とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

くるくるくるくる・・・

2012-09-25 | 近況
クリニックに来ている子どもちゃんを見ていて、いろいろ気づかされることがある。
遊びに夢中になっていて、ずーっとクルクルクルクルと回り続けるキュート子がいる。

私は一周「くるっ」としただけで目が回ってしまう(^^;

子どもというのはいろいろな機能が優れているんですよね。
この場合は・・・えっと・・・三半規管?←桐井はシロウトなのでまるでわかってない(^^;

で、そんな子どもちゃん見てたら私の大好きなミュージカル女優さんを思い出してしまった。
誰かというと、アン・ミラーでした。

一般的にはフレッド・アステアとジュディ・ガーランド主演の「イースター・パレード(1948年)」に出てたのが有名なのかな。

私がアン・ミラーを知ったのは「踊る大紐育(On the Town 1949年)」というミュージカル映画でした。

▲原始人が大好きな学者という役を演じているアン・ミラー。
 マシンガンのようなタップダンスと超高速回転
 ちなみに、ジーン・ケリーとフランク・シナトラの二大主演です。若き日のフランク・シナトラの可愛さを見てビックリしてみてください(^^;

▼これは私が観たことのない映画「Small town girl」。なぜなら日本語訳のものが出てないからムリ!

しかし、↑の動画はおっそろしくクルクルしているのです。

すごすぎます!!(@_@;)

マシンガンタップに超高速回転のミュージカル映画女優アン・ミラー。
私の中では彼女がミュージカル女優のNo.1です。

子どもの時は私も確かにクルクルして遊んでました。
だからそのまま鍛えていると、アン・ミラーのようになれる子もいるのかも・・・しれない。

伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】3

2012-09-13 | 旧街道あるき
はい、やっと伊勢街道最終回。
今回は外宮から内宮までの短い旅です。
朝寝坊してしまったので、ゆっくり目の8時台に出発です(^^;


←外宮(豊受大神宮)にもう一度来るつもりです・・・帰りに。



小田橋。
「江戸時代までは本橋の横に小橋(仮屋橋)が架けられており、忌服の人や生理中の女性は小橋を通ることになっていた」とマップの説明に書かれていました。



道標♪

間の山お杉お玉の碑
尾部坂(間の山=あいのやま)の辺りに女二人組の大道芸人「お杉・お玉」がいつも三味線や胡弓をかき鳴らし、旅人に投げ銭を乞うことで有名だった。この辺りにいつも居たのだろう。
東海道中膝栗毛にもそのような女性二人の大道芸人(「いにしえのお杉お玉が面影をうつせし女の・・・」とあるから、お杉お玉ではないのだろう)が出てくる。
旅人達がよってたかって投げ銭を、二人の顔にめがけて「当てようと」するが、大道芸人の女達はこともなげに「ひょいひょい」とかわす。
弥次さんが頭に来て石を投げる(よい子は危ないからマネしちゃだめだよっ)が、女はそれをバチでちょいと受け、石を投げ返して見事、弥次さんの顔に当たるというエピソードがある。
悪いコトしちゃいけません、弥次さん(^^;
もっとも弥次喜多の二人はいつもいつもいつもいつも・・・・悪いことしてますがね。

備前屋(鼓楼)跡
この辺り、「古市」は江戸時代の中期における「三大遊郭」の一つ・・・だそうです。
京の島原/江戸の吉原/伊勢の古市が三大遊郭。
「内宮に参拝した後、男の旅人にとっては精進落としで盛り上がる遊び場があった」・・・というようなことを杉浦日向子先生が語ってたけど、ここのことかぁ~(^^)♪

こちらは「油屋跡」。やはり鼓楼です。
油屋騒動があった場所でものすごく有名になってしまったそうな。相手の遊女が他の客と掛け持ちしていたのに腹を立てた町医者が、脇差しを振りかざして暴れ、死者二名、負傷者七名を出した。事件を起こした人物は十日後に自殺。
歌舞伎の演目(伊勢音頭恋寝刃)まで作られてしまうぐらいに有名になったこの事件。
真実はよくわからない。廻しを取られた(客の掛け持ちをされた)ぐらいで、そんなに怒るかなぁ。
その遊女はケガをしたものの、その後も仕事をしつづけたのでこの油屋は「騒動の中心となった遊女を見てみたい」という旅人が客としてひっきりなしに訪れたため、大繁盛だったそうな。

←この道は鼓楼でいっぱいだったのだろう。

楼閣の面影を残す「麻吉旅館」。
あんまり入っちゃだめなのかと思って控えめに写真撮ってしまった。

道標

いろいろ(←おい)

猿田彦神社。
私が旅をしている間、道ばたには「道祖神」とよばれるものがたくさんありました。
旅人の道中を守るため、また地元の人を旅人からもたらされる悪から守るために祀られたものです。
サルタヒコはニニギが天降りしたときに道案内をしたということで、道祖神と同一視されています。
だから私は今まで、猿田彦命には間接的にお世話になっているわけですね。
一応お礼を言いに行ってきました。


月よみの宮さんけい道と刻まれている道標


さて、いきなりこんな街並みです。


こ・・・ここは・・・。

おかげ横町ってやつですかね
↑※おはらい町です(もの知らず(^^;)
おかげ横丁はこっち↓でした。


進んでいくと、向こう側から人がいっっっぱい歩いてきます。
今までずっと私は一人で歩いてきたのに、いきなり沢山の人が現れるとかなりビックリします(^^;
どうやらおはらい町に着いたようです。

とりあえず、朝から何も食べていないことに気づいたので休憩です。
←また甘いもの出すのかっ(^^;
いやあ~、お伊勢さんに来たらまずは「赤福」食べないとねぇ。

りっぱな店構えだ。



ふむふむ・・・


( ゜д゜)ハッ!
内宮に向かっていたのを忘れていた!!!

いやー、本気で忘れかけてました(^^;
急いで内宮に行きました。










・・・・ひ・・・人が多くて疲れた_| ̄|○

本気で疲れてしまったため、このままバスに乗って伊勢市駅まで来てすぐに静岡まで帰ってきてしまいました。
外宮も「もう一度」と思っていたのですが完全に行く気力を失ってしまったのでした。
土日に行ったらもっと人が多いのでしょうね(^^;

ところで、昔の人はお土産に何を買っていたでしょう。
江戸時代の旅人お土産ランキング第1位!!
それは・・・「薬」です。
この伊勢にも「萬金丹」という有名な薬があるので、旅人はこぞって買っていたようです。

私も買っちゃった♪

本当は、宮川の渡しのすぐ後に「小西萬金丹」があるのですが・・・見逃しました。
だからおはらい町のハート薬局さんで買いました(^^)

さて、伊勢街道の旅はこれでお終いです。

次は、そこから旅人が京都へ行くために利用した「伊勢別街道」の旅が始まります!!
って、まだやるのかー!!(^^;←懲りない

伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】2

2012-09-09 | 旧街道あるき
前記事はこちら

がーーん


・・・フィルムが切れたのでデジカメになってしまった。
ここで説明しよう!
旧街道歩きの道というのは、現在はほとんどがさびれてしまって人が通らない道になっているため、便利なお店やコンビニがその道沿いにあると思ってはいけないのである。
ようするにフィルムが手に入らないっ!!というのがこのときの心の叫びなのでした。
デジカメあるからいいんだけどね。好きじゃないのだデジカメ・・・

さて気を取り直して「有明六地蔵」(六地蔵石幢)。

一体一体が別のお地蔵さんではなくて、六角形の龕部(がんぶ)に地蔵がレリーフ状になって刻まれています。
三重県の文化財に指定されているそうです。

何でしょっちゅう道を撮るのかというと、街道らしい道が好きだから。
時々「何撮ってるのだろう?」と奇異の目で見られるのだが、全く気にしない。

変わっているのは今に始まったことではないからなのだ( ̄^ ̄)←いばるな



←安養寺ですが、明星水というのが気になるので立ち寄りました。
(この辺りは明星という地名です)

井戸の所まで行ってみます。



←木の左にある井戸が明星水の井戸


つまり安養寺で参宮者をもてなして茶の湯の席がもうけられたりして、安養寺の火で沸かしたここの水には「清めの力」があるとして、大人気だった・・・と、要約してそんなんでしょうかねぇ。

坂には時々食べ物の名前がつけられることがある。東海道保土ヶ谷~戸塚の「焼き餅坂(その坂道で焼き餅がよく売られていた)」とか・・・他に思い浮かばない(^^;
ここの「そうめん坂」もだいたい同じ理由にちがいないねッ。

↑ほらね
今もそういうお店があったら嬉しいのですが、こんなところを歩いているのは近所の人か歴史街道ウォーカーか、神社仏閣巡りをしている人や歴史家ぐらいなものです。
お店は当然やっていけないので、無いのは仕方ないのです。
カメラ屋さんがないのも仕方ないのです(←フィルムが恋しいらしい)

このときは6月初めだったので涼しいつもりではいたのでしたが、しっかり暑いので気が遠くなりつつ歩いていたような気がします。

気が遠くなったところにヒバリのさえずりが聞こえ、見上げる。
ちよっと元気になる瞬間です。(写真の上方の黒い点がSkylark=ヒバリちゃん)

って、誰もヒバリだとはわからん(^^;
ああ空が青い・・・。←また気が遠くなってる



右端の写真は「徳浄上人千日祈願の塔」。
ガイドマップには以下の説明があった。
「「上人さん」と呼ばれる石碑。庚申堂を霊場としていた。徳浄上人が、大飢饉・疫病に見舞われた村民の窮状を目の当たりにし、その救済のため、雨の日も風の日も伊勢神宮両宮に千日の間素足で日参したという。」
この地点から毎日伊勢神宮両宮へ千日往復・・・しかも裸足で・・・。
祈りの力ってスゴいです。人々を思う気持ちか、よほどの惨状を目にして思い立ったか。

このあたりで街道は大きく右折し、狭いのに車どおりの激しい道に出ました。
増田カイロ付近でいうと、大谷街道や池田街道のような感じ(^^;

そんな道をおっかなびっくり歩いていると・・・ありました!!

へんばや!!
前記事で「へんば餅」について触れましたが、その名物を今も売り続けているありがたい「へんばや」。
「へんばとは、三宝荒神など馬に乗った参宮客が、ここで馬を返して一休みした(返馬)茶店から名付けられた」
とガイドマップに掲載されています。
で、へんば餅がコレ↓

焼いたお餅の香ばしさとあんこのコラボレーションが最高に好きなのです。
今、砂糖制限されている人が多い中(ワタシも同じなので許してクダサイ)、こんなウマソーなものを出してしまうことに罪の意識を感じつつ(^^;
これが、歩きながら食べるとまたサイコー(←また歩きながらかッ)なのです。
お店の中で食べられるということを単純に気付かなかっただけなんですけどね

そんな甘いものもあっという間に消化する20キロの歩み。どんどん景色を流して行きまっしょい。

ここでやっと写真店を発見した私は喜び勇んで入店しました(^^)♪
お店の人とちょっと話をしていたら、
「そういえばこの道のすぐ先にもなにか石碑が建っているから、行ってみるといいですよ」
との情報があった。お礼を言ってすぐに向かいました。

紀州藩の高札場跡。本当によくいろいろな跡がこれほど残されているものです。





さて、やってきました

どこって・・・宮川です。
歌川広重の浮世絵で有名ですが、以下はWikipediaに掲載されている広重作「宮川の渡し」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ando_hirosige_miyakawanowatasi.jpg
現在は渡し近くの街道も渡し場所もなくなっていますが、間違いなく渡しが行われた宮川!!
・・・ついつい力んでしまった。だって・・・だって・・・
ここを渡れば「お伊勢さん」!!


なのだもの・・・と思っていたのですが、実際はもう少し先のようです(^^;

まあ、とにかくさっさと橋を渡ろう。


まだ伊勢神宮には着かないので、とりあえずもう少し歩くのだ。
道標の説明。
「すぐ外宮江 十三丁半、 内宮江 壱里三十三丁半」と書かれている、とありました。

すぐ外宮へ・・・すぐ外宮・・・(@_@;)←かなりテンパッている
 足が・・・足(特に足の裏)が痛いのである!

そして欄干と擬宝珠が残る橋、「筋向橋」がありました。

撮る位置が悪すぎでわからん写真に・・・_| ̄|○

関西方面からの参宮道である「伊勢本街道」と、関東からの参宮道である「伊勢街道」はこの筋向橋で一つになった。
もともと道筋と橋の板が「すじかい」になっていたことからこの橋の名前がつけられたらしい・・・と説明には書いてあります。


うーん・・・まだまだ歩くのかなぁ・・・と思いながら痛む足を引きずって歩いていたら



あら・・・?



おや・・・?

あらら・・・どうやら伊勢神宮(外宮)に到着したようです・・・。(テンション低ッ!)


なにせ到着が午後6時過ぎでしたので、もうとっくに入れないモンだと思ってしまい、しばらく木の根元に座り込んでました。
でもまだお参りに入っていくヒトが居たので、どうやら大丈夫らしいと確信し、私も見学見学(←あくまでもお参りではなく見学を決め込んでいる)


←団体さんいらっしゃ~い的な手水舎



←「本日は終了しちゃいました」的な「式年遷宮記念 せんぐう館
  ・・・いいんだ、4時で入館終わりなのはわかっていたんだ。



出口が近いので、テンション低いまま神社を出ようとしたら、
ガサガサガサッ!
左側の木々の間に何かうごめくモノが・・・っ!((;゜Д゜)ガクガクブルブル

おっかなびっくり音のする方を見ると、そこには大きなイノシシが居たのです!!
ええーーーっとビックリしながら足早に鳥居をくぐり、立っていた警備員さんに
「さっきそこに、イノシシ居たんですけど・・・」と聞くと
「ああ、おりますねぇ(^^)」と、フツーーに、ごく当たり前のように返されました。
暗くなって人が少なくなると出てくるそうです。人を襲うようなことはめったにないようなのでまあ気にしなくてもよいとのことでした。
テンション低かったワタシは、これでイッキに高くなりました。
伊勢神宮(外宮)は、神々とイノシシの住まう場所でした(≧▽≦)だはははは

足が痛くてたまらない私はこの後すぐホテルに向かい、重たいリュックを下ろして今度は洗濯の旅に出るのでした(ホテルが古いのでコインランドリー無いところだった為、コインランドリーを探しまくった)。
内宮まで行けるかなーと思っていましたが、もう明日にします。
外宮から内宮までは、あとほんのちょっとの旅です。

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