少子化が何故進んでいるのか?
それは当然現在、日本国内に於ける出生率が低いのが起因している。
では出生率が低いのは何故か?出産年齢世代(お年頃)の生活の困窮が根底にある。
それと昔は若者の出会いが多くのコミュニティの中で育まれば更に良い環境だった。
しかし、生活が困窮というより子供がいなくても現代の若者は生きて行ける環境であり、生活に費用を当てるのが精一杯な社会だから、それも課題と思えるのである。
何故なら子供がいると教育費用などが高額すぎるのだ。
子供が大学まで行くと数千万円の費用を捻出しないといけない。
そこには教育制度の歪みがある。
教育のあり方がもともと間違ってる。
本当の教育とは大学で雑学を頭に入れることではないだろう。
何故ならば、教育とは生きる力を養うことでなければ価値はないと思う。
企業の学歴重視も問題である。
高学歴の役立たず人間を育てるこの国の教育構造は間違ってる。
むしろ実社会に直結した丁稚制度の方が進んでいた。
江戸時代の方が進歩していた。
退化し続けるこの国は意識を変えないと既にアウト寸前
他にも色々あるが。。。
しかし、少子化に関しては時代がそうさせているフシもあある。
そもそも子供を作る行為は何故発生するのか?
沖縄などではお金があろうがなかろうが子沢山な家庭がたくさんある。
それはそこの環境がそういう家庭を作っているからではなかろうか?
そういう方向から眺めると今のこの国の必要な環境は子供を作って国を発展させることではないところに来ているのかもしれない。
子孫繁栄ではなく、国を超越する思考。
国家がどうとかはあまり価値を見出していない。
命は自然発生したものであり、自然生命は自然に絶える。
しかし情報化した現代の文明を繋いで行くのは誰でも良い、と考えている。
国を考える時に、老舗の旅館が思い浮かぶ。
後継が居ないから、と絶える。
それと同じ。
必要性に従って発生したり絶えたりの繰り返し。
それもまた自然なのかもしれない。
核家族の問題
猿の群れは核家族では無い。
もし核家族が居たら食料を共有し合うチームから村八分になり、餌にありつけなくなるだろう。
猿の家族は大家族である。
猿は一夫一婦制ではないかもしれないが、それでも生存するという意味では人とよく似た生活パターンを持っている様に感じる。
大家族なのはその方が生き抜きやすいからだろう。
一匹狼は大変な苦労を伴うし、
いずれは野垂れ死ぬ。
それで良いならそういう生活をするだけだ。
今の若者の生活はそういう将来を予感させる。
いや、それは未来ではなく既に巷で聞く孤独死そのものを現してはいないだろうか?
孤独死を覚悟しながらこれからの若者は生きなければならない。
AIがどうにかしてくれると思っているかもしれないが、なかなか予想通りの未来は来ないものだ。
予想は希望であって現実とは違うのである。
予想通りになるならば過去に於いても不幸な歴史は起こっていないと思う。
子孫を作れない、少子化は孤独を生み、孤独は不幸を作り出す。
だから今からでも、取り組むべきは生活スタイルの大改善だと思うのである。