす
最近特にニュースに出ている
ならば高齢者が事故起こさないような車にしなければならないだろう
今は若い人が機敏に運転できる車が普通の車になっている
例えば身体障害者用の車というのがある
そういう車は体の不自由な方が運転できるように改造されている
そういうふうに考えていくと本当は高齢者だから事故を起こすのではない
若い人の中でも身体能力が機敏でない方もいるだろう
老若男女問わずトロい人はいる
そういう人も含めて安全に運転できる車が本当の現代の車になるべきであろう
最近国が労働者の雇用延長だっている
70歳まで仕事ができるように雇用の環境を変えると言う
しかしそれは契約上の問題だけだ
高齢者でもできる仕事を世間の中で形作っていかなければならない
ところが労働能力が落ちてくると生産力が落ちると言う
生産能力が落ちてくると国際的な経済競争にはなかなか勝てないと言う
そこで出てくるのが勝ったとか負けたとかそういうものの考え方なのだ
何に勝ち何に負けるのか
たくさんお金を稼ぐということがそこの中心にある
現代社会は現物の札束あるいは貨幣が中止になったお金ではなくなっている
数字上の保有資産になっている
これを労働力と言うパワーに置き換えてみると人口が1番の資産ではないか
現在世界中の人口で比較すると中国が1番でありインドが2番目である
でも経済力の1番強いのはアメリカである
アメリカはGDPが1番大きいからであろう
GDPは経済力つまり物の移動の能力と言い換えてもいいかもしれない
物々交換が1番たくさんされていると言う言い方でもいいかな
だから日本は国内需要を重視していく考え方が重要視されている
内需拡大である
確かに日本人はある程度裕福になっているからたくさん買ってたくさん使ってたくさん売ろうとする
国内でそれを循環させる能力が非常に高い
輸入の能力ではない
であるならば少々の高齢者の低い経済能力でも循環をさせられるだろう
一人当たりのGDPなどと言う言い方もそこまで重要視しなくて良いのではないか
幸福度が保有資産によって決まるものなのか
あるいは物の価値は裕福度によって変わるのか
であるならば幸福度によって変わると言い切っても良いのではないか
日本人はGDPが世界で第3位かもしれないけれども幸福度が非常に低い
内需拡大を歌うよりもそういった幸福の拡大を歌ったほうがむしろ良いのではないか
かつてブータンと言う国が1番幸福度が高いと言われていた
そのブータンが経済力が高くなると幸福度がどんどん下がってきたという
経済活動、とりわけたくさんのお金が動くことが幸せに繋がるならば
または例えばおそらくものをいっぱい消費してしまうことを目的とするならば戦争すればもっとも消費活動が上がるだろう
甚だしい消費活動であるから
消費活動すればいいと言うものではないだろう
たくさん武器を作りたくさん戦争してたくさん消費をしてそしてさらにたくさんの高額の戦争兵器を作る
それによってGDPが今の10倍20倍と上がってもそれは幸せとは反対の方向に向かっていく
経済と言うものはただの道具として考えるべきであろう
お金を儲けることというのは幸せになるためのたくさんある道具の中のたった1つ
人と人とのコミュニケーションはそれよりももっと重要な道具の1つだと思う
そのあり方が現代ではあまりにも簡単に扱われすぎている
インターネットやスマホの中で簡単に取れるコミニケーションが本当の価値を見出しているのだろうか
体を使い肉声で話し合うことの方がもっと重要なコミニケーションにつながりそれが大きな幸福につながる手段となっていくのではないだろうか
とりあえず外に出て誰かに会う
簡単な挨拶で良い
そのあり方に心と時間をかけて取り組んでいくべきなのではないだろうか
話がどんどん横道 脇道 空の上から地下の下までぐるぐる回っているけれども今の自分の環境、何のために仕事をしているのかを考えてみるとどんどんそういう風に向かって話が進んでいくのだ
いいこととか悪いこととかそういうものの考え方ではなくただ今の暮らしぶりがどうやらすっきりしない、と納得できないのだ
人はそういうことをもっともっと真剣に考えなければならないと思う