雨、25度、93%
我が家のどの部屋の壁にも,私がチクチクと刺したデンマークのクロスステッチの額が飾られています。僅かに大きな地図の額が2枚と絵画展のポスターの額が2枚、そして,小さなマリーローランサンのエッチングが2点が刺繍以外の額です。
マリーローランサンが一躍日本でブームになったのは,息子が生まれてからの事,1970年代の終わりから1980年初めにかけての事だったと記憶しています。ローランサン独特の女性を水彩で淡く描いた絵など目にしない日は無いほど,広告などにも使われて,マリーローランサンの美術館までオープンしました。
マリーローランサンにいたく傾倒したのは,私の母でした。その頃、私たち家族は東京に住んでいました。孫に会うために月に一度は福岡から上京して来る母です。きちんとジパンシーのスーツを着て来ることもあれば、フィラの輸入物のスポーツウェアーに身を包んで来る事もありました。犬たちを置いて来ていますから,そんなに長い滞在ではありません。幼稚園前の息子を連れて,多摩川の土手をどこまでも散歩したり、時には,東京から一足伸ばして,信州,新潟まで行く事もありました。
そんな折,やって来るなり「マリーローランサンの絵を買って帰りたい。」と言ったことがありました。言うにはそれなりの心算があるあらしく,銀座のどこそこの画廊に行くといいます。1980年頃の銀座の画廊,今の様な銀座ではありません。まだ古い小さなビルが建ち並ぶ銀座の裏通りです。2階にあるというその画廊には,狭い階段を上りました。暑い夏でした。階段を先に上がる母のヨシノヤの靴ばかりがなぜか記憶に残っています。
上り切った空間もやはり昔ながらの画廊です。先客を相手する画廊のご主人は、何やら癖のありそうな人に感じました。水彩、油絵が少々、エッチング,小さな彫刻。母は最初から淡い水彩が欲しかったと思います。付き添った私ですが,さほど,ローランサンに興味はありません。ただエッチングが昔から好きです。水彩いを1枚買いたいという母に,エッチングを2枚と勧めたのは,私だったように思います。もちろん母の予算内の事です。カードで支払いなんてまだまだ先の時代の事,確かお札をしっかりと持って行きました。
30数年経っても色褪せない,金の額に入ったエッチング2枚は、母が大事に抱いて福岡に持ち帰りました。宅配便なんてまだなかった頃です。福岡に帰れば小さなエッチングを眺めます。よく書く事ですが,母はものの手入れをしない人でした。掃除もしない人でした。帰る度に,薄汚れて行くこの2枚のエッチングを見るのは辛いものがりました。ある時見ると,エッチングの周りの布の額装部分に滲みが入っています。どんなにがっかりした事か。でも,私のものではありません。
香港に来て10年が過ぎた頃、思い切って,この額を頂戴と言ってみました。いくら一人娘でも,ものを頂く時には気を使います。2枚一度にもらったわけではありません。一枚一枚,それこそ大事に私が持って香港に帰りました。
初めの一枚、 次が、
金縁の額は何度拭いても薄く雑巾が汚れるほどでした。ガラスは,すぐにピカピカに,でも,未だに額装の布の滲みは取れません。
我が家の玄関のドアを開けると、まず目の前に品よく見えるのがこの2枚です。もう我が家にやって来てそろそろ20年。母の家にいた時間より長くなりました。私のものです。
母が逝って,母の持ち物で残したものは,焼き物と家具、一枚だけジパンシーの黒のスーツ。着物、洋服は全て捨てました。食器も殆ど,本も捨てました。母の手になる字の書かれたものも一枚も残しませんでした。
この2枚のエッチングを見ていると、ちょうど今の私と同じ年の頃の母の後ろ姿を思い出します。ジパンシーの服がよく似あっていました。派手な色合いの服もよく着こなしていました。残したものは殆どありません。この2枚の額の額装をいつか替えるつもりでいました。最近になって思います、この滲みもまた母のものだと。滲みのまま持つつもりです。やはり,この2枚のローランサン、母のものです。