朝になり腹が減ったら飯を食う。
でも昼ごろになるとまた腹が減る。
かくのごとく煩悩は限りがない。
止めどなく煩悩は押し寄せる。
だからと言って腹が減っても飯を一切食わなければ死んでしまう。
空海さんも最澄さんも経を唱えながら弟子が飯を差し出していたとか、今でも飯をお供えしてるとか聞く。
坊主になってもそうらしい。
お釈迦さんも死ぬまで飯は食ったのか?
煩悩は消えたのか?
悟っても煩悩は消えないのか?
じゃあなくて、煩悩は消えないと悟ったのか?
煩悩って、つまりは煩わしい人の欲望のこと?
いつまでも付き纏う欲望のことではないのか?
消せないならば、あるものはある、と受け入れないといけないよ、と悟る。
食欲、性欲、金権欲などさまざま。
悩みは欲があるから求めるのだろう。
死ぬまで消えないのは必然なこと。
それを悪だと感じることが悩みにつながる。
虫たちや獣たちも同じ欲を持つ。
人だけがそれを悪だと感じて悩む。
いらない感覚だな。
無用の長物だな。
足るを知ると言うが、不要なものだから「足る」ではなく、それはむしろ「ゴミ」だ。
人はゴミを作る。
ゴミはいらないからゴミ。
意識を消せ、と。
それが悟りのたどり着く場所ならば、生まれた赤子のまんまが良い。
難しいことは考えない。
文字も要らない。
計算もいらない。
ただ生きる為に戦え、と。
生きる為に。
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