母はふるさとの風

今は忘れられた美しい日本の言葉の響き、リズミカルな抒情詩は味わえば結構楽しい。 
ここはささやかな、ポエムの部屋です。

じいちゃんの夏

2022年07月27日 | ふるさと
旧盆が来たら提灯飾ろう
爽やかな秋草の
青い盆提灯
明かりを入れる夕べじいちゃんが還る
ほのかな灯に面影浮かぶ

旧盆が来るから提灯飾ろう
水色のふんわり提灯
ふるさとは遠く墓守絶えても
じいちゃんの穏やかな声
読経する後ろ姿
思い出の夜 餅つく父母

雲のように自由に変りゆく
この世に生まれ
じいちゃんと暮らした幼い日々
大家族は消え去り
しきたり途絶えても
迎える旧盆の提灯飾り
優しじいちゃんと過ごす
夏 八月

南天の家

2021年01月08日 | ふるさと
南天の家と言われた家
広い植え込みの庭を南天が
林のように取り囲んで
赤い南天がたわわに実った家
幸せの赤い実 健康な小さ葉っぱたち
沢山の人間が生まれ 
沢山の人間が巣立った家
悲しみ楽しみ 笑い声悔し涙 
生活のひとつひとつが大黒柱に刻まれた家
沢山のヒトが訪れ 賑やかに長い時間が流れた家
南天はいまも
たわわの赤い実を付けるか

雪の日も晴れの日も
厳冬の青い空に南天の実たちは光り
二月になれば飢えた野鳥たちが
美味しい実を食べたいと集ってきた庭大きな家
想い出の赤い実
幸せの赤い実
冬の物語が赤い南天に宿り
野の鳥は南天の林で
にぎにぎのおしゃべりをして
厳しい冬をひととき 楽しんで過ごすだろう

小さき花スズラン

2020年05月04日 | ふるさと
黒猫の庭に
白いスズラン
歩む猫の足をなでた
ちいさなスズラン
頭上には淡い紫 リラの花揺れ
高原の春は初夏に移り変わる

花の香りはきよらか
花の香りは漂いながらすこしの毒を吐く
生き物の悲しいさだめの
悪徳を どこかに潜ませ
野の花 木の花 妖しい黒猫
怪しき人住む地



冬山

2018年12月18日 | ふるさと
山ぐにの 荒ぶる
白き嶺嶺は
朝空の根
大空の林

銀色に輝くとき
人は大いなる者に出会う
畏れ
踊る心を抑えなだめて

音消えた新しい朝
山鳴りも絶えた静寂の時
山々は
疲れ果てた者たちに安らぎ与え
やさしき思いを込め
繰り返す暮らしにわき上がる酸素の泡を送り
この世にある自然の全てを抱く

山ぐにの 荒ぶる
白き嶺嶺は
朝空の根
大空の林
毘沙門の太刀
吉祥の瞳居ます処

くりの実

2017年10月29日 | ふるさと
セピア色の艶を持つきれいな木の実が
はじけて落ちてくるのは
秋の陽の温もりのせいです

セピア色の秋の木の実が
黄金色に熟れて甘いのは
大気がしっとりと美味だからです

セピア色の木の実を煮る湯気のなかで
皮をむくとき
秋は じっくりと実って
木の葉焚く煙の匂いに幼い日の
にぎやかだった茶の間の思い出がやってきます
けむり色の セピア色の匂いです


    

     『清水みどり詩集 黒猫』東京文芸館 1997 より

樅の木は倒れて

2014年11月04日 | ふるさと
樅の木は倒れて
地上から姿を消した

樅の木は長い歳月
家を庇護し野鳥を育くみ 
脚元の屋敷神とともに
北風を遮り空に向かって
真の主の姿でどっしりと構え
長い間立っていたが
時は替わり樅の木は必要とされなくなった
彼は黙って涼しく何処かに
堂々と去っていった

賑やかに
多くの人人が集まり生まれ育っていった佳き時代 
滔々と流れた慈愛の歳月を
樅の木はその体にから発し続けたが
慈しみの時が去ると
すべてが雲・霧のように無情に流れて変化したが
恨みの一言もなく消え去った

巨きな樅の木は小さな声を
それでも密かに発したが
天上の人ひとのほかには誰も
その声を聞き取れるものはいなかった

はるかに遠くからも眺められた高い梢
巨きな樅の木を
大地は永遠に忘れることはない


紫苑の花咲く庭

2014年10月24日 | ふるさと
紫苑の花の咲く日
亡き母の墓を尋ね生家を訪ねた

紫苑の花はいつもの場所に
背を伸ばしすくっと咲いていた

薄い紫を好んだひとは
地上を見下ろして何か面白そうに笑っていた
そこに確かにそのほほ笑みがあった

苦しいのか楽しいのか 訝しいほどにいつも
明るく笑う人は紫を本当に好きだったのだろうかまたは憧れだったのか
紫苑の花は知っているか

明るい春の花咲く季節に生まれた母娘が
一緒に笑い合う日はない

それでも
笑い合う楽しさは消えずに紫苑咲く庭で
何も変わらないような季節 家の気配

笑っても話しても涙はこぼれない
不思議なこの思いをこれからも静かなシオンの花に尋ねよう
楽しかった日日は土の中深く瓦屋根にも溢れる

空に向かい小さな花は群れて咲く

幼なじみの百日草

2014年08月12日 | ふるさと
乾いた地面がちりちり焼けて
キアゲハがひらり 
百日草の花の庭にやってくる
入道雲が湧く山の稜線は
雲の群れに身をゆだね
何処からともなく一斉に
アブラゼミ啼く夏休み

絵日記を描くとクレパスが
指の間で油くさく匂った昼下り
花瓶に生けた花たちが
眠そうに揺らいでいた昼下り

旧盆の飾りの大きな花瓶に
グラジオラスとダリアとユリ
そして鮮やかな色とりどりの百日草が
菓子箱の上で笑うのだった
菓子箱の中身はセロファンにくるまれた
都会の珍しいお菓子たちなのだった
父さんの許しがあるまで
食べれない先祖様のお菓子なのだった

菓子箱たちをじっと眺め
縁側にゆくと
アスターにホウセンカに松葉ボタン
竹垣で支えた花の群れ群れに丈高く
赤く桃色に白く色鮮やかに
夏のいつもの友だち 百日草が
黙ってじっと見つめているのだった



まぼろしの村

2014年03月26日 | ふるさと
高嶺に残雪
季節風強く吹くと校庭に埃舞いあがる
幼い草の芽
蕗の芽見える枯草の土手

少女らの声時折響く午後
小川の雪解け水は凍み陽の光は明るくまぶしく射し
真昼の校庭には陽炎がゆれる
蹴球の網の縁のむこうの雑木林はしずまりかえり
早春の通い道が白く長く延びていた

見上げると吸いこまれるような青い空を
野の鳥は泣き騒ぎ
綿雲はのんびりと流れてゆく
家々の石垣に小さなすみれ黄色いタンポポ

銀色の峰は四方に耀いて 
地上にはやさしき浅き春
山をわたる風の音のみ聞こえ人影少なくも
確かに時は刻まれ
はるかに遠ざかった思い出の
まぼろしの村は山間に今も眠っている

かすみ草

2014年03月06日 | ふるさと
かすみ草を好きだった母は
春を待たずに遠く去った
それから十年があっという間に過ぎても
きのうのように覚えている母の去った日

毎年毎年忘れずに
かすみ草の花をそなえて想いだす母
かすみ草の小さな白い花に
優しかった母の白い顔がうかぶ

どんなきれいな人も
老いると小さな花になる
薔薇や牡丹でなく
百合でもなく
野の花になりかすみ草になって消えてゆく

私たちもいつか同じかすみ草になって
母のもとにゆくのだろう
優しい母といっしょにまた
卵かけご飯を賑やかにたべるのだろう
生きとし生けるものは何度でも
魂をいただいて蘇り
同じ母のもとに戻るのだろう

季節風の吹く日かすみ草は
たまゆらのように心包んで
今朝もふわり 咲いている

ごはん

2014年02月13日 | ふるさと
雪の舞う朝ご飯が炊ける
ごはんの香りはいい匂い
幸せの予感のはじまりの匂い
ほかほかぬくもるその香り
幸せに過ごすまじないのような
「メシ」のかおりだ
釜にお米の炊かれる音が家の中にふつふつ響き
今日も無事でいられますようにと
燃える木と煙の匂いも漂う

かつて大きな家での冬の朝
煙と湯気の向こうで
みんな優しい顔をしていた
祖父も両親も兄姉も猫も
そろって食卓に着き朝ご飯を食べた
お釜に乗った木のふたを開け
いつものように甘いごはんを頂いた
どんぶりに入れた卵たちに醤油を入れ
回しとっては卵かけごはんを食べるのだ
アサリの佃煮をのせ
みんなで黙ってかき込んだその味
体にしみこむごはんと卵と醤油の匂い―
大根と油揚げの味噌汁を
毎朝の呪文のようにいただいたー

半世紀が過ぎいつか優しい人らは
この世から消え遠く旅立ち
または住まいもちりじりに
今日の冬の朝げをたべているだろう
それぞれの家に炊きあがる甘いごはんの匂いは
弥生の時代から未来につながり
膳に着く時の心に
ちいさいしあわせを運ぶだろう






夏  蝉

2013年08月22日 | ふるさと


甕にいけた白い百合に
夏の残像がある
黒アゲハ蝶と白い百合と朱い花粉は
いまもひときわ鮮やかな心の中の絵

百合の朱い花粉に
叔父の真白いワイシャツが
見え隠れした花の庭が甦る
山麓の村に遠い都会を運んだ叔父は
生まれた家での長逗留を楽しんだが
シャツに花粉をつけた
といつもいつも妻に叱られ そのたび
うんうん と黙って謝っていた毎夏の台詞を 
みんな黙って聞いていた

教育の道を歩み子供はないふたりは
退職して十年で 相次いで世を去った
律儀で不器用だった叔父の人生 
粋を愛し書画を好んだ思い出多い 懐かしい日々

花々咲きそろう夏の日本列島の 
家々は還ってくる人々の想い出に埋まるが
その魂の存在の多くが忘れ去られようとしている 
 

夏蝉はなぜ鳴くのか
蝉はさいはての半島のイタコのように
短い間にたくさんの声を運ぶから
あのようにさざめくように啼くのだろうか
せめてものいのちのにぎわいを
一心不乱に 
祝うように 歓喜するように 訴えるように


夏― 
青空 熱く広がり 生き物の気配に満ち花の匂いは濃いが
いかんともあの日の夏はすべて
入道雲よりも遠い



夕の雨

2012年07月15日 | ふるさと
夕雨が降ります
私は庭を眺めています
父の横に座っています
猫は真ん中に座っています

盆栽の鉢たちに夕雨が降り
サルビアの赤さが洗われ目にしみる
この霧雨の中を蛇の目を差しゆくあの人は
紬の帯をむすんでる
 
夕雨が降ります
みどりに濡れる木々の青
庭を見つめて縁側にいた 
父と 娘と 黒い猫

絵のようなその思い出を 
誰に話すこともない
私だけの思い出の夕の雨 
三つそろって縁側に 
静かに落ちる雨だれの音を聴いていた―。


今日の夕雨 霧の雨
心にそっとしまわれてた
ひとときを濡らして去った雨の想い出 在りし日の夕雨よ
今はない父と猫の
背中の愛しさ

夏のポエム 〈あかとんぼー清春村へ〉

2008年08月10日 | ふるさと
母さんのふるさと 
白壁の家
ふじ色の明るいパラソルをさし
蝉なく深い森をくぐり
木の葉丸めて掬い呑む
甘い湧水の山の道を辿り
天井の高い大きな家でいく日か
夏の日を過ごし
ボーイスカウトの歌声に
夕暮れれば蜩も歌っていた
私の六歳

白い木綿の帽子に
赤とんぼが戯れ止まったのを
思い出しているけれどもう
かあさんはいつの間にか
小さく小さくなってあの長い
ふるさとへの山道を
パラソルをさして軽やかに
歩いてゆくことはありません