明日 息子が大阪に戻ります。
今日は17日。
18日の夕方の新幹線で大阪まで帰ります。
半分冗談で、家族みんなで大阪に引っ越すかい?と言ってみたりします。
半分は冗談で、半分はできることならそうしたい。
私の仕事はパートです。
先日、同期の一人がまた一人会社から去りました。
早々に退職して契約社員に変わっていた1人です。
なので、同期の人間で今も契約を変えて仕事をしているのは自分以外、あと1人だけです。
それもいつまでいるかどうかわかりませんし、同期と言っても年齢は下の人間です。
それも確か今年還暦で未だ独身。
高齢になって感じるのは寿命を数えることと同じで、仲間が1人、また1人消えていくのを数えてるということ。
自分が最後の1人になるまで、消えていく仲間たちを数えるのはさみしい限りです。
寿命のことではないにしても、似た感じを覚えています。
それを感じさせなくできるとすれば、増えていく家族の人数くらいかな、とも思います。
息子の同級生が今年年末に結婚するとのことです。
考えてみれば、私自身も最初に友人の結婚式に出たのも同じ頃の年代です。
息子は先日28歳になりました。
年末に友人の結婚式に出て、少しは気持ちが変わっていけばいいのにな、と思います。
自分自身は友人たちがどんどん結婚して行きましたが、30歳までは まだまだ未婚の友人たちと遊んでいました。
何がきっかけだったのか?と思い起こせば、1人で暮らす生活が崩壊してしまってることを感じて、それで生活の改革がないと、おそらくこのまま死ぬだろうと感じたから。
死ぬか生きるかを、ただ生活してる中で強く感じて、それで結婚をしよう、と思った記憶が残っています。
自然に身も心も変わっていったんだと思います。
息子もそういう変化を感じてくれれば良いのですが。
でも、もし嫁さんを迎えることになった時に、我が家を相手が見て「やっぱりやめます」と言われるような環境ではないか?、と、それも何となく気になりますが。
狭い賃貸マンションに住んでて、当然一緒には住めないし、住まない。
住まないなら、自分たちはその後、どういう生活をするか?
嫁さんの立場としては、万が一の時に頼りになる親が居れば はやはり安心ですよね。
で、今の時代、なかなか生きることが難しくなりつつあります。
どんどん進化していかないといけない。
変化しないことは退化と言っても良いくらいに感じます。
株価ですらまっすぐに上昇することはないです。
もし、変化の方向が下降していても下がり続けることはないです。
もし下がり続けるようなことがあれば、それはかなりレアな環境でしょうから。
普通は上昇と下降を繰り返しながら、最後に上がってるか下がってるか?でしょう。
人の人生は株価と似てて、乱高下を繰り返しながら時とともに進んでいくんです。
安定してるような株でもちょっとした環境の変化で激変します。
読めないから株なのでしょうし、逆の目線で言うと、それは人生と似てるという言い方でもいいんです。
どれだけそれを楽しめるか?
それくらいで良かぁないですか?
でも、自分もただの人、息子のことが気になるのは やはり親心ですね。
同じく同居してる娘のことも気になります。
気になってますが、同居してるとお互いに生活が干渉し合いますから、あまり干渉しすぎると機嫌を損ねて大騒ぎになります。
それも家族のなせる業です。
社会から引退する動機たちもかなり増えつつある今、この先どうやって生きて行こうかと思案するとともに、そこに同伴する嫁さんの立場を意識すると道程を模索しにくくなる自分を知ります。
確かに1人は楽です。
でもそれでは寂しすぎます。
そんなこんなをじっくり考えながら生きてる自分には、瞬間を切り取ったように変化しまくる現代の生活様式は、どうも馴染めませんね。
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