ニュースなはなし

気になるニュースをとりあげます

藪萱草、ヤブカンゾウ

2023年08月06日 19時03分38秒 | 日々の出来事
ヤブカンゾウのオレンジですね⭐



7/1/2023
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑日の西陽に

2023年08月06日 18時03分38秒 | 日々の出来事
まだまだ、強い日差しですね❗


7/29/2023
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前人未到の>藤井七冠が永瀬王座への挑戦権獲得 豊島九段を下し8冠に挑む 王座戦挑戦者決定戦/将棋

2023年08月06日 11時03分19秒 | 文化と芸能

藤井七冠が永瀬王座への挑戦権獲得 豊島九段を下し8冠に挑む 王座戦挑戦者決定戦/将棋


8/4(金) 21:22配信

【第71期王座戦挑戦者決定戦】第71期王座戦挑戦者決定戦の対局開始を待つ藤井聡太七冠=4日午前、大阪市福島区の関西将棋会館(恵守乾撮影)
将棋の藤井聡太七冠(21)=棋聖、竜王、名人、王位、叡王、棋王、王将=が4日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された第71期王座戦挑戦者決定戦で豊島将之九段(33)に159手で勝利し、前人未到の8冠へ向け、永瀬拓矢王座(30)への挑戦権を獲得した。王座戦五番勝負は31日、神奈川県秦野市で開幕する。


【写真】藤井七冠が挑戦する永瀬拓矢王座 研究会をともにし、互いに手の内を知る間柄


藤井七冠にとって唯一残っていたタイトルが「王座」だった。今期が6期目の挑戦で、過去は2018年のベスト4が最高でその後は1回戦敗退が続くなど、鬼門になっていた。


振り駒の結果、藤井七冠の先手番に決まり、午前9時に対局開始。先手番は今年度10戦10勝、勝率100%と無類の強さを誇っている。


後手の豊島九段は角道を開けずに定跡が整備されていない力戦形を志向。その後、豊島九段の誘導で相雁木となった。お互い組み合って中盤戦まではほぼ互角。藤井七冠が仕掛けると、豊島九段も応戦し、激しい攻め合いになった。藤井七冠が敵陣奥深くに垂らした打ち歩が相手の角筋を止める妙手で、ここから飛車が成り込んで、AIの評価値でも優勢に立った。最後はお互い持ち時間を使い切り、緊迫の1分将棋。終盤は一手ごとに形勢が入れ替わる難解な局面が続いた。藤井七冠は手駒が少なく、攻めが細くなったが、豊島九段が一手明け渡すと、桂馬の連打と角打ちで相手玉の逃亡を阻み、王手した銀打ちが相手の攻め手を奪う決定打となり、投了に追い込んだ。


藤井七冠は6月1日に名人を奪取し、羽生善治九段(52)に続き、史上2人目の七冠を達成したばかり。同時進行中の佐々木大地七段(28)を挑戦者に迎える王位戦7番勝負は3勝0敗で防衛に王手をかけている。次戦は15、16日に佐賀県嬉野市で行われる第4局で4連覇を狙う。


秋に開催予定の王座戦5番勝負で挑戦する永瀬王座は、研究会をともにし、互いに手の内を知る間柄。対戦成績は藤井七冠の11勝5敗となっている。3勝すればタイトル奪取。夢の8冠まで王位戦と合わせて4勝に迫った。破竹の勢いはデビュー以来止まらない。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこって本当に東京? 多摩地区出身者が心に秘める、微妙な劣等感と本音とは

2023年08月06日 06時03分11秒 | 社会のことなど



そこって本当に東京? 多摩地区出身者が心に秘める、微妙な劣等感と本音とは(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース 




そこって本当に東京? 多摩地区出身者が心に秘める、微妙な劣等感と本音とは
5/21(日) 11:02配信
232コメント232件

東京都のエリア区分/illust AC
「東京出身です…」と言いながらも声が小さくなってしまうのはなぜだろう? 「永遠の発展途上エリア」だと自ら言う、東京・東久留米市出身の筆者にとって、多摩地区とは? その微妙な劣等感と本音とは? 

【画像】東久留米市らしい風景

東京のアザーサイド・多摩地区は、永遠の発展途上エリア?


まったく個人的な話だが、僕の出身地は東京だ。 

でも自己紹介をするときにはいつも、「一応、東京出身です……」と、ややうつむきがちになってしまう。 

東京23区の「都内」ではなく、その西側に広がり「都下」と呼ばれる多摩地区、中でも忘れられがちな東久留米市の出身だからだ。 多摩地区出身者の多くは、日本中どこの出身者もそうであるように、自分が生まれ育った土地に対して少なからぬ愛着や誇りを持っているはずだ。 反面、“東京生まれ”という言葉が持つ華々しさとは縁遠い生い立ちや境遇に、複雑な思いをいつまでも持ち続けることもあるだろう。 この僕が、まさにそうであるように。

 53歳の僕が子供の頃の話だけど(でも、根本的には今もあまり変わらないと思う)、生まれ育った地元・東久留米の記憶は、畑や空き地、川や林がたくさんあり、庭にヘビが棲んでいたり野鳥が飛び交っていたり、家の前の道路をタヌキがうろついていたりした相当な田舎だ。 小学校や中学校の通学路に、信号はひとつもなかったし。 

一方で、都内に通勤する人のベッドタウンでもあるため、古くから大型公団住宅などが開発され、僕の暮らしていた頃も畑や空き地をつぶして、マンションや建売住宅が続々と建てられたり、駅前が大々的に再開発されたりしていた。 だから地方によくある固定化した不変的田舎ではなく、“永遠の発展途上エリア”という感覚も強い。

 いくら発展しても、先進都市である東京23区内にはいつまでも追いつけないという意味で、永遠の発展途上と言えるわけだ。 

そんな東京のアザーサイド・多摩地区出身者は、本物の都会である東京23区内出身者に対して、そこはかとない嫉妬と羨望の気持ちを抱いていることを隠しきれない。 

そのくせ、なんともいやらしいことに、東京以外の出身者に対しては、これまたそこはかとない優越感を抱いていたりするのである。 

そんな僕って何? 多摩って何? 

と思い、ちょっとだけ深く考えてみることにした。 地域差別論的なものではなく、リアルな多摩地区出身者である筆者個人の、主観中心、感想含みの与太話に過ぎないので悪しからず。 また、本人が多摩地区出身か、身近にそんな人がいない場合はピンと来ないだろうし、基本的に新しい情報もないけど、よろしければお付き合いのほどを。

意外と知られていない、多摩地区内の3エリア

まず、自分がこれまで生活してきた土地とその年数をざっくりと勘定してみよう。 生まれてから幼稚園までの約6年間を東京・国分寺市。 小学校低学年の頃の3年強を愛知県・春日井市。 小学4年生から結婚するまでの21年間を東京・東久留米市。 結婚してから3年弱を神奈川県・川崎市。 引越しして東京都・文京区で約6年。 さらに引越し、現在までの約14年を東京都・世田谷区で暮らしている。 まとめると、二番目に長いのは文京区と世田谷区を合わせた“都内”=23区内で20年だが、それを凌ぐ長い年月を過ごしたのが“多摩地区”だ。

 国分寺市と東久留米市を合わせた27年間もの年月は、これまでの人生の半分以上で、しかも肌感覚的により長く感じる幼少期から青年期までをずっと多摩で過ごしたのである。 

今でも仕事で新しく知り合った人としばらく話したのち、お互いに出身が多摩地区だと分かると「おやおや、地元仲間じゃないですか」と急に親しみを感じて打ち解けた気分になることがある。 東久留米を離れてもう23年になるが、やはり気持ち的にはいつまでも“多摩人”なのだ。 

話はさらに細かくなるが、多摩といっても広いので、同じ多摩地区出身でも微妙なニュアンスの違いがある。

 僕個人の場合、八王子市とか町田市とか稲城市とか福生市とか奥多摩町とかの出身と聞いても、「ふーん」という感じで、そこまで強い親近感は湧かない。

 一方、東久留米市はもちろん、清瀬市とか西東京市とか小平市、小金井市、東村山市あたりだったらもう、「じゃあ、どこ中?」と聞くレベルで同郷意識が湧いてくる。 

かといって、すぐ近くに隣接しているのに埼玉県新座市出身者には「お、近いっすね」くらいで、軽く流してしまうんだけど。 単純に距離的な遠近もあるが、多摩地区出身者はエリアごとにさらに強い同郷意識でつながっているのではないかと思う。 

公立の小中学校に通っていたら、部活の練習試合などで同じエリアの学校と交流する機会があったり、高校進学の際、まずエリア内で適した学校を探したりすることから、そうした意識が醸成されるのではないかと思う。 

初めて聞く人もいるかもしれないが、

多摩は北多摩、南多摩、西多摩の3エリアに分けられ、僕が生まれ育った東久留米市や国分寺市は北多摩地域に入る。 北多摩とは、東久留米市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市、清瀬市、東村山市、小平市、国分寺市、小金井市、府中市、東大和市、立川市、国立市、武蔵村山市、昭島市の計17市。

 南多摩は稲城市、日野市、多摩市、町田市、八王子市の5市。 

西多摩は羽村市、福生市、青梅市、あきる野市の4市と瑞穂町、日の出町、奥多摩町の3町、そして檜原村が含まれる。

 北・南・西を合わせて“三多摩”とも言うけど、多摩地区に縁がない人には耳なじみのない言葉だろう。

 市町村の数で言えば北多摩が圧倒的に多いものの、比較的小さな市が多い北多摩に対し、南多摩や西多摩は、東京都で最大の奥多摩町や2番目の八王子市をはじめ、大きな市町村が多く、総面積順に並べると、西多摩、南多摩、北多摩の順になる。 多摩を3エリアに分けるのは、昔の行政区分の名残だ。 多摩地域は、明治維新の廃藩置県後、試行錯誤の末に北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の3つの郡が成立した。 

そのうち行政区分として現在も生きているのは西多摩郡のみで、北多摩郡と南多摩郡は1970年から1971年に消滅している。 それからすでに半世紀以上が経過しているので、多摩地区に北多摩と南多摩というエリア区分があることを知る人も少なくなっているが、ある程度の年齢以上の多摩地区出身者は、多摩川の以北か以南かで分けられる北多摩と南多摩の間に、歴史にも裏打ちされた明白な壁のようなものを感じるのである。


以下はリンクで、






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイアナ元妃没後25年

2023年08月06日 03時03分41秒 | 事件と事故
ダイアナ元妃没後25年、なお根強い人気 今秋、映画2作公開
8/30(火) 16:55配信



ダイアナ元英皇太子妃が36歳という若さで死去してから、31日で25年になる。



映像を見ていると、一般人と接しているときなどの気さくで偽りのない姿は、小さなレベルでも(相手に)変化を起こしているのがわかる。それはおそらく、彼女が美しさと弱さを兼ね備え、人の心を安心させる並外れた能力を持っているからだと思う



英国の調査会社が3年前、「人生の中で最もその死を悲しんだ有名人」を同国で尋ねたところ、元妃を挙げる人の割合が最多となるなど、現在もその死を悼む人が絶えない。日本でも今秋、元妃を題材にした映画が2本相次いで公開される。

その根強い人気の理由を探った。 来月公開されるドキュメンタリー映画「プリンセス・ダイアナ」は、婚約時から死去するまでの元妃の姿と、メディアや大衆の反応を捉えたアーカイブ映像のみで製作された。 

元妃がチャールズ皇太子(73)と結婚した1981年当時、英国は不景気で街には失業者があふれ、暴動が起きていた。そんな中での慶事とあって、大衆は狂喜した。元妃はポップスターのような存在となり、行く先々で熱狂的な歓迎を受けるようになる。 何千時間もの元妃の映像を見て製作したというエド・パーキンズ監督は公開に向けたオフィシャル・インタビューの中で元妃について、こう語っている。

 「映像を見ていると、一般人と接しているときなどの気さくで偽りのない姿は、小さなレベルでも(相手に)変化を起こしているのがわかる。それはおそらく、彼女が美しさと弱さを兼ね備え、人の心を安心させる並外れた能力を持っているからだと思う」 

一方で夫のチャールズ皇太子の愛人や、自身の不倫などについてのスキャンダル報道が絶えず、王室の権威も失墜。夫妻は別居を経て、96年に正式に離婚した。 


◇ 元妃はボランティアやエイズに関する慈善活動などに積極的に関わった。


離婚後も、地雷反対を訴えてアンゴラの地雷地帯を歩いたり、チャリティーに参加したりする元妃の姿は、多くの人の目に焼き付いている。

 元妃が97年8月31日、パリで事故死したとき、「王族の中で慈善活動をしていたのはダイアナだけ」といった王室バッシングが起きる。 関東学院大学の君塚直隆教授(英国政治外交史)は「英国王室のメンバーは名誉総裁や名誉会長として、さまざまな慈善団体を後援している。ただ自分たちが前面に出ることがないため、国民の間で王族は何もしていないという誤解が広がった」と指摘する。 

「当時、王室関係者が前面に出て慈善活動をすることには反発も受けたが、実は大衆民主主義の時代には合っていた。

〝ダイアナ流〟が必要だということを王室に分からしめた」という。 王室は元妃の死去をきっかけにホームページを拡充し、王室の収支も公開。ユーチューブやツイッター、インスタグラムといったSNSも使い、発信を強化している。 

今年、在位70年を迎えたエリザベス女王(96)は90歳のときに公務負担軽減のため多くの団体のパトロン(後援)を退いたが、それでも現在、その数は500以上にのぼっている。

 ◇ 日本でも、元妃の人気は根強い。君塚教授は「個人的な印象だが、元妃に好感を持っている日本人は50代以上の女性がほとんどではないか」と話し、舞台化されるなど一世を風靡(ふうび)した漫画「ベルサイユのばら」(池田理代子作)世代と重なるとした。 


「仏王妃マリー・アントワネットのように若くして美しいときに亡くなった女性が日本では支持される。断頭台の露と消えるといった悲劇的な死が、日本人が好きな『滅びの美学』にも通じるからではないか。ダイアナ元妃も不幸な結婚生活や美しいときに突然この世を去った〝悲劇のプリンセス〟として、日本の女性たちに受け入れられているようだ」 (水沼啓子)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする