とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

丸子に行ったら その3静岡おでん編

2023-05-24 | 旧街道あるき

そうだ
     丸子いこう


第三弾はしぞーーーかおでん

駿府匠宿のすぐ横に、「吾作」というお店があります。
以前はここで蓬きんつばとコーヒーを楽しむことができました。今は引退されて、蓬きんつばは駿府匠宿内の「ときや」にその味が引き継がれています。そこもオススメですよっ♪
よもぎです、ヨモギきんつば!!←謎のおすすめ

そして店舗のほうは、「吾作」の店名はそのままに、駄菓子と静岡おでんのお店「吾作商店」としてオープンしました(^^)
昭和30年代~50年代生まれのネイティブ・しぞーか人の人たちならば必ず体験した
「駄菓子屋におでん」
これを楽しめるのは、たぶんもうここだけではないでしょうか。

写真のおでんに、粉かけるのを忘れたまま撮影してしまった!!!
※おでんの粉とは乾燥した青魚(鯖や鰯)の粉末に青のりが混ざったモノでミネラルたっぷり!

子どもの頃、10円、20円のお菓子や鉛筆、お絵かき帳を買いに行き、お店のおばさんが
「よく来たねぇ、はい、これお駄賃ね(^^)」
っていっていただいてしまったおでん(黒はんぺん)。
おでんの粉をたっぷりかけてくれてました
寒い冬はほくほく、夏も当然のようにニコニコもぐもぐおでんタイムしてました。
私はしぞーかおでんに育てられたような者( ̄^ ̄)!!

また多くの昭和の子ども時代、大浜のプールや田町のプール、はたまた市民体育館のプールなどなど、プールの後におでんを食べたおぼえがある人たちがたくさんです。
これは理にかなってますね。冷えた身体を温め、失われた塩分とミネラルを補給!
なんと優秀なしぞーかおでん!

さて、駄菓子屋におでんがあったのは昔の話。
どんどん駄菓子屋さんは経営が難しくなって、お店をたたんでしまいました。

そりゃそうです。駄菓子売上金なんて本当のほんとに雀の涙。
多くの駄菓子屋さんはタバコ屋や生活雑貨、文房具など、「何でも屋」を兼ねていたのですが、それでも現代でやっていけるわけがない。
その点お酒も置いていたり惣菜屋を兼ねていたりするお店は、どうにか生き残ってこれたのだと思う。
経営が難しいのは全然かわりませんが(^^;

でも静岡人として、駄菓子屋とそこのおでんで育った私としては
「やっぱりおでんは駄菓子屋だなぁ~」
と思ってしまうのです。決して居酒屋さんでも屋台でもなく、駄菓子屋さん。
それをかなえてくれたのがこの「吾作商店」だったのです!!
ここは駿府匠宿の一部です。
子どもたちには勿論、大人も存分に堪能できますよ。

てことで、本当のしぞーか体験はここのおでんです(^^)
と言い切ってしまう~

丸子に行ったら その2歴史編

2023-05-24 | 旧街道あるき

そうだ
     丸子行こう


と突発的に行く丸子(^^;第二弾は歴史編(泉ヶ谷地区)

吐月峰柴屋寺とげっぽうさいおくじ

美味しい珈琲で気分が良くなった私は、丸子に来たらほぼ必ず立ち寄る「吐月峰柴屋寺」へ向かいました。
何度もリピートして行くお寺です。増田先生とも行きました
今川氏に仕えた連歌師宗長が創建した……とサラッと紹介されてますが、いろんな所でもそんな紹介ばっかりですが、宗長ですよ、宗長!!
連歌師宗長っつったらあーた、「急がば回れ」を詠んだ有名な人でございますよ。
連歌師っつったら歌を詠んでただけでなく、連歌です、つなげていくのが大変な連歌。
※上の句の「五・七・五」がお題のごとく出され、
 それに下の句「七・七」をつなげていく。代わる代わる「七・七」を挙げていく。
 それが百句に及ぶ百韻連歌は相当なものです(^^)
(歌を詠むこともできない私からすれば、異世界に住む人です)

連歌師とは何者?連歌会とはどんな場?戦国時代の不思議な職業の秘密とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

戦国の世、至るところで合戦が繰り広げられる中、一番辛かったのは巻き添えとなる人々だろう。戦いの最中はもちろんだが、終わったあとの方も悲惨だった。というのも、当時...

和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

 

連歌師は引く手あまただった。様々な武将から歓迎された。
各地を巡っている連歌師が、あちこちの情報を持っていたからですね。
特に宗長はネゴシエーターとしても活躍したようです。

しかも連歌師の第一人者である宗祇そうぎの弟子であり、一休宗純に参禅した人物でもあり、若き日の今川氏親と共に丸子城に閑居した人でもあり…交友関係だけでもお腹いっぱいだわ!
となってしまうような方でした。
その交友関係は、宝物にあらわれています。
後水尾ごみのお天皇より「御寝筆」
足利義政より「分福茶釜」
一休宗純より「鉄鉢」
宗長自筆「百韻連歌」
今川義元より「横笛」
武田信玄より「高麗焼村雲茶碗」・・・等々

柴屋軒宗長という室町時代の連歌師の略歴を知りたい。名前の正確な読みは不明。「急がば回れ」という言葉は... | レファレンス協同データベース

レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築する調べ物のための検索サービスです。参加館の質問・回答サービスの事例、調べ...

レファレンス協同データベース

 

急がばまわれ - 増田カイロプラクティックの事務スタッフブログ

こんなタイトルだと、真面目にクリニックの施術に関してだと思うでしょう。ところがどっこい、所詮ワタクシ桐井が書く記事なのです。そんなわきゃーない(^^;【急がば回れ】...

goo blog

 

宗長の師である宗祇と、肖柏と三人で読んだ水無瀬三吟百韻は連歌の代表作らしい(この記事を書くときに知った!!)
一部読めます(^^)
https://koten.sk46.com/sakuhin/minase.html



そんな有名人がこのようなところでひっそりと、しかし優雅に月を待ちながら、庭作りも丹念に行いながら暮らしてたかと思うと、感慨深いモノがあります。
という思いで、何度もリピートしてしまう。
リピートが激しい余り、受付のお寺の奥さんが高齢になってしまったこともあるので
「あ、何度も来てるので勝手に見て回りますよ、ご案内なくても大丈夫(^^)/」などと言ってしまうのです。
平日で桐井の貸し切り状態を楽しんで、会社のiPhoneで撮影してました。

大満足の帰り道、のどかな茶畑を撮影するのでした

丸子に行ったら その1珈琲編

2023-05-24 | 旧街道あるき
休日、家を出たものの当初入っていた予定がポシャってしまい、ぽっかり空いてしまった。
家を出たからにはどこかに行きたい、どこに行こう…。と考えた結果

そうだ
   丸子まりこ行こう


はいっ(^^)/丸子大好き丸子びいき、何かにつけて丸子ウロウロ・ウォーカーの桐井です(^^)
最初は丸子の鯛焼きでたい焼き食べて散歩して帰ってこようと思ったのですが、ついつい、トイレが有る安心感で駿府匠宿(行き先変更)へ。
んなんと!

桐井イチオシ!!珈琲豆の焙煎&カフェ「COFFEE ROASTER」ができてました!

Cafe - 匠宿

静岡県静岡市の宿場町・丸子にある伝統工芸体験施設です。静岡の優れた伝統工芸の創作体験をご堪能ください。

匠宿 - TRADITIONAL HAND CRAFT ARTS CENTER

 

⬇明るくてスタイリッシュ、いい雰囲気の店内

⬇コーヒーはハンドドリップで丁寧に淹れられてます。そして素焼きのカップ!!
この器もこだわりのものです。
『陶芸家であり匠宿の陶芸工房 火と土工房長 前田直紀 監修の器』と説明にはありました。
 ローストもかなりの腕前と感じました。美味しい珈琲豆の旨さを存分に引き出してます。

私がオーダーしたのは「エチオピア・モカ」として有名な「エチオピア・イルガチェフェ」。
フルシティローストぐらいに見えましたが、実際にはどうかわかりません(ただの当てずっぽう)。
こだわりのレモネードのような爽やかさと上品さで、甘さも十分です。酸っぱくはないですよ(^^)
「くんかくんか」とにおいを嗅ぎ、口に含むまで鼻と口内に来る香りに包まれ、飲んだときの舌触り、飲んだ後の戻り香り・・・全て完璧✨
(゜Д゜)ウマー
もはや珈琲のために駿府匠宿に行ってもいいくらいです。
一杯850円です(^^;珈琲を純粋に楽しみたかったので単品でオーダーしました!(かわいいどら焼きついてきました)
なぜなら・・・ここのはすごーく美味いからなのです!!
半年に一度くらいなら、いろいろ他のを節約したらまた飲みに行こう。なにせ美味しいから♪

私の中では🥇1位くれあーる、 🥈2位COFFEE ROASTER となっております。🥉3位はクレセントさんかなぁ最近行ってないなぁ。(順位は個人の感想ハンパないです)
珈琲好きの方には、ぜひオススメです(^^)
いい雰囲気の中で美味しいものを楽しみたい方にも、オススメです、もちろん~

さて駿府匠宿(伝統工芸体験施設)ですが、リニューアルして体験施設やお店がいろいろ変わってます。
ハチミツカフェもあったり、きんつばやがあったり・・・あ、もちろん伝統工芸は時間(もお金も)がかかりますが、一度体験してみるのも、超オススメ!!
詳しくは⬇へ
匠宿 - TRADITIONAL HAND CRAFT ARTS CENTER

匠宿 - TRADITIONAL HAND CRAFT ARTS CENTER

駿府の工房 匠宿は国内最大級の伝統工芸体験施設。今川・徳川時代から静岡に受け継がれ、今も大切に伝わる駿河竹千筋細工・和染・木工・漆・陶芸などのさまざまな工芸体験を...

匠宿 - TRADITIONAL HAND CRAFT ARTS CENTER

 

2021/12/31歩き 身延道3回目

2022-07-16 | 旧街道あるき
まだまだ過去の歩き録です(2021/12/31)
【長いです! 閲覧注意! 区切る気もありません(^^;】

やってきました年末年始休暇!!(の時の話です)
最新の街道歩きだというのに半年以上前の記憶(^^;
まあね……まあまあ・・・いつものことです。

どこか歩きに行こうと決めていた私は、途絶えていた身延道の続きを歩くことにきめました。
【当初の予定】
JRに乗って、朝7時ぐらいに興津駅で降り、そこからしずてつジャストラインバスに乗って(時刻表チェック済み!)、
前回の上倉バス停まで行って・・・。
そこから歩き始める、はずだった
そう・・・世間から離れている私は忘れていたのだ。

年末年始は休日ダイヤ!!
午前7時、JR興津駅のバス停で、その事実を受け入れられずに何分間か立ち尽くしている哀れなオバハン・・・・
次のバスまでは1時間半。

いやいや、気を取り直してどこかで休憩をと思うも、興津周辺はコンビニしかない(カフェコーナー無い)。
迷った末JRで草薙まで戻り、コンビニのカフェコーナーで一旦休憩&体勢立て直し、バスの時間に間に合うようにもう一度興津駅まで戻ります。
で、そこからの移動が長距離なので、とりあえず但沼(かつての宿場か間の宿か、調査不足)までバスで移動
但沼車庫前が終点なのでとりあえず下車。
そこで乗換えて再びバスで上倉まで移動。

の、ハズだった。
只沼車庫前で降りたワタシが、その先が
年末年始は運休ということを知るまでは
_| ̄|○

しばらくフリーズした後、前回とほぼ同じルートを歩くことにしました(^^)
2回目の歩きをほぼムダにしたようなもの。

いや、歩き旅に無駄なんてない。今回は今回で新しい発見があるはず!
と気を取り直し
まずは開いてる「産直プラザふれっぴー」というマートに入って饅頭を買う(^^;
長く歩くには饅頭が一番なのです
※寂しいことにお店は今年3月に閉店になってた😢

前回とダブっているところを歩くので、最初はひたすらちゃっちゃと歩くつもり!
しかし前回休憩したサービスエリアの近くにさしかかったとき、トイレに行きたくなったのでとりあえず行く。
▼ネオパーサ清水に行く道の途中で

このネオパーサ清水というのは結構な山の上にあるので、トイレのために往復するのはかなり体力を使う😅
そうまでしてトイレに行く必要があるかと聞かれれば、ある
身延道は、トイレ箇所が皆無と思って間違いないから!
行けるときに行っておけという身体の声にしたがうのである
▼ネオパーサ清水の動画があったから貼り付けとく


そしてトイレ休憩&おまんじゅうタイムをし、さっさと山を下りて前回の歩き終わり地点にたどりつかないと!
今日中に帰宅ができないかもしれないのです
バスが動いていないということは、途中で歩くのをやめたくなっても、バスに乗れないのでやめられないのです!!
だから、今日は歩きの終点をJR身延線:十島駅に設定しました

十島の地図 - NAVITIME

NAVITIME


清水から富士宮を通って山梨県南巨摩郡まで
い・・・行けるのか?(;゚ロ゚)
しかし、もう歩き始めているので行くしかないのです
次の宿場は宍原です。
歩いても歩いても次の宿場には全然届かない

▲川はいいよね~
但沼から富士見峠までの道は川をあっちこっち渡り歩く道です。
今でこそ川には橋がかけられているので苦労はしませんが、昔は着物の裾をたくし上げてバシャバシャと渡らなくてはならなかったから、身延道は非常に苦労する道だったそうです。

ゆるい峠を越えます。
富士見峠と呼ばれる峠です。
峠の下りにさしかかると、見えてくるのです。

雲が上にかかってる

▲雲・・・まあいいや(^^;
富士山の雲はあきらめて、峠を下ります。

▲江戸時代からの古い道と、一番新しい新東名が並ぶ
椎茸栽培してる~♪と謎のテンションで取ってしまった写真


▲工場と、富士!

誰も通らない脇道、散歩の人と農家の人は使っていそうです。
旧道歩きの人がどんどん歩かないと道は死んでしまう。

▲あるとホッとする道しるべ
身延道は、間の宿も宿場も、もうほとんどが存在していません。
ちと寂しくなっちゃいますね。



▲田舎道に来ると、妙に懐かしくなりますね(^^)



やっと宍原あたりです(^^)


集落のあたりをてくてく歩いてたら、軽トラに乗った地元の親子さん(お母さん70-80、息子さん40台~50台くらい)に声をかけられた
「何処を歩くの?」「一人で歩いてるの?」
と。ひとりで行くことと、身延道を辿りながら歩いていること、山梨まで行くことを伝えると、まずはビックリされる😅
で、息子さんが今の本道と旧道に分かれるところを分かりやすく教えてくれた。
「もう少し行くと身延道の看板があるんて、そこを左に入るんだよ。
 こないだ地元のみんなで整備したばっかだからね、歩けると思うよ😊」という力強い助言がありました🎵
お礼を言って別れ、その場所までとりあえず歩く。

あ・・・ちと嫌な予感😅

【長峰三里】
およそ三里(12km)に渡る尾根道。この山が国境(県境)まで水がないので「水なし山」とも呼ばれている。
12キロ山道・・・。やめようかなぁちとコワイ。
でもせっかく教えてくれたし、整備したって言ってるから歩けるはずだし
行くかやめるか・・・んーーー・・・行く・・・!
ここから先はあまりにも険しい道で、山登りの準備をしてこなかったのでとにかく身軽にするためにカメラもしまいます。
何キロか歩くと道すらない。ちびりそうなくらいにコワイ。
崖を、木と木の間に貼ってくれてあるロープを頼りに落ちないようにしながら注意深くすすみます。
そのうちに整備された道も終わり、道なき道となります。
ほぼ念仏のように何かを唱えながら進む山道😅
そのうち、やっと林道らしき所に出ます

▲ちょこっと看板立ってますよね?そこからワタシはこの道に出てきたのです

▲林道に降りたのもつかの間、容赦なくワタシを誘い込む山道😢
 この看板から右の脇道へ入れと言っているのです😱
道、無くない?
まあ、いいです。さっきよりきっとマシ。
と、けもの道再びで、またしばらく撮影すらできないほどのビビりが発動します。

で、なんやかんやで「ぎゃーーーー」と心の中で絶叫しながら山道を通り抜け、何とか普通の国道にたどり着きます。
なんというか・・・頭が真っ白です😅


▲富士宮市との境です❗
しばらく国道52号線を歩きます(ちょっと道を間違えたかもしれない)。

もう脚は限界に達しています。が、山梨の「万沢町」という宿場だったところにつくまでは何とかがんばらねば。

お昼も取らずに饅頭だけでなんとか歩き続けてしまった。
もちろんお店なんぞないので😅ホントに昔の旅人そのものである。

ひもじい思いをしながら庶民は、ない銭を振り絞るかのように信仰の旅に出た。
人によってその思いはそれぞれ違うのだろう。
「腹減ったぁー」と私のように呟きながら、それでも歩かねばならなかったろう。

などといろいろ考えているうちに、つきました、山梨県南巨摩郡万沢町❗





このとき、山梨県知事(はっきり言ってコロナ脳)がかなり差別的な発言をしていた時期なのですが、万沢町の人々はマスクなんぞ全くしない、いい町の住人でした。
素晴らしすぎる世界!!山梨大好き!


▲いいね、街道っぽいね😊


▲モロ、宿場の名残の町です!!
と感動して写真を撮っていたら、80台ぐらいの女性に
「山のぼってきたの?」と声をかけられました。
私はマスクしないので、警戒されると思いきや女性も素顔で、かなり近くまで来てくれている。
正直、嬉しい🤩
「身延道を歩いてるんです。清水から歩いてきました。
 良いところですね、旧宿場町の雰囲気がありますね~」
と話すと、ニコニコしてたくさん話をしてくれた。
一期一会、本当に良い出会いと別れを繰り返す歩き旅。
しかもこの間、脚の疲れが癒えるのです。すごいね、人の力って。

そして何とか身延線の十島駅にたどり着き




その日のうちに自宅に着いたのでしたー\(^O^)/
足は完全に爪が4本血豆だらけになり、その一週間後ぐらいに爪が取れてしまったほどのダメージでした。
歩いた距離は30キロぐらいと思っていたのに、22キロ😅


▼道の途中で面白い物発見した動画もアップしちゃう
 昔は川を渡り歩いていたので、街道は川のなかでもある。
 そんな歩いて渡っていたところにある題目搭です。

身延道2

2022-07-14 | 旧街道あるき
まだまだ4年前、身延道パート

もう一気にせっかく撮った写真をアップしようというだけです。
前回の歩きが小島陣屋跡までという、
前回までのあらすじ
は・・・5キロ・・・だ…と・・・?

ぜんぜん歩けてないじゃん_| ̄|○

この歩きはひっさしぶりだったから、すぐに息が上がってしまったのですよね。
まぁ、しょんないしょんない。

今回は、小島までしずてつジャストライン(バス)で🚌行って、
そこからまた歩くんだっ
という意気込みだけはあった、うん。


▲こんなところにひっそりと猿田彦が祀られている。
 つまり、道祖神てことだな(^^)

▲地味だけど、ちゃんと道しるべがあります(^^)

▲街道っぽいです!!・・・と興奮しているのは私一人ですわかってます。

だけど、本当にこの道でいいのか正直わからなくて自信なさげな足取りになったところで

▲ よし、道は間違っていない!
じゃあ上っていこう▼


お・・・?



普通の石段にサワガニ発見! カワイイのだ


この神社の向こうに抜ける道があるのかなぁ…
と思ったのですが、あまりに急な坂でムリ。
どうやら道を間違えたのかもしれない。

気を取り直してもう一度地図を確認してから歩き出す。
今度こそ!・・・と歩くのですが、すぐに寂しい景色になり

だんだんとまた道の自信がなくなる。



今度は通行止め_| ̄|○
仕方がないので引き返して迂回して、また歩き出す。

・・・が



またかーーいっ(^^;

こんなことをやっていると段々と疲れが出てきてしまうのです。

⇑こーゆー道は大好きですが
▼花に癒されたりとか(^^)







身延道は現在通行止めになっていたり、道が消滅していたり、以前の旧街道は踏破することはできません。
東海道ほどメジャーではないので、仕方がないところです。
それもまた面白いところです(^^)

▼なんとなく、面白い車があったので撮っちゃった

で、ここでおそらくフイルムが終わった(^^;
でも、私にはタブレットがある~♪

まあとりあえずは地図を見ながらテクテクテクテク。
だんだん田舎道になります。

「クマ出没注意!!」という看板が、普通の民家があるところに何気なくあるのがだんだん怖く感じてくる・・・。

身延道は沢を挟んであっちいったりこっちいったりするのが多いところです。






途中でへばってしまったので、新東名の清水PAで一休み。
・・・したらもう歩く気がなくなったので、この日の歩きは「上倉バス停」までとします。
今回歩いたのは10キロ!
すごく歩いた気がしたのは「ただの気のせい」という、ちょっぴりさびしいお話だよ。

なんか疲れてしまって、このあと旧道歩きは間があきます(^^;

身延道1

2022-07-14 | 旧街道あるき
街道歩きは時々しているものの、歩いて写真撮って満足していたので、
記録にするのがめんどくさくなっちゃってましたねぇ~。
じゃ久々に、記録のために長い話その1です。

身延道は、静岡市清水区興津から山梨県身延山までの信仰の道です(^^)
身延道

身延道

身延道は、興津から甲府相生までの約88kmの街道です。街道地図に現在地を表示して簡単にナビゲートします。

GPSCycling

 

ずっと書き損ねていましたが、歩き始めは2018年4月!!
まだ世間がざわざわしてない頃だ。
それを今さらアップするとは・・・・どんだけやる気が無いんだ、私。

静岡市清水区興津の身延道追分道標、ご存知でしょうか。
静岡市駿河区側から東に行くと、「興津の鯛焼き」として有名な

興津のたいやき屋 (興津/たい焼き・大判焼き)

★★★☆☆3.49 ■予算(昼):~¥999

食べログ

 

・・・よりも手前、左側にひっそりとある道しるべです。
いや、ひっそりしてないな。結構派手ですね(^^;

身延道起点の道標 · 〒424-0204 静岡県静岡市清水区興津中町

★★★★☆ · 史跡

身延道起点の道標 · 〒424-0204 静岡県静岡市清水区興津中町

 

とにかくこの道しるべから北上します。
今は国道52号線となっているのが新道ですが、それの旧道はこちら、身延道です。
午前7時くらいから歩き始めるので、皆さまの通勤・通学時間とかち合います。
申し訳なさげにテクテク歩いて行きます

なんか石碑があるので、お寺が近いことがわかる。
お寺に寄ると時間が無いので、道しるべとなっているものだけ撮影して歩く。

道しるべばっかですな。



お花も撮る(^^;


身延道というのは今ではかなりマイナーなので、道も無くなっているところも多い。
正直自分もたどれるかどうかがわからないですが、こうやって道しるべがあるので
「ここは身延道で間違いない」
と確信できます。

小泉家住宅⬆は、⬇静岡は清水の銘酒、臥龍梅を作っているところです♥

【臥龍梅】三和酒造オンラインストア|静岡の日本酒をお取り寄せ

清水の地酒・臥龍梅の公式オンラインストアです。日本酒のお取り寄せなら当サイトから!静岡、三和酒造株式会社。

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街道沿いには必ず「美味い酒造」がある、という法則通りなのです。
一度飲んだな~・・・・だめだ、あまりに古い記憶で反すうできなかった




そして横山城跡⬇の近くを通ります


現在は、残念ながら入れない_| ̄|○

気を取り直して歩きます

道しるべありがとう!


小島という所を通ります。
ここには「小島陣屋」という、ほぼ城跡があります。

・・・とその前に、外でウサギさんを飼っているお宅に遭遇~

穴掘ってもぐったりして可愛かった(^^)

さて、ウサギ堪能したので(^^;小島陣屋(おじまじんや)跡にいきます。

龍津寺おじま観音を通り過ぎ、

案内を、跡でゆっくり読もう~と言いながら撮影し(^^;




説明板を、後で(以下略)・・・。
さて、城跡に入る前には、ズボンの裾を靴下にねじ込みます。
もちろんマダニ対策です!!
休日に変なことをして、翌日仕事ができない状態になっちゃうといけません。
ねじ込み、ねじ込み・・・ヨシ!


小島藩は黄表紙作家の「恋川春町」が藩士として勤めてました。
小島藩の江戸詰め所に勤務の藩士とは世をはばかる仮の姿、黄表紙作家の恋川春町~♪
それにしても可愛いペンネームだな。
読んだこと無いのです。
この方が詳しい~⬇

7.元祖まんが家 恋川春町の紹介|税理士法人いそべ会計。静岡市清水区の会計事務所。相続、公認会計士磯部和明

税理士法人いそべ会計の7.元祖まんが家 恋川春町の紹介です

いそべ会計公式サイト

 

江戸の娯楽が封じられた狂った時代に才能を発揮していた恋川春町は、厳重処分を受けました。
これ、繰り返しちゃいけないでしょ?

小島陣屋跡












完・全・貸し切り
状態(/・ω・)/


そして疲れたので、この日の歩きはたしかここで終わりにしました。
4年以上前の記事を堂々とアップする自分は、ある意味スゴイわー(^^;
今回歩いたのはこれだけ【キョリ測】

藁科街道ちょっと歩き→洞慶院

2016-11-03 | 旧街道あるき
10月末に、どうしても散歩したくなった私は、下調べもしないで
「ふらっと旧藁科街道」歩きをしてみました。

とりあえず新静岡駅に降り立ち…どっちへ行くのだっけ?(^^;
しかも、昔はよく行った方面だったのに、年を取るとどうもダメである。
すっかり方向音痴。
無計画だと、タブレットのナビに助けてもらう回数が増えるので困ります。

結果的に歩いたところはこんなかんじ。

・・・たったの9km。

適当に歩いて安西橋を目指します。
適当にも、昔からのメインストリートをなるべく選びます。

安西橋渡ります。


安倍川ーー♪
そして木枯らしの森が見えます。
子どもの頃さんざん行った木枯らしの森ですが、歴史的にも有名だったと知ったのは、旧街道を歩き始めてからです。
清少納言が枕草子に書いているとか(諸説有り)、小野小町が歌を詠んだとか。
「人知れぬ 思い駿河の 国にこそ 身をこがらしの 森はありけり」小野小町
へぇぇ…なんか、熱い恋の歌・・・なのであろう(^^;

ほかにも古の歌人たちが歌にしたらしいです。
しかし木枯らしの森へは・・・今は行く気になりませんでしたのでパス。
興味ある人は川を渡っていきましょう。水の少ないところを選べばたどり着けます。
長靴がいいですヨ。
夏にゴムじょんじょん(ゴム草履)でもいいですけどね。

安西橋を渡り終え、まっすぐ行こうとした私を、
「旧街道歩き脳」がふと引き留めました。
たまにあるのですが、なんとなく脳内で
「まて、旧街道はこっちだよ」と教えてくれる
ときがあるのです。
いよいよ私もアブナイ人です(^^;あ、今更か

実際タブレット地図で見ると確かに「藁科街道」としっかり記してあった。

脇道に見えるけれど、こっちがメイン。

山崎の町並みをぐるっとまわって、また国道362号線に戻る。
またしばらく歩き、マックスバリュ羽鳥店を過ぎようとすると
「旧街道はいかにもこっち」という別れ道が目に付く。
自分の勘をたよりに、住宅街を歩き進むとありました。

街道沿いにこそある「道しるべ」。
しかも洞慶院への追分。
なのでここを曲がっていきます。

市街地からそんなに離れてはいないのですが、とっても懐かしい感じの町並みが続きます。
住宅街となっていても気持ちよく歩けます。
・・・ちょっと奇異な目で見られるときもありますが(^^;

順調に歩いて、あっという間につきました。
洞慶院。

梅の名所として有名です。
梅園からお寺まで、杉並木の参道があります。

風情がありますね。

お寺の門の前には小川をまたいで大きな四本杉があります。
その小川にかかる石橋も、やはり風情があります。

紅葉の時期にはきっと綺麗なのでしょう。

見学し終わって降りてきたときに、この石橋の近くの階段でみごとに滑ってコケました。

苔むした石段はアブナイです(@_@;
皆様もお気をつけください。

こけて左手を捻挫してしばらく動けなかったのですが、
痛みがマヒしているうちに農園カフェに行って
苺スムージーを飲んできました。
美味かったです
(ケガを早く治すために、その後は甘いものを断ちました・・・)

2013年12月30日 中山道はじめ(2)

2014-01-23 | 旧街道あるき
ヨロヨロと歩いていたワタシですが、ここで東京の友人が飛び入りで中山道歩きに参戦することに決まりました。
朝、東京駅に着いた時点で半年以上ぶりにメールで「今、東京駅」と送信したところ、家事を終えてから参加してくれることになったのでした。
こんな年末にさぞかし忙しいと思って連絡するのを遠慮してたのに・・・ヒマだったのかもしんない。
というよりは、足の不具合を抱えるワタシを心配してきてくれたのです(違うかもしれないがそういうことにしておこう)。
巣鴨あたりで合流する予定になりました。

そんなやり取りをメールで交わしながら、マイペースにヒョコヒョコびっこ引きながら東大前を通ります。


カシャカシャ撮影していたら、そこを通りがかった他の人も撮影をしはじめて、東大の守衛さんが
「どうぞ、中はご自由に入れますよ-」
と、旅の者を温かく東大の構内に招いてくれましたが、あいにく先を急ぐ旅ゆえ、ワタシは通り過ぎることに。

東大は元々加賀藩のお屋敷でした。
すんごく広い敷地です。さっすが加賀藩です。
赤門は11代将軍家斉の娘溶姫が、加賀藩13代藩主前田斉泰に嫁ぐときに建てられました。
それが今も現役で大学の門として使われているとは・・・何とも粋な話です。

それからちょいと歩くと、本郷の追分です。
ここで中山道と日光街道の脇道「日光御成街道(にっこうおなりかいどう)」と分かれます。

そんでもってここは一里塚が建っていたところです。

もう足が悲鳴を上げ始めているというのに、まだ一里しか進んでいないことに気づく_| ̄|○
とにかくヒョコヒョコと足を進めます。
本郷の通りをひたすら進んでいると、なんとか友人と合流。
ここからは、さながら弥次喜多道中となりました。

巣鴨駅を通り過ぎると、こんな説明板が。
中山道には種屋さんが多いのですが、その理由が書かれていました。
旅人が弁当を食べるのに、農家の軒先を使わせて貰うことがありました。
その農家が作っている野菜を見ると、自分の故郷では見かけたことのない野菜があるのです。
旅人はその野菜を故郷で栽培したいので、農家の人に種を譲ってもらいました。
そうして種を販売することを副業とする農家が増えていき、中山道は「タネ屋街道」と言ってもいいほど種苗店が増えたのだとか。



さて、巣鴨商店街に入る前にあるのが、
江戸六地蔵
のうちの一つ、「真性寺」です。
東海道・奥州街道・甲州街道・中山道・水戸街道・千葉街道という六つの街道沿いの、江戸の出入り口に一体ずつ大きな地蔵菩薩の像が建てられました。
ただし6番目、千葉街道沿いの永代寺には現存していないのだそうです。


中山道は「おばあちゃん達の原宿」とも称される巣鴨商店街に入ります。


多くの人が休日となっていますから、大賑わいです。


もちろん、とげぬき地蔵でおなじみの高岩寺にも立ち寄りました。
んが、煙でゲホゲホになってしまってワタシはパス(^^;


参拝に来た人々を、煙に届かないところから遠巻きに見るワタシ・・・。




吉良上野介の家臣、小林平八郎の墓がある慈眼寺(近くにあるらしい)の説明。
ワタシは前々から忠臣蔵に疑問を持っているので、吉良様びいきである。
ドラマの中で小林平八郎がどう扱われているか知らない(ものすごく勇敢に戦った家臣として描かれていると噂に聞くのだが、なんせ観たことない)が、赤穂浪士に捕らえられ、吉良上野介の居所を言えと迫られ「下々の者ゆえ、存じません」と答えたために即刻首をはねられてしまった、運のない家臣です。同じシチュエーションでもジョークで乗り切った家臣もいる・・・。
でも寝込みを襲われた吉良邸側の家臣としては精一杯時間稼ぎのためにがんばりました。
時間稼げなかったけど(T-T)


さて、なおも巣鴨商店街をすすみます。
途中に杖を売っているお店があったので本気で購入しようかと見ていたら、友人にちょっぴり笑われたのでヤセ我慢。

く、くそぅ…

そして巣鴨郵便局前のポストにおわす、このお方は・・・・





すがもん

各地いろんなイメージキャラクターだらけで、さすがにおぼえらんないです。
しかしこのキャラクターグッズのラインナップを見ると「さすが巣鴨!」と感動します。
赤パン・・・(^^;


大して歩いていないのに腹だけは減るというワタシは、この辺りから「お腹すいた」を連発。
食事 鮮」という定食屋に入ります(^^)

三色どーーん!!これで880円は安い!(三色丼はおそらくその日によってネタがちがう)
歩いているときにあまり米の飯は入れたくないのだが、あまりにウマソーなのと空腹には勝てませんでした。
かなりボリュームがあります。美味でした♪ごちそうさま。

この辺りには庚申塚があります。(写真なしです)
かなり有名な庚申塚なので、庚申待ちの日にはさぞかし賑やかだったことがうかがい知れます。
庚申待ちというのは、庚申信仰の行事といえばいいのかな。庚申講ともいいます。
道教の三尸説(さんしせつ)に基づいた民間信仰です。
・・・
う……庚申待ちに関して説明しようとすると、どの言葉も解説が要るじゃんか。
【三尸】人は生まれながらに、体内に三つの「虫」を持っている。(道士の姿の「上尸」、獣の姿の「中尸」、牛頭に人の身体を持つ「下尸」。いずれも二寸足らず)
庚申の日(60日に1度。年間6回)に眠るとこの三尸が身体から出ていき、宿主の悪い行いを天帝(閻魔大王の場合もある)に告げ口してしまい、寿命を縮められたりえんま帳に書かれてしまう。
【庚申待ち】よって庚申の日は眠らずに過ごせるよう、なるべく寄り集まって夜を徹して過ごす。これが庚申待ち、あるいは庚申講。
酒が持ち込まれ、宴会状態になることが多かったようですが、本来はカフェインのあるお茶を飲んで、太鼓を叩いたり賑やかにして過ごすという宴会です。
庚申塔や庚申塚は、三年間(18回)庚申講を行いつづけた記念に建てられることが多かったそうです。

・・・あ、誰も付いてきてないデショ(^^;
これは板橋区の庚申塔↓


そういえば、いつの間にか板橋宿に突入です。
この辺り、かなり足が痛んできたのでヨユーがなさ過ぎです。
写真も撮らずにひたすら突き進んでおります(ただし足取りはものすごく重い)

板橋宿不動通り商店街のイメージキャラクターはウサギの「ラッピー」だそうです。ハッピーとかけた名前なのだそうだ。幸せウサギのラッピー♪・・・といったところであろうか(^^;
今でも商店街の名前に「板橋宿」と入っているのが好感もてます。




←板橋
どうでもいい感が漂い続ける写真(^^;

板橋を渡って少し歩けば「縁切り榎」です。

ここにはかつて大きな榎があって、その下を通ると縁遠くなるとおそれられていたようです。
それを利用するかのように、その大榎の皮を剥いで煎じて飲むと別れたい相手と別れることができる、と評判になりました。
今は何代目かの榎が立っています。
つい鈴なりになって掛けられている絵馬たちをちょっと見てしまいました(^^;
すると病魔と別れたい人や、いやがらせをする人間と離れたい人などの切なる願いが書かれていて、桐井はちょっぴり切なくなりました。
また、真剣にお参りしている人がいらっしゃったので、写真は遠慮しました。
ここでトイレ休憩。トイレから出れば写真撮れるかなーと思っていたのですが、真剣にお参りしている人はそんなにアッサリ帰りませんので、無粋な旅人たちは遠慮しました。
縁談に関係ないワタシを含むこの2人は縁切り榎をおそれなかったが、重ね々々の無礼な行動をお許しください・・・。

こうして旅をしていると、東京はかなり昔のものを大切に残している土地ということがわかります。
東海道とはちがって少ーしマイナーな道であることも手伝って、運良く残っていたりするのです。
一里塚さえも残っています↓(志村の一里塚)


しかも道の両脇です!!(@_@;)コーフンしすぎである
つい鼻息荒くなってしまいました。
しかしここで足が限界。休憩5分。

やっぱり巣鴨で杖買うべきだったよ・・・_| ̄|○

この後ちょっぴり坂道に入ります。

といっても下り坂です。ちょっぴり急坂ですが、住宅街です。
ここからは昔は「右富士」が見られたらしいです。富士山ビューポイントですね♪
中山道ではいつも左に富士山が見えていたのに、ここでは角度の違いで道の右手に富士山が見える。
「中山道で右に富士山が見られるとは!」と有名になったポイントであるのですね。
東海道ではいつも右に富士山が見られるため、「左富士」が有名です。
この清水坂。昔は難所だったらしいですが、現在はらくに坂を下れます(上りも同じ)。
ただし、ワタシには今は難所です・・・。せめて荒川は越えたいので、限界越えてますがなんとか歩きます。

どうにかこーにか戸田の渡し付近(板橋側)です。


これは板碑といい、石で作られた卒塔婆なのだそうです。
卒塔婆らしく薄っぺらいのです。親の供養や、自分の後生供養を目的に作られたらしく、この辺りで見つかったものを集めて祀ってあります。

さて、びっこひきながら荒川を越えるのです。


越えてから、ついに友人から歩くのストップ命令が下されました。
自分ではなかなか諦めきれずに止められませんでした・・・スマン。

しかし荒川を越えた今、最寄り駅の「戸田公園駅」まではまだ歩かねばならずですね・・・
・・・ふぅ~・・・

夕焼けに染まり始めた戸田の町に見とれている場合ではなかった(^^;

やっとこせ戸田公園駅に到着です。
ここからゴール予定だった浦和駅までいかなくてはならないのだが、乗換につぐ乗換と聞き・・・
_| ̄|○←状態になるワタシ

だけど戸田公園駅ホームから遙か遠くに見える富士山を撮るなど、
ちょっぴり余裕ヾ(゜ω゜)ノ゛←オイ
健脚な恰好をしているために優先席には座れず、とりあえず武蔵浦和駅まで行き、ワタシの足の状態を見定めた友人の案によりタクシーで予約したホテルまで行くことにしました。
ホテルまで送ってくれた心優しき友に感謝しつつ、中山道の一日目を終えました。
心からありがとうございます。

浦和宿どころか蕨宿までも到達できなかったが、最初から「無理しない旅」だったので、こんな時もあります。(十分無理してしまったかもしれないが)
もし次の日も歩けそうなら、続きを歩いてから静岡に戻ろうと思って浦和のホテルを取ったのですが、それはさすがに無理でした。
中山道の二日目はいつになるやら・・・。
東海道のときは毎週木曜日が来る度に歩いていたときもありましたが、さすがに今は体力的に無理というのは自覚してます。
まぁ、ボチボチ行きます。

歩いた距離は以下の通り(18キロ+α)でした。
クリックしてくださると嬉しいです♪

2013年12月30日 中山道はじめ(1)

2014-01-16 | 旧街道あるき
2013年の自分のプライベート目標は「中山道はじめる!」だったのになかなか始められずに年末へ突入してしまいました。
なので年末年始休暇の1日目を使って最後のあがき。
何が何でも中山道を2013年中に始める
これを強行突破でした(^^;

当初立てた目標としては
日本橋~板橋宿~蕨宿~浦和宿(約24キロ)
いつも連休の時の歩きは30キロ以上歩くので、だいぶ控えめに、楽勝なくらいの距離を組んだ・・・
つもりでしたが、
ちょいと10月から踵の不具合がありまして(歩き過ぎと、自分で色々無理しすぎだったらしい)。
もちろん身体の声(「何事も今は無理すんな!」と怒られ中)なので、そこはおとなしく聴かなくてはならないわけでして。
「果たして歩けるのか?」「大都会で立ち往生かも・・・」
と、ドキドキな感じで始まった連休一日目なのでした。
まずは年末恒例、18きっぷで目的地まで東海道本線の旅。
(←東海道線車窓から。朝日の昇る前の海@神奈川県)
当然、5:05東静岡駅発の、始発列車に乗り込みます。
上りは東静岡駅があるので楽ちんです♪
(西に行くときの始発は5:01静岡駅発なので自宅出発が4:20、有料自転車置き場も開いていないので苦労する)

8時30ぐらいに東京駅到着。お腹が空いたので駅構内で朝ご飯の予定だったのですが、どこも行列なのでやめて歩くことにする・・・が、駅構内でトイレやらウロウロしていたので、30分のロス(^^;
まずは、目指せ、日本橋!
ワタシという人間は都会が苦手なので東京は全く土地勘がない。
おまけに方向音痴である<(`^´)>←威張んな
よって東京駅から日本橋まで歩くのにまず苦労する。
うろうろ・・・・うろうろ・・・・ヨロヨロ・・・

←あった!!

無事に辿りついた!(TдT)←ちと迷った

・・・って、まだスタート地点ですから!

初っぱなからこれでよいものだろうか・・・

日本橋は五街道の出発点です!・・・て、あれ?自分は五街道ちゃんと言えるのだろうか。
東海道、中山道、奥州街道・・・・甲州街道(あやしくなってきた)・・・・日光街道!!
・・・あってる?(^^; ↓正解はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/五街道
で、とりあえず日本橋をウロウロ見学です。



しまった、遊びすぎた!
とっとと中山道始めなくてはいけなかった。

歩き始めるとまずは
おなじみ三越デパート!
松阪の豪商、三井家の越後屋は江戸時代すでにトップブランド。粋な人は「越後屋」で仕立てる
「現金掛け値なし」の画期的な商法!
※掛け値というのは、今でいう「ボーナス払い」のような、年二回の集金で商品を売るため、回収不能になったり少ししか集金できなかったりというリスクがあった。よってそのリスクを回避するために実際の金額より高く値段を設定すること。
越後屋はその場で現金取引するため、その上乗せ分を設定しなくて済むので普通より安価で商取引ができる。

急いでいる人はその場ですぐに着物を仕立てられる「仕立て売り」、一反ではなく客に応じて反物の一部を売る「切り売り」もして評判を得ていました。
このあと、カフェを見つけてちと休憩(お腹空いてた)。
東京駅は大混雑でしたが、道ばたにあるカフェはどこもガラ空きでした。
とりあえずちょっとお腹に入れたらまた歩き始めます。


あさひ銀行前にある「十軒店跡」の説明板

五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を江戸に招いて、その人数分の長屋を与えたのが始まり。
人形を売る店が十軒あり、大賑わいだったが明治以降急速に衰えてしまったとのこと。
・・・と書きながら、増田先生に教えて貰ったこの地図を開く↓
東京時代MAP―大江戸編 (Time trip map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-)
新創社
光村推古書院
おぉぉ、ホントだ、十軒店が古い地図のほうには描かれている!(@_@;)



おつぎは今川橋跡
銅板に刻まれているので、こう日が当たったり影ができたりしていてはまったく読めませんね(^^;

今川橋由来碑
今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・龍閑川)に架設されたのは天和年間(1681-83)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。
神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。
昭和25年(1950)龍閑川は埋め立てられ三百年近く慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。
左図の絵図は江戸次第末期頃の界隈風景です。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。
平成四年四月吉日
と書かれていたのです。
東京も江戸だった頃の遺構があちこちにあって大変楽しいです(^^)♪


ここにも坂の説明がありました。
淡路坂
この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。

昌平橋を渡って
湯島聖堂を通り過ぎて

神田明神に、ヒョコヒョコと立ち寄ります。

なんとなく平将門びいきなので(^^;


しかし、年末でごったがえしていたのですぐに出てきてしまいました。
写真を見るとガラ空きのように見えますが、ワタシがカメラを構えているところに限って人がたくさんウロウロしていたので、いたたまれなくなって出てきたというのが正しいところですが(^^;
年末はどこも忙しいからねー。
混雑が苦手な人は年末年始は特に、神社仏閣は気をつけないとイケマセン。
老舗の甘酒屋「天野屋」で、娘へのお土産をゲット。
甘酒飲みたいけれど踵が痛くなるのはカンベンなので我慢です。

このあたりで既に疲れて休憩が多くなってきました。
写真も「どうでもいい」感がただよってますね。露光とか、アングルとか、まったく考える余裕がないという。

果たして自分は、この日のうちに浦和宿へは辿り着けるのかっ?

次回へつづく(^^;

連休いただきまーす♪

2013-10-29 | 旧街道あるき
今日は半日(夕方まで勤務のこと)。
明日、明後日は休診とさせていただいております。

こんな時、いつもワタシは歩き旅。

今回はですねー・・・・・






決算終わってないので歩きに行きません!(T-T)

あぅ~~セミナー期間中&毎週水曜日にがんばって居残りしたけど終わらなかったです
(寝オチが悪いのでは?という、自己分析もあります)


ワタシのもくろみとして、今回のこの連休が来るまでに決算を終了させて、
いきなり歩きに行く!
・・・という密やかな野望が何とな~くあったのですが、自分の仕事の遅さのためにシャボン玉のようにはじけて消えました。

で、その分JAZZライブ行って、ハジケて発散させていたのですよね、ぇぇ。


今歩きたいのはどこかというと、色々あります。

 ●久能街道を伝馬町から清水まで制覇する
 ●中山道始めたくてウズウズ
 ●どうせだから前回の続きで、水口から京都まで歩く、又はその先の大阪まで行って、東海道五十七次を完成させる
 ●身延道なんぞも気になってみる

ちなみに前回9月の連休は、まだ夏で消耗した体力が戻ってこなかったために歩くのをやめ、娘とともに
 大津 重要文化財の旅~台風18号の爪痕を残す大津を歩く~
だったのですが、気が向いたら写真とともに、そのうちアップします。

さーて、休憩終わり!
お仕事に戻りまーす♪

久能山東照宮 参道にみちしるべが!

2013-08-01 | 旧街道あるき
静岡法人会の特別会報・・・でいいのかな、
久能山東照宮表参道みちしるべ
プロジェクト報告書

というパンフレットが、法人会から届きました。
静岡法人会の人たちが「久能山東照宮の参道」である1159段の石段、そして門前市も活気づけようという計画があったことを、このパンフレットで初めて知りました。
・・・すみません。寄付を募っていたかもしれないのですが、いつも会報をろくに読まずにいるので気づきませんでした(^^;
久能山と久能街道を溺愛する桐井としては、大興奮!!(*゜∀゜)=3

これは参道を盛り上げるために、
「210/1159段」「280/1159段」「340/1159段」・・・・「1,068/1159段」と、
【今ここ】レベルを表示してくれる、ありがたい道しるべプレートを石段の手すり部分に設置してくれたのです。

やるじゃん!静岡法人会!!

私はスキを見てはすぐ久能山に行きたがります。

↑2011年7月久能街道(静岡市葵区伝馬町→久能街道→久能山東照宮)

  
  
←↑ 5月下旬 
小鹿→大谷街道
→久能街道→久能山東照宮の旅


  
 
↑7月中旬 自転車で久能山まで行き、のぼって下りてくるだけの散歩

「道しるべはいつから設置されているのだろう、ついこの間、5月と7月中旬に登ったときは気づかなかったなぁ・・・」
と思いながらパンフレットを見ていると、既に3月末には既に設置されていたことが書かれていました。

あ、あれぇ?
二回とも気づいてないって事じゃん、ワタシ_| ̄|○

これは、もう一度確かめてみなくてはいけません!!
というわけで、先日体力的に余裕があったときに行きました。
(患者様は暑いこの時期、このような無理をしてはイケマセン)

大谷のキミサワ・グラッテから始め、旧久能街道を歩きました(←大馬鹿者ですのでくれぐれもマネしないでください)
ワタシの夏の装備はただ者ではありません。
帽子はこれ↓
モンベル クール デタッチャブル サンブロックバイザー カラー/サイズ:BASM
モンベル
モンベル

アームカバーは以下を参照
https://www.sasawashi.com/onlineshop/products/detail.php?product_id=94
そしてクールバンダナ
ひんやりネック クールバンダナ しろくまのきもち 水玉ブルー
株式会社ビッグウイング
株式会社ビッグウイング

ボトムズは絶対にくるぶしを見せません。
肌を直射日光に絶対当てないようにして歩きます。
そしてリュックの片方の脇ポケットにはお茶、ズボンのポケットには粒岩塩。
リュックのもう片方の脇ポケットには水。これは服を濡らしたりアームカバーをビショビショに濡らすために飲まずにとっておきます。

それでも茹だりながら、久能山下に到着です。
ここの石橋旅館で苺生ジュースを飲みたいところです。

いや、ガマンします(`^´;)

 
さて、のぼります!
あ、ありました!

まず、気づいた一個目。あ、もうすでに210段目のやつとばしました(^^;どこにあったんだー


はい、次ー。

もう410段目で息があがってます。最近身体がなまってます。
410段目からの階段風景(下)を撮ってみます。

ここでフィルムが切れた。
・・・・・
・・・・・・・・・・あ

・・・・フィルムの予備を持ってくるのを忘れた_| ̄|○

いつもならこのまま構わず上へ行くのですが、今回は道しるべを確認するために来たのです。
フィルムは必要なのです!!!!


下に下りてきました(^^;
ローソンでフィルムをゲットし、気を取り直してもー1回!!


↑ほいっ210段!

キレイな落ち葉♪←まだまだ余裕らしい

そして一気にさっきの410段まで来ました。
その上の様子↓


そして600段♪↓


そこからの景色


ぜぇぜぇ・・・700段↓


そこからの景色


心臓バクバク・・・790段↓

そこからの景色~♪↓


そしてようやく一の門、909段!↓


↓このポイント、いつも必ず撮影しちゃいます。


このあと、プレートは見つからなかったけど、1068段が博物館の所にあるようです。

とりあえず休憩~。

今回は東照宮見学します。
なにせこれがあるから↓

ここで1159段です♪

あとは適当に見学して(真面目に見学しろ)





↑この奥の神廟まで行ってきました。

下りてくるときにキレイな虫、めっけ!

極彩色の東照宮にお似合いな極彩色のこの虫、ハンミョウという昆虫らしいです。


下りてくるのはあっという間ですね(^^)

下りたら苺生ジュースを飲んで帰ろうかと思ってましたが、夕方5時を過ぎてしまったのでお店は終わっていたのでした_| ̄|○

1時間に1本のバスにも時間が合わず、そのまま歩いて帰りました。

さてプレートですが、プレートを意識して上れば何処にあるかわかるのですが、普段のワタシの目線では絶対に目に入らないところに設置してありました。
石段というのは大変気をつけて上らないとイケナイものです。
ですから足を何処に着地させるか、次の足はここ、次の足はここ・・・・とワタシの悪い目と頭を総動員しないと石段を1156段のぼるというのはなかなかできません。
つまり目線は自分の足もとへ常に行っているわけです。
しかしプレートは上を見上げないと見えないところにあります。
う~~ん、ここで上を見上げる・・・人も確かにいるかもしれないからいいんだけど、ワタシだったらここで見上げると疲れるから見ないよなぁ。

目を上げるのは景色の良いところだけです。
足を止めて、駿河湾を見渡すときだけ。
プレートは、気づく人はどれくらい居るかなぁ・・・と早速心配してみたり(^^;

でも、この道しるべを機会に久能山の表参道がもっと盛り上がればいいなぁと願わずにはいられません。
静岡法人会 久能山東照宮表参道みちしるべプロジェクトのみなさん、お疲れさま。ありがとうございます!


5月の二連休は

2013-05-27 | 旧街道あるき
※記事のTOP写真はこの日歩いた歩数。今までの新記録♪単に歩幅が狭いともいう。
さて、他に二連休の過ごし方を知らないのかと言われると・・・
その通りでございます。
と答えるしかない私です。

しかも
  • 東海道はとっくに歩き終えた
  • 伊勢街道も歩き終えちゃった
  • 伊勢別街道と香良洲道も(2012年末に)歩き終えちゃった
    そんな私が次に歩くとしたら・・・

    熊野古道
    のわけはありません(^^;
    かなり険しい道を一人で歩く勇気は今のところないです。

    かといって中山道も、準備万端なのですが今のところ臆病風が吹いていて気乗りせず、現在完全なるチキン街道まっしぐらです。

    しかし二連休♪
    やっぱり歩きたい(^^)
    峠を含めて旧街道を歩きたい(´▽`)

    それで決めたのは、東海道歩きをしていたときに雨に見舞われて苦労したコース、

    関宿~坂下宿~鈴鹿峠~土山宿~水口宿
      ← 三重県 │ 滋賀県→


    なのでした。
    5/14(火)のうちに三重県亀山市に移動して一泊。翌日朝から17時まで歩いた楽しい東海道復習の旅です(^^)
    よかったらフォトチャンネル見ていってください。
    あ、その前に!
    5/15(水)に歩いたルートは以下の通り。32.2kmでした(^^)


     ↓クリックしてフォトチャンネルに飛んだほうが見やすいと思います。

  • 【伊勢別街道の旅】2012年大晦日の歩き

    2013-05-06 | 旧街道あるき
    まあ、記事をまとめる気力が無かったとも言う~(^^;

    さて、昨年の大晦日。それは年末年始休みの第一日目なのであります!
    2012/12/30その年最後の仕事を終えて、やっぱりそのまま東海道本線に乗り込んで行きました。

    東静岡→掛川(乗換)→豊橋(乗換)→名古屋
    と、いつもの感じで在来線の旅。30日は名古屋で一泊。
    ・・・乗り鉄の旅ではなく、歩くための旅なのだということを忘れかけ~(^^;

    名古屋のスーパーホテルはちょうど一年前にも宿泊した。
    たしか、何故だかほとんど眠れなくて、目の下に濃いクマをつけながら移動したのをおぼえている。
    今回のスーパーホテル名古屋駅前はどうだったかというと・・・

    やっぱり眠れなかったのです(@_@;)←目が大変なことになっている
    一晩中「う~~ん・・・リセッシュくせぇ・・・」とうなされていたら朝が来てしまったのでありました。
    部屋に備え付けられている臭い消しのリセッシュは、ご宿泊の皆様が使用されているのでありましょう。プラズマクラスターイオンの空気清浄機を全開でつけていたのに、ダメでした。
    でも、いつも羽毛布団を撤去してくれるので、大変ありがたいのです。
    感謝してます♪お世話になりました>スーパーホテル名古屋駅前さま

    さて、31の朝は朝食の時間前に出発。5:50に名古屋駅
    近鉄の鳥羽行の列車に乗って津まで。
    前回の旅の続きなのです。
    香良洲道→津→伊勢別街道
     
    ということですな。
    だから津駅からバスで香良洲神社まで行かなくては、この日のスタート地点に立てません。
    香良洲行きのバス、始発が7:15(大晦日なので休日ダイヤ)なのです。それに合わせての移動でした。

    年末の仕事でかなり体力的にムリがあったのを自覚していましたから、この歩きには決して無理をしないと自分でも決めて(斉藤先生からも念を押されたのでなおさら)途中はバスを利用することを決めました。
    次の日も休日なので、別に全行程歩いても構わないと言えば構わないのですが・・・なにしろ大晦日です。そしてゴールは関宿です。
    さらに、ゴールの時点でかなり腹減りモードであることは間違いアリマセン。
    ここで夕方5時までにゴールしないと、全ての店が閉まるであろうことは確かな事実なのです!!
    さて、始発のバスに乗って香良洲に着くと・・・時刻は7:48。なんと、バスで30分以上の場所でありました(^^;
    ここで私の頭は時間を計算し始めました。
    全行程32キロ。歩くとしたら私の足では軽~く11時間!きっと急いでも10時間!
    ゴールでの食事はぜったい無理!
    ・・・・途中はバスでワープしよう(あきらめ)
    と、最初からワープモードで歩き始めです。

    まずは香良洲についたら海!前回の旅では帰りを急いでいたので海を見ていないのだ。
    海ーーーーっ!

    犬の散歩の人だけがいる冬の海の朝である。ハッキリ言ってさぶい!
    寒いのでさっさと歩き始めます。

    まずは香良洲神社です。
    はいっ。見学終わり!←入口だけ見学(^^;


    道しるべ。
    下半分が埋まっているのか、下半分が消失しているのかはわかりませんでした。
    ちゃっちゃと歩くだ。朝から民家の犬たちに吠えられまくっている(よそ者臭がするのだろうな(^^;)が、構わず歩くだ。

    ここはかつての香良洲大橋のあった場所なのですね。

    前回見た常夜燈やら道しるべ。

    かなりの急ぎ足です。でも・・・あまり思うように進みません。
    強風が吹いていて、さぶいのです!!(*T^T)←鼻水ずるずる
    どのくらい強風なのかというと・・・

    ↑旗がこんなになるぐらいの強風なのです!
    ということを証明するためにフィルム一枚をムダにする私でした。
    デジカメでは「ムダ感」というものが消失しましたが、私はフィルムカメラなのでものすごくムダなことをやっています(^^;失敗したりとか、失敗したりとか・・・あと失敗したりとか。


    とりあえず、香良洲道の遺構いろいろ
    香良洲道は、昔の道が無くなっているところがほとんどです。
    なので、無くなっている場所からバスでワープしました。

    ↑香良洲神社からバスに乗るまで。

    バスで津駅までやってきました。
    本当は香良洲道と伊勢街道との追分ぐらいは来るべきなのですが
    ・・・戻るのめんどい

    というわけで、津駅から再び歩き始めました。もう香良洲道は終わってしまっているので、伊勢街道(伊勢参宮道)を歩いています。
    江戸橋の追分。
    ここから伊勢街道と伊勢別街道に分かれます♪
    こっちは伊勢街道


    そして、こっちが伊勢別街道です。伊勢別街道を行きます。



    でっかい寺の屋根が見えてきたので、なんとなく寄り道してみました。

    真宗高田派本山専修寺でした。

    大きな休憩所がついていたので、厚かましくも休憩させていただきました。
    感謝です。


    松尾芭蕉の門人、浜田珍頭が読んだものらしいです。
    「千部読む 花の盛りの 一身田」専修寺の「千部法会」に集まる男女を詠んだものとか。

    さあ、続きを歩きます。

    大きい常夜燈が見えてきました。


    空が青い・・・。



    説明も載せておこうっと

    銭掛松の石柱。
    昔、病気になって伊勢参りできなくなった参宮者が、引き返すときにここにあった松に銭を結びつけ、松を拝んで立ち去った。別の人がその銭を取ろうとすると、銭が蛇に化けて襲いかかったという伝説があるそうな。
    それで、この松に銭をかけると参宮と同じぐらいの御利益があると謂われていたとのこと。


    街道っぽい道特集。


    田んぼばかりの畷っぽいところにさしかかり、特に見るものもなく、のどかな風景が続く。

    のどか~。

    椿なんぞ撮ってみたり。(寒くて気が遠くなっていたかもしれない)

    伊勢別街道講札博物館
    角屋という旅籠だったところで、昔の伊勢講の札が、当時のように掲げられている。





    駒越五良八が私財を投げ打ってつくった人工の貯水池、横山池。


    昼抜きで歩いているので、色々と気が散っているらしい(^^;


    道しるべが見えてくると、ちょっとやる気がおきます。

    また、街道を撮る


    かなり関宿は近くなってきているのですが、お腹が空いてあまり足が進みませんでした。
    「おなかすいたー」という独り言が増えていく←アブナイ中年女が一人歩いていく
    そして写真も減っていく・・・。

    道の向こうに見える、おそらく庚申塚。


    ここには昔、大きな松があったらしい。↓こんな感じ



    真冬で、耳にはモッコモッコの耳当てをつけているのですが、このあたりの風は非常に強くかつ冷たく、やわな静岡人の身体を容赦なく攻撃します。
    「寒い・・・ハラヘッタ・・・」
    という独り言が5歩に1回出てきます(^^;
    あと眠気が来れば、かなりヤバいです。
    時刻は午後4時30分を過ぎました。午後5時までに関に着かないとマズイです。

    そんな飢えたワタシの目に、いきなり現れたのは坂道。
    「腹減っているうえに坂道はキツイよう~」と泣きそうになったところへかすかに見えたのは、

    鳥居です。
    あの鳥居はゴールの関宿にある、東の追分です!!

    はらへったー!!!
    と小さく叫びながら一気に坂道をのぼり、ついに関宿へ着きました。




    というわけで、関の地蔵院まで一気に来ました。

    ここでやっとごはんにありつけます♪

    会津屋という旅籠を営んでいたところが、今はお食事処を営んでいます。関の小萬はここで生まれ、働いていたという伝説があります。
    名物は、山菜おこわと街道蕎麦。餓鬼と化した私は両方食べたかったので、両方入っているお薦め定食1400円にしました♪
    しかし大晦日でしたので、山菜おこわが赤飯に替わっていました。それでもいい(^^)
    夢中で食べたので、写真は撮ってません(^^;

    そして大満足でお店を出て、静岡まで18きっぷで帰ってきました。
    帰宅後、しっかり年越し蕎麦を食べたのは、言うまでもありません。

    バスでワープ後の歩いたところは以下の通りです。

    【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その2

    2012-12-29 | 旧街道あるき
    前記事はこちら→【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その1

    お気に入りのホテルというのは誰しもあるものではないでしょうか。
    私もあります(^^)
    ホテルルートインはよく眠れます。最近は宿泊しようとする近辺にルートインがあれば、まずはそこを選びます。
    もちろん大浴場があるからなのですが、ルートインなら「ケミカル臭で安眠できない」ということが今のところありません。(ご注意:感じ方には個人差があります)
    駅からちょっと離れていようと、ちょっとどころか1kmほど歩こうとも!!まずはルートイン♪
    で、Pontaカードも作っちゃいました(^^;
    そんな具合に安眠できる「ホテルルートイン松阪駅東」での朝は・・・・

    寝坊しました_| ̄|○←ぐっすり安眠しすぎ
    朝目覚めたら6時をまわっていて、ものすごーくビックリしました(@_@;)
    4時半に起きて(遅くとも5時)寝癖をなおし、5時すぎにもう一度朝風呂入って、余裕で支度をしてから朝食会場に行こうと計画していたのに・・・。
    しかし仕方がないのです。前日の疲れが相当出ていたのでした。
    朝食食べたらすぐに出発です。

    2012/09/20 この日は夕方までに静岡に帰らなくてはならない用事があったため、香良洲神社をゴールとしました。
    前日は伊勢参宮道を引き返す道。今日は途中から香良洲道に入って香良洲神社へ行く旅です。

    「お伊勢参りをして香良洲に参らぬは片参宮」

    昔からそう言われていたほど、香良洲神社へいくのは伊勢参りには欠かせなかったことでした。
    ならば行かねばなるまい香良洲道。

    そして松阪から歩き始めました。今回は「前回見逃したものはしっかり見る」を目的に。しかし時間がない場合は省く、を自分ルールで決めました。


    この角を右に曲がってしばらく行けば「忘れ井」。前回見逃したのです。


    斎王群行に同行した官女、甲斐の詠んだ歌が石に刻まれている。
    「別れゆく 都の方の恋しきに いざ結びみむ忘井の水」
    これを読んで悲しいと思う人も当然おられますが、私は仕事に対する決意と、勿論寂しいけど気持ちを切り替える(切り替えなければやっていけないのかもしれないけど)ためにこの井戸の水を飲むという、女性の強さを感じてしまうのです。
    ・・・私がずれてますかね~やっぱり(^^;
    この井戸の近くに高齢の女性が2人話し込んでいました。
    見学と撮影のためにお邪魔してしまいましたが、
    「どこから来たの?」と聞かれてから、いつものごとく私も話し込んでしまいました(^^;
    地元の人とほんの少しふれあうことの出来るという、嬉しいひとときです。

    そしてまた急ぎ足で伊勢参宮道を歩きます。

    三渡川には初瀬街道との追分の道標があります。


    香良洲道への追分です!!
    しかしまだここでは曲がりません。
    香良洲道への追分は幾つかありますので、もう少し先にしようかと思います。
      
    もう一度「月本の追分」も見たかったからでした。
    ここからは奈良街道へ通じているのです。

    もう少し伊勢参宮道を歩くと・・・

    香良洲道への追分道標です。ここで曲がろうと思います♪





    思ったほど歩みが進まなくて参っています。


    まだ香良洲大橋さえも遠い・・・
      
    遙か彼方に、香良洲に行くための「香良洲大橋」が見えます。
    ちょっと小走りになってみたり~♪

    とりあえず、橋には着いた(^^; まだ先は長いです。



    景色はのどかです♪ 急いでいることも忘れます。


    魚か蟹か何かを捕っている人がいました。


    雲出川の土手の下には常夜灯と道標がありました。


    ここから約1.5キロ・・・
    ついに香良洲神社到着~♪



    香良洲神社は、まったくと言って良いほど人が居ませんでした(^^;
    お昼時だったから余計にそうなのかもしれません。

    昔の人はこの香良洲神社から海岸に出て、「五百枝松」や「竜燈松」などの名松が並ぶ白砂青松の風景美を満喫した、とウォーキングマップに書いてありました。

    が、時間がないので次回この続きを歩くときに海を見たいと思います!

    この日歩いたルートは以下の通り。

    【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その1

    2012-12-28 | 旧街道あるき
    お・・・おぼえてない_| ̄|○

    というぐらい過去ですが、今更ながらアップしておこうかと思います。
    9月の連休19-20日は伊勢神宮内宮から旅立って香良洲神社へ寄るという、これも昔の人たちが行っていた通りにやってみました。

    出発日の9/18(火)は、もの凄い大雨でした。
    静岡では夕方ぐらいから空があやしくなり、夜に降り出したぐらいではありましたが、私はその頃既に普通列車の旅。
    仕事を早めに終わらせてもらい、16:48東静岡出発です。なんとか雨に濡れずに済みました。
    列車に乗りながら西へ移動するごとに雨の降り方が激しくなり、台風並みになってきました。
    名古屋駅では運休の路線もあったぐらいです。
    私の予約した近鉄参宮線はというと・・・無事でした(^^)ほっ

    翌日はまず、寄り道の旅。
    五十鈴川駅から歩き始め、月読宮をちょこっと見学です。


    そこからさらに歩いて内宮への短い旅です。

    ここで5.5キロ。しかし宿泊先から最寄り駅まで2キロ以上歩いているため、7キロぐらいだと思われます。

    おはらい町近くには、歩く人のための地下道「内宮おかげ参道」があります。

    これ、市営駐車場からおはらい町まで行くために設けられたものですが、歩いていて楽しいのです。
    建築家のウェブサイトを参照→http://www.kurashijisshoku.jp/works/kenchiku/naikuu/page01.html
    おはらい町は、まだお店開店前の時間のために人がほとんどいません。


    おかげ横町も、時間が早いためにいつもの賑わいがウソのようにしーんとしています。

    また昨日の台風のような大雨のため、多くの店が臨時休業になってしまったことも手伝って、よけいに静まりかえってました。
    あの雨では仕方がありません。


    ←おや?常夜灯の横になんかある。


    なんと、招き猫でした。
    この期間、第18回来る福招き猫まつりを開催していたようです。

    そして内宮をもう一度見学。


    ←朝靄が幻想的でした。



    「今日こそは、五十鈴川で手水している様子を見るんだ」と心に決めながら歩きます。


    鶏さんたち、オハヨー♪


    神の鶏なのだそうです。・・・仕事中なのですね。

    さて、五十鈴川・・・五十鈴川はっ(@_@;)←必死

    がーん・・・ 増水で立ち入り禁止・・・。
    そ・・・そんなものです。ハイ。

    ↑この木、大人気ですが、私もわりと好きです。

    ↑てっぺんが見えない木もありますねー。

    人がまばらな内宮は、やはり神聖な雰囲気がありました。
    いつも見学させていただき、ありがとうございます。

    内宮見学したらすぐにバスで移動します。
    この日の歩き予定は松阪までなので、内宮~外宮 間はバスでワープなのです。
    外宮からはまた歩き始めます。



    前回見逃した「小西萬金丹」、ありました。やはり見逃してました。

    筋向い橋を通り過ぎ・・・・
    道、間違えました_| ̄|○ 
    なんと、熊野街道に入ってました。
    どうして来た道を戻れないのでしょうねぇ。3ヶ月経っているからとはいえ(^^;
    気を取り直して歩くだ。

    宮川、増水中~。


    左側にあるこの椎の木、さわると祟りがあるという伝説があるそうです。

    道を挟んで向かい側は前回旅の記事にも登場した「へんばや」です。

    今回はへんば餅は買いません(^^;


    ←「そうめん坂」再び。

    今回は「来た道を辿って途中まで帰る」旅なので、あまり盛り上がってません。だから写真枚数が少ないです。

    また斎宮跡に寄ってしまいました。
    そしてトイレ休憩と共に、前回見られなかった斎王の映画を観るために斎宮歴史博物館に再び行ってきました。
    ここで上映されている数十分の映画は、事実を淡々と伝えていて好感が持てます。斎王のことを「さらっ」と学ぶには最適です。
    映画を観たら出発です。
     あっ!どんぐり!! クヌギの実かな?
     斎宮歴史博物館の売店で「伊勢の和紅茶」買ってしまった。「丸子紅茶」とどっちがウマイか?

    などと遊んでいる場合ではなかった・・・さっさと歩かねばなるまいぞ。
    と本気で決心したためか、この後カメラをしまい込んで歩いていたようで、この日の写真はこれで終わってました。
    松阪駅近くの宿泊施設まで、この後なんどかくじけそうになりながらも歩いたことだけはおぼえています。

    この日の後半、外宮~松阪までの歩きは以下の地図(24.7キロ。その前の約7キロを合計して32km近く)です。よかったらクリックしてみてください。


    つづくっ♪