最近精神的体力が消えつつあると感じる。
肉体的な体力が疲労すると頑張るチカラも低下する。
よって「もういいや」と意識する。
だから今までの努力してたことも「ここまででイイ」と終わりにしようとする。
それがまだ未完全な状態でもそう思うようになる。
生きることに於いてもそうなる。
しかし、肉体的に衰えた老人でもまだ気力が残ってる場合がある。
そういう場合は見えないところに肉体的な体力が残ってる場合が多いし、やはり身体に宿るパワーが源となる。
ところが、いくら疲れてても残ってる気力というモノが存在する。
もう身体が滅びつつあるのも関わらず、まだ進み続ける意志のある老人を見る。
それが精神的体力なのだろう。
精神的体力。
そこに存在するのはそれまでの時間が築き上げた『何か』。
その『何か』は悠久の時間によって培われた文化とも言える。
今の日本にあるのは短期間で押し付けられた瞬間の西洋文化であろう。
それは戦後か、明治維新くらいから性急に創られた脆い文化だ。
だから壊せば脆く崩れる。
しかし、日本の風土から長い年月によりカタチ作られた文化は強い。
本人たちは気づいていない見えない文化のチカラ。
インバウンドの人気で入国する他国の人たちが見る魅力。
むしろ長い年月で形作られた日本文化を異国人は食べに来てるのだろう。
食べものだけでなく、風土というか、文化だろう。
或いは日本人が持つ気質にはまだまだ昔からの流れがある。
同じに見えて同じではないものがある。
同じにしようとしても同じにできないものがどうしてもある。
例えば、日本のカレーはインドのカレーじゃないし、インドのカレーは日本のカレーじゃない。
男は女になれないし女は男になれない。
人工的な操作ではどうにもならないそのモノの有り様。
それを文化という。
宇宙はそういう構造物であり、そしてそれは過去と未来の時間そのもの。
そこに見えないチカラが宿る。
それを精神的体力という。
古代人はそれを念力と言った。
つまり、そういうことだろう。