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強い台風7号 お盆休みを直撃 週明け本州に上陸の恐れ 

2023年08月14日 18時03分43秒 | 天候のこと

強い台風7号 お盆休みを直撃 週明け本州に上陸の恐れ 鉄道は計画運休の可能性



画像:tenki.jp
強い台風7号は、暴風域を伴って、14日(月)頃から本州に接近、15日(火)には本州にかなり接近・上陸の恐れがあります。お盆休み期間ですが、交通機関に大きな影響を与える恐れがあります。

台風7号の進路
10日17時現在、強い台風7号は、父島の南東約200キロを1時間におよそ10キロの速さで西北西へ進んでいます。


台風7号は今後、北上し、暴風域を伴って強い勢力で14日(月)頃から本州に接近し、15日(火)には関東や東海、近畿付近に上陸する恐れがあります。


その後、海外や日本の予測モデルでは本州を縦断する予想のものが多くなっています。お盆休み期間の列島を直撃するでしょう。

お盆休み期間は大荒れの恐れ

台風7号は、小笠原諸島に11日(金・山の日)に最も接近する見込みです。小笠原諸島では大荒れの天気で、猛烈な風が吹く恐れがあります。暴風や高波、大雨による土砂災害に厳重な警戒が必要です。


本州の太平洋側の海上でも、うねりを伴って波が高くなり、12日(土)からは次第にしけるでしょう。海水浴シーズンですが、海のレジャーは注意が必要です。


台風の接近・上陸に伴って、14日(月)から16日(水)頃にかけては関東や東海、近畿、北陸を中心に暴風が吹き、大荒れの天気となる恐れがあります。台風本体の活発な雨雲がかかり、警報級の大雨となる恐れもあります。海上は大しけとなりますので、海岸付近には近づかないでください。高潮にも注意、警戒が必要です。東北や四国、中国地方でも風や雨が強まる可能性があります。台風の進路や進む速度によって大荒れの地域や荒天期間が変わる可能性があります。最新の台風情報にご注意ください。


お盆休み期間で移動が多い時期ですが、交通機関に大きな影響がでる可能性があります。JR東海や東日本、西日本によりますと、台風の進路や勢力次第では、新幹線や在来線で計画運休や運転見合わせ、行先変更などが発生する可能性があるとしています。新幹線だけでなく、空の便や道路にも大きな影響がでる可能性があります。最新の交通情報にもご注意ください。


以下はリンクで





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日航機墜落事故から38年ー語り続けなければならないあの瞬間

2023年08月14日 15時03分38秒 | 事件と事故



日航機墜落事故から38年ー語り続けなければならないあの瞬間(2023年)(河合薫) - エキスパート - Yahoo!ニュース 

8月12日1985年


日航機墜落事故から38年ー語り続けなければならないあの瞬間(2023年)


河合薫健康社会学者(Ph.D.)
8/12(土) 8:47

(写真:Fujifotos/アフロ)
以下のコラムは2016年8月12日に公開したコラムです。


決して忘れてはならない出来事があります。



働くとは何か? 命を守るとはどういうことか? 


「私」の問題として考えていただきたくて、毎年更新しています。


お読みください。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1985年、8月12日18時56分。JAL123便が“御巣鷹の尾根”に墜落したとき、私は大学生だった。その後、ANAに入社したわけだが、「JALに追いつけ追い越せ!」という時代に、ANAのCA(客室乗務員)、キャプテン、コーパイ(副操縦士)さん、FE(フライトエンジニア)さん、整備さん……、たくさんの先輩たちから、123便のクルーが最後の最後まで、どうにかしてお客さんたちの命を守ろうと必死だった、と聞かされた。


 アノ飛行機の中で、CAたちはひたすら懸命に自らのミッションを全うすべくお客さんと向き合っていたと、幾度となく聞かされたのだ。


機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」


機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」


副操縦士「コントロールがいっぱいです」


 これは数年前、公開されたコックピットで格闘する機長たちの声。JAL123便の高濱雅己機長(当時49歳)と佐々木副操縦士(当時39歳)だ。


 まだボイスレコーダーは公開されていなかった時代に(私が空を飛んでいた頃)、どうやって先輩たちが乗務していたクルーたちの勇姿を知り得たのか定かではない。先輩たちの中には同級生がクルーの一人だった方や、親戚が亡くなったという方もいたが、なぜ、知っていたのか。 ひょっとしたら業界だけに知らされた、なんらかの情報があったのかもしれないし、ただただ自分たちと同じように空を飛ぶ人たちを、先輩たちは信じていただけかもしれない。


 いずれにせよ、「CAの最大の任務は、お客様の大切な命を守る保安要員」と何度も何度も先輩から言われ、FEさんにはたくさんのマニュアルの入った大きなパイロットケースを持たされ「重たいだろ? これが僕たちが人命を預かっているという仕事の重さ」だと教えられ、整備さんには「小さなことでも声に出して確認しながら整備しなきゃダメなんだ」と聞いた。


 どんなにすばらしい技術でも、どんなに安全な仕組みでも、最後は人。


 どんな悲惨で不幸な事故も、そこにいる人が助けられる命がある――。


そんな一人の人間としての心の持ちようを、「大切なお客さんの命を守る」というミッションを、自分たちがそこに存在する意味を、先輩たちからトコトン刷り込まれた。


 そんなある日、“事件”が起こる。


 離陸直前に、機体が激しい衝撃音とともに大きく揺れた。「間もなく離陸いたします」というチーフパーサーのアナウンスから数十秒後、滑走路を走り出した機内を、どよめきが襲ったのだ。


 なのに、私は何もできなかった。


本来であれば、「お腹に力を入れて! 頭を抱えて! 足を大きく開いて! Stay calm.  落ち着いてください!」


と、自分もそのポーズをとりながら大声で呼びかけなくてはならない。が、私は声を出せなかった。


目の前でお客さんたちが悲鳴を上げ、不安な顔で私たちの方を見ているのに、まるで金縛りにあったように身体が硬直し、何もできなかったのである。


 幸いけが人も出ず、点検後、無事出発することができたが、先輩にこっぴどく怒られたことは、今も鮮明に記憶している。


【飛行機に乗務する意味】


「保安要員である”ことが分かっていれば、なりふり構わず大声を出せたはず。あなたにはそれが分かっていない。どんなサービスをしても、保安要員であることを忘れたら、飛んでいる意味はない!」


そう、怒鳴られた。


先輩たちに何度もCAがそこにいる意味を教わったはずなのに。日常のフライトで大半を占めるサービスにばかり気がいき、一番大切なことを私は忘れていたのだ。


ただそれがきっかけとなり、皮膚の表面で漂っていた“ミッション”が、骨の髄までしみ込んだ。なんせ辞めて20年以上たつ今でも、緊急時の衝撃防止姿勢や脱出用のスライドを滑り降りるときの確認事項が即座に言えてしまうのだ。


「お腹に力を入れて! 頭を抱えて! 足を大きく開いて! Stay calm.  落ち着いてください!」と。「スライドが膨らんでいます。接地しています。急な傾斜ではありません!」ーー。


 今、コレが咄嗟に言えることが、何かの役に立つとは到底思えない。だが、今の今まで言えるくらい刷り込まれて、“ミッション”は初めて意味を持つ。自分と一体化させないとダメというのが、私の信条になった。


 ミッションは一般的には、使命、あるいは任務、と訳されることが多いが、私はミッションを、


「自分は何者で、なぜ、そこにいるのか? といった自己のアイデンティティで、危機を乗り越えるための“正義” であり、個人が働く上で欠かせないモノ」と解釈している。


想定外の危機に遭遇しても、骨の髄までミッションがしみ込んでいれば、「自分のなすべきことは何か? 自分にできることはどういうことか?」と、自らの正義に従い、危機に対峙できる。


危機の恐怖の雨に立ち尽くし、ただただびしょ濡れになるのではなく、やるべきことに徹することで、最高の選択が可能になる。たとえそれが万事を解決せずとも納得できる行動が取れるはずだ。


一方、本来のミッションが忘れられてしまうと、効率性だけが重視され、自分の存在意義を自ら壊し、本来やるべきことがないがしろにされがちである。


ミッションなくして、お客さんを満足させることなどできないし、自分自身の職務満足感も満たされない。“いい仕事”をするためにも、いい人生にするためにも、ミッションは必要なのだ。


【ミッションを貫いた乗務員たち】


 日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった高濱機長のお嬢さんである、洋子さんは日本航空で働く客室乗務員だ。


 ご自身も遺族という立場。と同時に、墜落したジャンボ機の機長の娘であることから、事故当初から想像を絶する苦悩の日々が続いたそうだ。


 「519人を殺しておいて、のうのうと生きているな」――。バッシングを容赦なく浴びせられた。


そんな世間のまなざしに変化が起きたのは、ボイスレコーダーが公開されてからだった。


キャプテンたちの必死な、最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていた“声”が公開され、やっと、ホントにやっと父親が最後までミッションを全うしていたことを受け入れてもらえたのだ。


 「『本当に最後までがんばってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族から頂いた時には、本当に胸からこみ上げるものがありました。涙が出る思いでした。父は残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で守ってくれたと感じました」


 「私にとっては8月12日は、また安全を守っていかなければと再認識する、そういう一日かなと思います。父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たにそう自分に言い聞かせています」(洋子さん談)


 機長が守り続けたモノ――。それはお客さんの命であり、家族であり、機長の正義だった。


 ついつい責任追及を恐れるあまり、自らのミッションから目を背けてしまうようなことが、現実にはある。見て見ぬふり、気付かないふり……、そんなことをしてしまうことだってある。


 だが、自らの正義を信じ、自分たちを信じ、腹の底からマジメにミッションを徹底的に貫く。その覚悟ある行動が、ときに勘違いされたり、ときに受け入れられなかったりすることがあるかもしれない。でも、最後は必ず、分かってもらえるのではあるまいか。高濱機長がそうだったように……。123便のクルーがそうだったように、だ。


 どんなすばらしい技術も、どんな安全な仕組みがあっても、最後は人――。


 その“人”になれるかどうかは、ミッションで決まるのだ。


記事に関する報告


河合薫












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終戦前日の大空襲…標的となった「東洋一の兵器工場」【戦後75年の記憶

2023年08月14日 13時03分45秒 | 歴史的なできごと

2020年の8月14日。 この日からちょうど75年前に大阪を襲った空襲。

カンテレ「報道ランナー」


標的となったのは大阪城周辺にあった巨大な「兵器工場」でした。 終戦前日に「軍都大阪」を襲った悲劇をみつめます。



大阪城に残る「戦争の跡」

カンテレ「報道ランナー」

【大阪の平和ガイド 森田敏彦さん(77)】 「ここに1トン爆弾がバーンと落ちた。その衝撃で、ああいう形で石垣の石が、ものすごい歪んでしまった。すごい爆風で、半径1kmぐらいに破片が飛び散るぐらいの、ものすごい大きな威力を持っている」

カンテレ「報道ランナー」

「戦争の悲惨さを知ってほしい」と森田敏彦さんはボランティアガイドとして、大阪城に残る、戦争の跡を伝えています。

【大阪の平和ガイド・森田さん】

「ガイドや専門家から聞いて頂かなければ、こんな物が残ってるっていうのは、あまり皆さんお気づきでないと思う」

空襲で標的になった「東洋一の兵器工場」
明治時代、大阪城の東側に軍直轄の兵器工場が作られました。その工場は「大阪砲兵工廠」と呼ばれ、戦争をすすめるにつれ規模を拡大。分業化した工場では兵器の大量生産が行われました。


カンテレ「報道ランナー」

太平洋戦争の末期には大阪城の周囲、現在の森之宮やビル群のあたりまで…その広さは40万坪にまで及びます。工場が立ち並び、最盛期には6万人が働く「東洋一の兵器工場」と称されたのです。


それゆえに、アメリカ軍は、終戦の前日に空襲で徹底的に破壊しました。 わずかな名残りが、大阪城公園のはずれあります。 

【大阪の平和ガイド・森田さん】 

「化学分析場ですね。大阪砲兵工廠に残る貴重な遺構です。これ以外に建物は残っていません。1つのモノを言わない語り部として、戦争を伝えていく手がかり」 大正時代に建てられた「化学分析場」。 いまは廃墟となって、公園の北端にひっそりとたたずんでいます。


大阪砲兵工廠は大砲や戦車など、陸軍が使用する大きな兵器の製造を担っていました。 その兵器は、海を渡った戦闘で多くの命を奪ったのです。
学徒動員…当時「中学3年生」で空襲を経験
学徒動員で、砲兵工廠に通っていた梅原重信さん(90)。 機雷を製造していました。


大阪砲兵工廠で学徒動員 梅原重信さん(90)】

「砲兵工廠は、中学3年生になってすぐに動員がかかって、行くようになったんです。何の技術もない。『ないけど、やってください』や。僕らだって知ってますよ、砲兵工廠が1番危ない。あんな所に行ったら、絶対死ぬでと。同級生が40人くらいおったと思うんやけど、「行くの怖い」とか、「嫌や」とか言うやつは1人もおらんかったです」


8月14日の昼過ぎ。 その恐れが現実となりました。

カンテレ「報道ランナー」

【大阪砲兵工廠で学徒動員 梅原さん】

「100機くらいの編隊が来るんやで。本当に上見たら飛行機ばっかりよ。それがブワーン、ブワーンって飛ぶんよ。上からザーッと銀色のが、バーッて降ってくんねん」

「『空襲警報鳴ったから防空壕入りや』って言われて、皆一斉に防空壕へ入ったんや。そしたら、ドーン、ドーン、ドーンって言いだしたんや。それでお腹の中から、胃が飛び出しそうやった。ドーン!って言ったら、バーンってくるんや」


カンテレ「報道ランナー」

大阪砲兵工廠を標的とした空襲で、工場では少なくとも382人が亡くなりました。

【大阪砲兵工廠で学徒動員 梅原さん】

「屋根も何もあらへんし、皆こないになって、こないになってる所へ、人の手やら、何やら服やらぶら下がってるから、他の防空壕に入った人らは皆やられたんや。探しに行くとか、助けに行くとかっていう気が全然起きひんかったわ。ほとんど記憶がないんです。十三の駅まで歩いたんやけど。どうなってたんか、全然分からん。『もう少し気を利かして、防空壕の中に埋まってる人ら助けたったらいいのにな』って思ったんは、もう何十年も経ってからや」

廃墟となった数少ない遺構「化学分析場」
200以上の工場が立ち並んでいた、兵器工場の跡かたは戦後の復興とともに消えてゆきました。

カンテレ「報道ランナー」

約100年前に建てられ、戦禍と、取り壊しを免れた「化学分析場」。 終戦後は自衛隊などが使用していましたが、現在は放置され、廃墟となっています。

カンテレ「報道ランナー」

今回、閉ざされた内部に特別に許可を得て、カメラが入りました。


壁や天井は崩れ落ち、危険な状態となっていました。 物置には、化学薬品の名称や「分析」と書かれた文字が、かすかに残っています。

カンテレ「報道ランナー」

数少ない遺構である「化学分析場」を管理する近畿財務局は「具体的な活用方法などは未定」としています。

カンテレ「報道ランナー」

【大阪砲兵工廠で学徒動員 梅原さん】

「やっぱり僕としては、当時の惨状っていうのを少し残しておいてほしかった。こないなったやつ。あったんやっていう証やな。もう本当に戦争とか、空襲にあってつらかった思いをした人っていうのは、もうほとんど、本当に少ないと思いますね。

『戦争には、こんな惨めなことがあったんや』、『戦争はやったあかん』や『悪い』やなしに、『やったらあかん』それは言いたい」

カンテレ「報道ランナー」

当たり前に広がる平和な日常。 しかし、ここは終戦の前日まで兵器を作り続け、空襲で多くの命が失われた、まさにその場所です。
カンテレ「報道ランナー」020年8月14日放送より


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「これで小沢は終わりだ。小沢の闘いも終わる」逮捕されたのは、自民党の派閥のドン…小沢一郎の政治生命が尽きかけた

2023年08月14日 10時03分08秒 | 政治のこと
「これで小沢は終わりだ。小沢の闘いも終わる」逮捕されたのは、自民党の派閥のドン…小沢一郎の政治生命が尽きかけた「金丸脱税事件」の衝撃 (msn.com) 

「マスコミの諸君は次元の低い悪口ばかりだが…」30年前に小沢一郎が記者たちに打ち明けた「政治改革の夢」 〉から続く


 1993年3月、自民党の派閥会長が逮捕……小沢一郎の政治生命が尽きかけた「金丸脱税事件」とは?


 小沢氏の番記者を務めるなど長年にわたって日本政治を取材し続けたジャーナリストの城本勝氏の新刊『 壁を壊した男 1993年の小沢一郎 』(小学館)より一部抜粋してお届けする。


(全2回の2回目/ 前編を読む )





ゴールデン・トライアングル
 永田町には国会議事堂をはじめ、首相官邸や議員会館、政党本部が建ち並び、政治団体や政治家の個人事務所が入ったビルも集中している。そのため、権力の中枢とも言われている。


 なかでも、国会裏からの下り坂と山王日枝神社からの下り坂が合流するすり鉢状の地形の一帯は、ある時期「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれていた。


 日枝神社からすり鉢の底に向けて坂を下ると、正面には金丸事務所がある高級マンション「パレロワイヤル永田町」、その隣に小沢の個人事務所が入居している「永田町十全ビル」、さらにその向かい側には竹下事務所が入る「永田町TBRビル」があった。


 竹下内閣ができた1987年から小渕派と羽田派に分裂する1992年までは、竹下派が自民党最大派閥として権勢を振るっていた。


 その派閥会長の金丸とオーナーの竹下、それに幹事長を務めた後に派閥の会長代行となった小沢の3人の名前から「金竹小支配」とも言われていた。この三角地帯に立つと、金竹小の事務所が一望できる。そのためゴールデン・トライアングルと名付けられた。


 実際、政局に大きな動きがある時などは、私たちはすり鉢の底にあたる交差点付近から3事務所の人の出入りをチェックしたりもしていた。


 しかし、この三角地帯に何時間も立ち尽くし、そのうえ何の成果も得られない日のほうがはるかに多かった。


 諸説あるのだが、「金竹小」との名言は私の知り合いの新聞記者の発案らしい。ただ、その金竹小が一度に見張れるからゴールデン・トライアングルと呼ぶのには異議があった。私にとっては黄金の三角地帯どころか、貴重な時間が消えてなくなる「魔の三角地帯」バミューダ・トライアングルだったからだ。


「4億円の脱税容疑」で逮捕
 3月6日土曜日。その三角地帯で、ある異変が静かに進行していた。


 この日国会では、平成5年度予算案を採決するための衆議院本会議が予定されていた。自民党政府は、竹下、小沢への証人喚問や緊急経済対策の減税問題を巡って野党との折衝が難航し、苦しい審議状況が続いていた。だが、予算案が衆議院を通過すれば何とか年度内成立が見通せそうだった。


 与党議員と霞が関の官僚たちだけでなく、政治記者もそして野党議員すらもほっと一息つけるタイミングだ。例の三角地帯も、政界関係者の往来は少なく、そこに立つ記者もいない。


 そんな緊張感が緩んだ土曜日の昼過ぎ、金丸はパレロワイヤル永田町6階の事務所を出て、目と鼻の先のキャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)に向かった。


 前日、東京地検から「確認したいことがある」と呼び出しを受けていた。東京佐川急便からの違法献金の件は決着がついたはずだ。罰金刑を受けた後は議員も辞職し、大人しくしている……。


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 金丸は「たいしたことじゃないだろう。ちょっと行ってくる」と言い残してホテルに向かった。指定された部屋に行くと、東京地検特捜部の検事が待っていた。そのまま目立たないように法務省の合同庁舎に身柄を移される。そして、取り調べを受けた後の午後6時過ぎ、4億円の脱税容疑で逮捕令状が執行された。


 引退したとはいえ政界に絶大な影響力を持った金丸の逮捕だ。東京地検は、綿密な捜査を積み重ねて容疑を固めたうえで、予算案の衆院通過直後という政府与党への影響が最小限に抑えられ、しかも政界もマスコミも一瞬気が緩む瞬間を捉えて電光石火の勝負をかけた。


 検察にとっては、前年の東京佐川急便事件の処理を巡って傷ついた威信を取り戻す意味もあった。


 竹下派のドン・金丸の後継を巡る小沢と梶山の主導権争いがその事件に絡んだ結果、東京地検は事件処理に手間取った挙げ句に金丸本人の取り調べもせず、略式起訴で罰金刑の処分を選んだ。金丸を特別扱いしたと世論に受け止められ、批判の嵐にさらされていた。


 その汚名を雪ぐため国税当局の力も借りて執念の捜査を続けていたのだ。「巨悪は眠らせない」と、疑惑には徹底した捜査で臨み、たとえ相手が元首相であっても逮捕・起訴には躊躇しない。日本最強の捜査機関としての誇りを取り戻すためにも、東京地検特捜部にとって金丸逮捕は絶対に失敗できない事件だった。


 同じ頃、私は野党担当記者として予算取材にあたっていた。その取材は衆院通過が決まった時点でヤマを越える。予算案については憲法上の規定により衆議院の優越が認められているため、事実上成立が決まるからだ。


 所得税減税を求めて審議拒否を続けた野党だが、梶山が水面下の交渉で「所得税減税を前向きに検討する」と約束し、手を打った。これによって予算案は6日土曜日に本会議にかけられる日程になった。


 残る私の主な仕事は、予算通過後の野党の談話取材だ。これは既に予定稿ができている。不測の事態が起きないか見届けるのは同僚記者に任せて、久しぶりに早めの帰宅をしていた。


 自宅で夜7時のニュースをチェックしていると、机の上に置いてあったポケベルがけたたましく鳴り始めた。政治部の電話番号が表示されている。自宅の電話にかけてこずにポケベルを鳴らすのは、緊急時の一斉呼び出しの時だ。


 ひどく嫌な予感がした。政治部にかけても案の定繋がらない。記者クラブにかけても話し中だ。何か重大な事態が発生しているのは間違いない。


「金さんがパクられたらしいぞ」
 何が起きたんだ……。そのうちサブ・キャップから電話がかかってきた。


「あのな、金さん(金丸)がパクられたらしいぞ。詳しいことは分からないが、東京地検で発表があるらしい。社会部は完全にテンパってるからそっちでも情報を取ってくれ。野党の反応もいるな。原稿は俺が受けるわ」


 いつものように眠そうな口調でそれだけ言うと、電話は切られた。


 この人は、何が起きても動じない。大した度胸だと思ったが、いまは感心している場合じゃない。私は慌てて知り合いの政治家や秘書に片っ端から電話をかけた。話し中が多くなかなか繋がらない。運よく繋がっても、


「何があった? どうなっているんだ?」


 と逆に質問攻めに遭う状態だった。


 東京地検が金丸逮捕を正式に発表したのは午後9時。容疑は、割引債など4億円の所得を隠していた脱税だ。


 金丸ほどの大物政治家が蓄財としか思えない所得隠しをしていた事実は、政界やマスコミに深刻な衝撃を広げた。金丸逮捕が政局に重大な影響を与えるのは間違いない。私は、特に小沢の行動は、かなりの制約を受けるのではないかと思った。


「金竹小」の一人であり、むしろ権力を行使する実権は小沢が持っていた。竹下のスキャンダルでも証人喚問に応じざるを得なかった。事件がどういう展開を見せるにしても、小沢の関与が当然疑われるし、説明を求められる。政治行動が制約を受けるだけでなく、場合によっては小沢自身の政治責任も厳しく問われるに違いない。


「これで小沢は終わりだ。小沢の闘いも終わる」


 政界に関わる誰もがそう考えた。私も少なくとも政治改革を巡る動き、特に小沢が進めている水面下の野党工作は、中断せざるを得ないだろうと思った。


 小沢とその周辺は現役の小沢番が中心となって取材している。しかし、各社が取材対象に殺到している状態のなかで、独自の取材をすることは難しい。そういう時こそ、長年苦労して関係を築いてきた「OB記者」の出番だと思っていた。それはある種の功名心でもあるが、担当でなくても「他社に抜かれる恐怖心」は変わらない。現役の小沢番の邪魔にならないように、密かに小沢の胸中を知る方法はないだろうか……。


小沢に電話を入れると…
 私は深沢の小沢の私邸に電話を入れた。受話器を取ったのは、住み込みの秘書だった。


「先生は誰の電話にも出ないと言っています。取材は、明日の昼頃に懇談でコメントを出すと番記者の皆さんに連絡したところです」


 予想通りだった。


 私が「じゃあ、それが終わった後、夕方には1人でこっそり行くからと伝えておいて」と頼むと、「分かりました。先生が会うかどうかは分かりませんが、一応伝えておきます。5時過ぎでいいですか」と了解してくれた。


(城本 勝/Webオリジナル(外部転載))










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間近で見る、ニイニイゼミ

2023年08月14日 08時03分22秒 | 日々の出来事
いつも鳴いているニイニイゼミですが、姿を見るのは久しぶりですね🍀
















7/19/2023
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