週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 老いを悟らされて(善意とは)

2016年09月15日 20時21分06秒 | たわごと(少し硬派に振って)
60歳を過ぎると体力も落ちてくる。
突然の体力の低下では無く、毎日毎日少しずつの変化ですから、日々の暮らしではそれ程自覚する事はありません。
しかし、体力も気力も低下して容貌も老けてきます。
鏡を見ても毎日の少しずつの容貌の変化ですから、それ程自覚できないし、自分自身では気持ちだけは、いつも若い積りでいる。
こころは、全く老いて行きません。
気力に見合った体力が無い事を自覚せず、若い時のままの心なんです。(この様に思う事が既に老いかもね。)

多分、自分が20代乃至は30代の時なら、今の自分を見れば確実に老人として判別するはずです。
でも、自分の心では全く老人とは思っていないのです。
それは、今の若い人が私達の60代の年代になった時、その心が理解できる筈です。
今、理解してくれと言うのは難しいのです。 


いつもの前振りが長くなりましたが、言いたい事の本題かこれからです。

先日、電話で妹と話していて気付かされたのです。
電車の中で席を譲られたとの事。
譲ってくれた人は男子高校生です。
その男子高校生は勇気を振り絞り席を譲る行為に出たのです。
でも、妹は反射的に断ってしなったのです。
席を譲られるとの思いが無かったのか、席を譲られる程老いてみられた事がショックだったのか。
話を聞いてみると、何の思いも無く反射的に断ったしまったと。
その高校生が清水寺の舞台から飛び降りる程の勇気を振り絞ったとの思いにも至らず。
ただ、単に反射的に遠慮してしまったとの事。
後で冷静になると、『そのように他人から自分の老いを付き付けられたのがショックだったのかもしれない。』との自分自身の即ち妹の心の動き。

話していて、私が感じたと事はチョット違っていた。
それは、善意の申し出は何が有っても一旦受けろと、妹に言ってしまった。
勇気を振り絞り心の葛藤を経て勇気を出して行動してくれた事を、遠慮で有れ反射的な行動であれ、その高校生の善意を拒否した事に変わりは無いと思った次第。
素直に善意を受けて居れば、次にも善意では無く普通の行為としてその高校生は行動をとってくれる人になったかも。
それとも、善意など所詮自己満足なんだから行う必要は無いと考えるかも。

良い悪いでは無く、人から受ける善意は一旦感謝の言葉を示して受けるべきではと思った次第。


今日は中秋の名月と言う事で屋根裏部屋から一枚撮ってみました。
只の言い訳ですが、なにぶんにもスマホなので今いちですが。

今から5分前(10:16PM)の撮影したものです。
コメント (2)
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