何故 定年退職という制度を受け入れるのか?
その仕組みに何か間違いを感じないですか?
一定年数を過ぎたら仕事をしなくさせる仕組みでしょ。
できる事もさせない仕組みでしょ。
非効率ではないですか?
逆に仕事が出来なくても存続させねばならない労働者社会の矛盾も私は感じます。
「弱肉強食」という言葉の欺瞞。
何故欺瞞か?
それは「弱肉強食」と言う言葉が何か乱暴な物事を連想させるから。
でも、「弱肉強食」と言う言葉は自然界の当たり前を表してると思いませんか?
つまり「弱肉強食」は当たり前のことを言ってるにすぎない。
「弱きを助け強きを挫く」と言う言葉もどこか疑問が残ってました。
強いモノを弱くさせる仕組みも単純には誤りではないんだろうか、と。
言葉の持つ歪んだ印象のことです。
弱いものが強くなる、というのは頑張って強い立場を得た、ということだと感じます。
そうなった時点で既に弱者ではなく強者。
弱いものが弱いまんまで終わらなかったという事でしょう。
今は弱いけれど強くなれた。
逆に今は強いけれど何かの影響で逆転されて弱い立場になった方は弱者という事でしょう。
そこを言葉の力で「弱者はいつまでも弱者の立場」という印象を与えてる気がするのです。
しかし、本当は行為にあまり意味はなく、ただそうなった、というだけ。
勝ち負けは、強い者、或いは強くなった者が勝つ。
以上終わり。
それを言葉にしただけ。
それが「弱肉強食」と言う言葉。
なのに、何か操作的な印象が含まれる。
気持ちを操作されてる様な気がするのです。
だから、違和感を感じます。
奇妙な仕組みを作る前にもっと本質を考える必要があるのでではないか?と。
「仕組み」作成の前に「どうしたいか」がしっかりと整理されずに方法のみを優先させる事が間違いだという気がします。
或いは弱いものを優先させ過ぎると弱い社会になるのが仕組みの中に組み込まれてしまう。
そこには社会の風潮の奥底に深く深く隠れた矛盾が潜む。
矛盾を掘り起こし整理して修正せねば、その社会は崩壊すると感じています。
そういう感じ、印象。
特に今の人の労働者の世界で感じています。
ついでに政治の世界でも感じています。