そもそも、共稼ぎの定義は2オペレーションと言うけれど、実際には二つの頭で2進行をする事だと私には受け取れる
家庭のあり方は、そもそもが頭は一つでいい
言うなら、お母ちゃんが船頭で全てを把握してることであって、お父ちゃんは唯の稼ぎがしらなだけ
お父ちゃんが稼がなければ子供が稼ぐ
ややもするとお母ちゃんも稼ぐ
しかし、船頭はお母ちゃん
2オペレーションは、稼ぐのが二人だけれど、船頭の影が薄くなる
もはや家庭ではない
組織の体を為さない
別々の共同生活でしかない
従って、生きるための共同生活ならば、昔ながらの大家族が理想的なのだろうと思える
何故なら、稼ぎが多く、船頭はおばあちゃん
おばあちゃんが天皇でお母ちゃんが総理大臣
あとは烏合の衆で構わない
その組織体系を壊したら、別々の共同体のあり方の変化する
今風に言えば、シェアハウスみたいなもの
共生社会、従って、家賃だけの計算上では、マンションの住人はみんな個別の部屋の集まりの共同生活をして、建物のシェアをしてる
自由さは大きいが、家賃は安めに上がる(今の時代はそうでもなくなってるけれど)
家族でビルを建てて、個別に住めば同じこと
2世帯住宅っていうのもあるが、今の時代はやや難しい
何故なら、仕事のあり方が企業や何らかの組織への依存体質だから
仕事が与えられたモノしか無い時代だと思い込んでいる
生きることはお金を中心とした社会の中にしか存在しないと洗脳されてるから
自分で自給自足する意識があれば、何でも出来そうだけれどね
実際に全ての自給自足を個人単位で実行するのは大変だ
だから複数の人間が集まって交換しながら生きるのが本来の社会であろう
そこまで遡って考え直す事が必要になってる気がする
そこで整理すると、仕事とは「今、人が生きるのに必要なことをする」こと
それが本当の仕事だろう
最近、見渡したら、「よく考えたら必要ないことをしてそれを大事な仕事だと思ってる人がほとんど」の様な気がする
「今 不要なことを排除する人」それができる人が求められてるんじゃあないですかね?