66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

言いがかり文化

2024-07-16 18:17:10 | 身勝手な発言集
『たとえば空から槍が降ったとしたら、、、』
などと言うと
「空から槍など降らない。そんな事を言う奴はダメだ!!」
などと、スグに言いがかりをつける文化になってるのが
今のネット社会

いやいや、馬鹿馬鹿しいインターネットの情報をマトモに受けて更にその上行く勘違い論を言い合うマスメディア

最近の情報は嘘ばかり
その嘘も揚げ足取りの切り取り情報だから
『たとえばなし』もできない
『例』など言えない

従って、お笑いが政治をやったほうがマトモになりそうな勢い
だからトランプ現象もあながち頷ける

しかし
その結末は世界で起きてる殺し合いなのだが
それは自分には起こらないネットの社会だと感じているのが今の人の生活

特に日本人は一億総「普通の人」
自分は普通だと思い込んでる
そこからして、狂ってる
それがわからない国民ほぼ全員

しかし、そう言う文化はアメリカからやってきたように感じるが

今後は中国共産党に組み入れてもらって人間の尊厳を取り戻した方がいいんじゃないか(爆)
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色と味の違い

2024-07-16 10:33:50 | 身勝手な発言集
色というものにはピンクやオレンジや赤といった細かい分類分けがある
他にも、それぞれの色において、細かい分類分けとそのネーミングがされている

でも、味は辛いという表現には、カレーという食材の味覚の表現として、その辛さについて、スパイスが辛いのか、わさび辛いのか、からしで辛いのか、などの「辛さの識別」が言葉として成り立っていない

それはどういうことなのか

ただし、色のグラデーションは非常に曖昧で区分けできない部分も必ずあると思う
ネーミングをひとくくりにすると言うよりも、中間色の中間色の中間色と言うようにグラデーションには境目がない

多分、味についてもそうだろう

味だけではなく、臭いについてもそうだし、音についてもそうだ

ただ、音については、音符がある
しかし、音や色と違う部分が辛さとか匂いにはある
それは個人が個人単位で接触あるいは匂いを嗅ぐしかないから
色や音は、行動を伴わなくても、そこの空間で同時に感じることができるものである

ところが、味や匂いは直接に個人自身の味覚機関を使ったり、嗅上皮を使ったりして感じなければならない
そこが区分けができない原因なのか

あるいは、辛さについての定義というものがなされていないだけなのか
いずれにせよ、感覚と言うものは、グラデーションがあって、非常に曖昧なものだ

人は生きる上で感覚が基本になる
その感覚が、個人単位によって非常に曖昧だ
それをひとくくりにラベリングして決めてしまうと言うには、相当な無理がある

でも決めないと共存できない
動物における感覚は、個人単位の所有物となる
ところが、人間に関しては動物とは違って、それを他人と同一化するという行為が存在する
自己統一性とも違う

他者との同調力と言って良いのだろうか
しかしながら、やはり個人と言うものは存在する
したがって、現代社会のように同調力だけが先走って社会を支配してしまうとなると、個人の感覚と言うものを置き去りになってしまう

色を区別するのは構わない

しかし、その色をどう感じるかについては個人のものであると言うことを認めないといけない

感じ方、認識のあり方は人によって様々なのだから

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インターネット、SNSを気にしすぎている

2024-07-16 05:49:37 | 身勝手な発言集
現代人はSNSを気にしすぎている
情報社会を気にしすぎている
むしろ情報社会に振り回されている
いやいや、それこそ情報社会に支配されている

なので、情報化されない現実社会では好き勝手なことをするくせに、一旦情報化社会の中に巻き込まれるような物事に関しては、とことん忖度をする

情報番組やバラエティーに登場しているアナウンサーやタレントやコメンテーターなどはコマーシャルが入るまでとことんおどけている
ところが、その行為のままコマーシャルに入ってしまうことがある
せっかくの行為ががもったいないから、コマーシャル明けにその間のことを様々解説することがある
メディアに載ろうが載るまいが自分は自分でいいものを、時間の中で自分が生きてることを区別する
メディアに載ってる自分とそうでない自分を分ける

みんなに見られてない自分が自分とは認めない
だからみんなに見られてない時は傍若無人な振る舞いでも許される
そう思ってる
みんなに見られることはインターネットの中の世界だから

昔からこっそり嘘をつく行為はあった
でも、それが現実の世界からインターネットの中、SNSの世界へと移ってしまった

つまり、メディアに乗っていることを中心に生きているようなものである
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