賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

爆発するのは自分の細胞だろ

2025-02-26 05:42:52 | エッセイ
嫁さんがリチウムバッテリーの輸入品は危険だから使うな、という。
まぁ、不具合が多く、よく破裂するらしいからな。
輸入品だから粗悪品という印象だろう。

食べ物ならもっと粗悪品は危険ではないのかな。
今は輸入品ばかりだ。
まぁ、福岡県内で買う野菜などは近隣のものが多いからまだマシだろうけれど。
しかし、私は岡山の田舎、むしろ山奥の農村で育った。
なので、そもそもの身体はそこの土地で採れたもので最初に形造られた。

田舎だ。
野菜だけではなく、肉は実家で飼っていた鶏だったし、当然コメは自分で作った。
30歳頃までは父親についてまわり、実家の持ち山で木の伐採もしたし、松茸山もあった。
栗畑、桃畑、柿は当然たくさんあった。
兄が生まれた頃は養蚕もやってたとか。
犬がいて、猫、山羊、牛。
山羊の乳搾りをさせられた。
よく後ろ足で蹴られた。
卵は実家の鶏が100羽ほどいて、毎日10個以上は産んでいた。
母親が回収してきた卵をすぐに割って飲んでいたのを覚えてる。
「これがいいんだよ」とか言ってた。
鶏は鶏舎の鳥籠がたくさん並んでいたが、そのカゴから卵を摂る時に鶏が餌だと思って自分の手をつつくのが嫌だった。
それと鶏の鶏糞の処理もさせられた。
まぁ、そのくらいは大したことはなかった。
中学生の頃には農薬を使っていたけれど、堆肥をしっかりと作るために、家の外にある便所の肥溜めから便を巨大なバケツのお化けのようなヤツに入れて担いで運ぼうとしてみた。
持ち上げるだけでフラフラなので、駆動三輪に乗せて運んだ。
などなど、農業をやってたんじゃないかと思われる暮らしが記憶にある。

だから自分の肉体はそういう田舎の土地で形造られてると感じていた。
ところが今は福岡のスーパーでたくさんの輸入品を買う事が多い。
ビニールパック詰のものは中国産という表示が多いが、中の材料はおそらく多国籍だろう。
特にコストコなどを利用することが多くなって、まさに世界中の国のものを身体の中に入れていて、それで細胞が形造られる。

ここは福岡だから大陸から黄砂や不明な大気が飛んでくる。
空気も何だかよくわからないのを吸い込む。
従って、自分の身体は透明な田舎で作られたものの、世界の意味不明の細胞に汚染されてる。

リチウムバッテリーが破裂するよりも、自分の身体の細胞が破裂する方が怖いと思うが、そこは目に見えない。
だから怖さがない。
見えない、知らないと怖くない、という。
そういう出来事はさらに怖い。
むしろ、現代人は、いや現代の日本人は、怖そうなものとか、いかがわしい印象のものから目を背ける。
目を背けて見ない様にする。
それで、世間様に迎合していれば誰からも責められない。
そこを選択する。
本当に蝕まれてるのはどこか?
自分の肉体ではないのか?

最近、百田尚樹の「日本国紀」を再読してる。
買ってから一度読んだが、再度読んでみようと思ったからだ。
私は歴史が苦手だった。
学生の頃は歴史の授業は寝てた。
寝てたからよく先生から怒られてた。
特に日本史のテストは13点くらいが普通。
勉強しない選手権で世界で上位に入るだろう。
それでいいと思ってたし。
まぁ、そのくらい面白くないと思ってたのが歴史だった。
特に日本史。
興味がなかった。
しかし、最近は面白い。
やはり読む本によって随分違うんだろうと思う。
勉強は本とか先生とかで変わるとわかった。

まぁ、それで日本国紀を読んでいたら、昔から世間、民衆の考えは同じだな、と感じてる。
明治維新というけれど、当時の坂本龍馬の時代も世間様は、その時の情報操作で間違った考えを持っている。
先に騙してると言える。
それは上層部の人たちが騙してる。
上層部とはいわゆる権力を持つ人々。
権力は軍事力と財力、そに時代の支配力だろう。
それに立ち向かうのは民衆の中の権力者。
だから、民衆が最上部の権力者にとって変わったらそれからの権力者がまた偏向した情報操作で支配する。
その繰り返しだ。

だから今の民衆、大衆も結局は変わっていない。
人の世界。世間様は今も昔も同じ。
人の心は進化していない。
心に進化はありうるか?
ないかもな。
太古の昔から変わりようがない。
性癖も同じことをしてるなら、暮らし方も同じ、生活感も同じだろう。
違ってきたのは道具だけだ。

これから人が機械になる時代ならばまた話は変わるが、サイボーグ化は今始まったばかり。
誰がそれをやるかは、知らないけれど。

爆発するリチウムバッテリーよりも、爆発する自分の肉体の心配の方が重要な気がする。
まぁ、肉体は変えたくないというダロウけれど。
そうなると結局また人の世界は昔に戻る。
養老先生が言ってた。
化石燃料が無くなったら、暮らしは化石燃料使用以前に戻るだろうな、と。
自分もそう思う。
まぁ、まだ100年くらい先だろうけれど。
第三のエネルギーはまだ見つかっていないから。
現在の石油以外の燃料では今のGPUを支えるだけのエネルギーは作れない。
きっと作れない。
世界図はまだまだ出来上がらない。
世界地図が昔の物に戻る日は、おそらく自分の目では見られないが、想像することはできる。
そして、そのための暮らしを今から準備することはできる。
未来の子孫のために。
でも、その前に子孫が存在するかどうか。
今、随分と不透明だ。

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