チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

萬行寺のとら

2013年01月31日 05時10分02秒 | 

曇り、11度、71%

 福岡に帰国する度に、年に6回は実家の墓参りに行きます。そのことを知人に話すと、日本にいる人より多く墓参りをしてるよ、とおっしゃいます。そう言っても、命日やお彼岸お盆の節目には行くことが出来ません。周りの墓にたくさんの家族が訪れる中、お彼岸やお盆は、父は寂しい思いをしているはずです。10日ほど前に帰った折にも墓参りに行きました。今回の墓参り、前回から1週間目です。父の命日がもうすぐですから。

 実家の菩提寺は、福岡の鎮守櫛田神社のすぐ近く、萬行寺です。ここ数年ずっと、門をくぐると辺りをきょろきょろと見回します。とらさんをを探しています。いつ頃からか、本道前の砂利道に大きな薄茶の猫がいるようになりました。このお寺の先代の住職も今の住職も、とても猫好きで知られています。冷暖房完備の社務所に行けば、いつも、王様女王様然とした猫がいたものです。

 このとらさん、よそから迷って来た猫らしくいつも外にいます。昨日も、探すと、社務所の入り口で日向ぼっこの最中でした。 昨年辺りから、とらさん毛艶が無くなって、随分痩せてしまいました。心配で、わざわざ、社務所の人に様子を尋ねます。腎臓が悪く、週に一度病院通いをしているそうです。そう言えば一週間前には、姿が見えませんでした。いるなと思うだけで嬉しくなります。子供が寄って行って触っても、おとなしくされるがままです。お寺ですから、車の出入りも多いのに、うまく避けています。

 お寺の猫として自覚しているかのようなとらさん。帰るとき、たくさんご飯を食べているのを見ました。安心、安心。この社務所の左脇には、とらさんの家があります。社務所の中にも新米の猫が2匹。とらさん、とても人気があるので、「萬行寺のとら」で検索すると、とらさんの若かった頃の写真も出てきます。私の、「猫さんたち 香港 日本」というフォトチャンネルにも、とらさんの家、元気だった頃のとらさんがのっています。とらさん、またね。

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ペコちゃんカップ

2013年01月30日 05時06分36秒 | 日々のこと

晴れ、4度、福岡

 小さい頃の好物は、アイスクリームとイチゴでした。それ以外のものはほとんど食べたくありませんでした。食べることには、全く興味がなかったのです。挙げ句に、貧血でふらふらするので、学校へ行く前に、ぶとう糖の注射をしてもらっていました。太い静脈注射でした。注射も嫌いだったのですが。

 子供は、私ひとり。アイスクリームとイチゴは、ゼーンブ私のものでした。欲しいと言わずとも誰も食べずにいます。好きなものは、独り占めする精神は、この頃から、培われたものです。

 実家の片付けも、着物と高い所にあるものを除くと、ほとんど開けることが出来ました。片付けをはじめて2年、たまに来てするので、こんなペースでした。本などは本棚だけでなく、箱に入ったものまでありましたし、あっちの部屋こっちの部屋に散らかっています。状況はよそさまには解ってもらえないので、一人でよくやったねと褒めてあげてます。

 ご褒美のように、台所の高い扉の中から出て来たのが、ペコちゃんのカップでした。

  5個が、ご飯を入れる籠に入っているのを見つけたとき、きっと、私ニンマリしていたに違いありません。ペコちゃんの顔の形のこのカップ、アイスクリームが入っていました。美味しかったかどうかなんて覚えていませんが、黄色いペコちゃんもありました。その黄色いペコちゃんは、私の歯磨き用に洗面所で使っていました。

 ペコちゃんのカップ、プリントされたものは沢山ありますが、こんなフィギュアは珍しい。並べるとまた可愛い。と、一人悦にいっています。

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リモワのトランク プラダのボストン

2013年01月29日 05時41分03秒 | 旅行

晴れ、2度、福岡

 ずっと、旅には、グラネロの黒の革のボストンバックを使い続けて来た私ですが、流石に、腕の力が落ちて来て、昨年、家人に買ってもらったリモワのトランクです。機内に持ち込めるサイズです。きっと、女性にしては旅の持ち物が少ないので、一人の旅ではこれで充分です。

 リモワのトランク、最初のお仕事の時は、根のついた山椒の苗木をこっそりと、香港に持ち帰りました。先週、福岡に帰る前にトランクの蓋を開けると、タマネギの皮のようなものが入っています。?そうか、アムステルダムからチューリップの球根を持ち帰りました。そして、先週、香港に帰る私のリモワのトランク、古い立ち雛が入っていました。やっと実家の整理の中見つけ出した立ち雛です。こんなにすぐに福岡に戻って来る予定はありませんでした。次ぎに来るのは、3月半ばのつもりでしたからね。

 ガラガラとトランクをひきながら、ラップトップや化粧品、少ない着替えに混じって、お雛様が入っている様子を思うと、一人ニヤニヤです。基本的には、機内に持ち込みます。頭上のトランクに自力で入れれる重さが、限度です。小さい私は、シートに足をかけ、エイっと入れるわけです。ウン、まだまだ、腕の力はあるようです。

 寒くなると荷物が若干増えます。コートです。コートを着て飛行機に乗っているわけにはいきません。しかも、帰り着く香港、ほとんど、コートなんて不要です。国によって違うものの、最近はラップトップを荷物検査のとき、全てのケースから出して、機械にかけます。あのコンベアーの前だで、もたもたするのは嫌いです。コートとラップトップのために、11月頃から、トランク以外にナイロンのプラダのボストンを持って行くようになりました。

  こんなふうにして使います。ボストンの中には、ラップトップとコートなどを入れています。ちょっとプラダにしては、珍しい色合いのバックです。小さなポケットがついていないのが玉にきず、男の人のビジネスバックのような使いよさはありませんが、当面はこのコンビにお世話になります。ボストンは10年以上前に求めたものですが、あまり使っていませんでした。

 今回香港に帰るとき、このトランクに何を入れて帰りましょうか?

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おたふくわた

2013年01月28日 04時20分24秒 | 日々のこと

曇り、2度、福岡

 物心ついた時から、このおたふくわたの金属製の看板はこの家に貼られています。福岡の市内、幹線道路に面した家です。昭和の30年代、おたふくわたやら福助のこうした看板が、道沿いの家に貼られていました。40年代に入ると、大村崑のオロナミンcドリンクやボンカレーの広告もありましたね。ほとんど見られなくなったこうした看板です。もしかしたら、この看板、私の年より長くこの家に貼られているかもしれません。 この看板を見る度に、看板ばかりでなく変わらぬ佇まいのこの家に感心します。この家に住む人が、心をかけて住んでいる様子がうかがわれます。

 実は、私の今回の急な帰国は、家の件です。内輪話ですが、家人は長男、私は一人っ子、家人の実家も、私の実家もいずれ私たちのものになります。それを解っていながら、自分たちのマンションを買ってしまいました。持ち物が多いのは、ごめんです。私の実家の荷物を片付けたら、家は壊して売ってしまおうと、私は思っていました。ところが家人はずっと反対します。家を残そうと言います。ここ4、5年、話は平行線でした。ちょうど1週間前、香港に戻った私に、家人がウェッブで見つけた古い家を改築してくれる方のことを話してくれました。2日間、その方のウェッブを見るうちに、私の気持ちが変わりました。実家を残そうと。私が言うのもなんですが、風格のある家です。母が、手をかけるという心を持たないばかりに、あれ荒んでしまいました。

 いい改築をしている方が、今日、実家を見に来てくださいます。間取りも替えたいし、二階屋を平屋にしたいし、改築と言っても、大改築になると思います。こんな仕事を引き受けてくださるか、ちょっと心配です。

 家を取り壊して、なんとかハウスを建てた方が、金銭的にも楽かもしれないのに、家を残そうと言ってくれる家人に感謝です。さて、どうなりますことやら。

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不老泉 葛湯

2013年01月27日 06時06分46秒 | 日々のこと

曇り、15度、88%

 寒い冬の朝、食の細い私に母が葛湯を作ってくれました。葛とお砂糖に熱いお湯を注いで作る葛湯です。ほとんど香りもないその白いドロドロした飲み物が嫌いで、いつもほとんど手を付けませんでした。福岡には、朝倉市の秋月という所で、とても上質な葛がとれます。廣久葛本舗の和紙の袋に入った葛を見ると、小さかった日の冬の朝を思い出します。

 ところが同じ葛湯なのに、京都のお土産で頂くこの不老泉は、子供心にも美味しく思ったものです。白いドロドロではなく、ちょっと小豆とかお抹茶の味がします。こんな頂き物は、棚の奥深くに仕舞われていますが、子供の勘と言うか、見つけ出すわけです。湯のみに、不老泉をあけて、いつも母がするように熱い湯を注ぎます。ところがいけません、湯の量が多すぎて、さらさらの葛湯になってしまいました。そこで、もう一袋足すことも覚えました。

 不老泉、品よく小振りの湯のみで飲むべし、とはこんな経験から覚えたものです。

  久しぶりに頂く不老泉。最中の皮のような浮き実がポツポツ。入っている箱の意匠が、また、なんとも可愛いのです。あと、お抹茶と片栗があります。 この、切手よりひと回りほど大きな小箱に何をいれましょうか?

 暖まった後にも楽しみが、ごちそうさまでした。

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西湖 和久伝

2013年01月26日 06時12分48秒 | 日々のこと

曇り、16度、83%

 レンコンのお菓子と聞くと、なんだかレンコンの穴にあんこでも詰まったものを想像してしまいます。この西湖、実は、レンコンのお菓子です。京都のお料理屋さん、和久伝(伝は、古い字体なのですがうまく変換出来ません。)の食後のお菓子です。京都からのお土産で頂きました。

 青笹に包まれたレンコンのお菓子、レンコンのでんぷんと和三盆の甘みで出来た、つるんとしたお菓子です。和三盆特有の香りが口に拡がります。くせの無い甘さは、和三盆ならでは。のど越しも楽しいのですが、一番のお楽しみは、この青笹の香りです。ここ香港でも、笹に包まれた食べ物がありますが、まだ青々としている笹と、乾燥した笹では、香りが数段違います。和久伝では一年中、この西湖を作っているそうです。笹の調達はどうしているのかな?などと考えてしまいます。

 最近、東京の方からも和久伝のお土産を頂きます。デパートの地下にコーナーが出来ています。もちろん西湖もあります。お姉さんに聞くと、朝一番に京都から届くのだそうです。

 美味しいお茶を入れて、西湖を一口で。いけません、下から熱いまなざしが。モモさんにも少しあげました。味わって食べてよ。笹を洗おうと席を立って振り返ると、 西湖ののっていたお盆をじっと見つめて、私の椅子に上がっています。

もう、これで最後。 よほどお気に召したのでしょう。おごちそうさま。

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ハリネズミのピンバッチ

2013年01月25日 06時07分19秒 | 身の回りのもの

晴れ、16度、77%

 2センチほどの小さなハリネズミのピンバッチ。初めて見たのは去年の8月でした。場所は、福岡天神の若い人が出入るする雑貨屋です。雑貨屋の数は増える一方、でも、自分好みの雑貨屋には、すぐアンテナが反応します。通り抜けるつもりが、寄り道に。

 ガラス張りの両面見えるケースには、お店の中でもちょっと値が張る小さなものが入っていました。BROWNの新しい腕時計。ドイツ製の切れ味のよさそうな、アンティークなはさみ。高級品ではなくても、身の回りに置くと、気持ちよく生活出来るようなものばかりです。アクセサリーもあります。そのひと隅に、刺繍の施されたピンバッチが幾つかありました。ピンバッチは、ブローチほど大きくはありませんが、襟元に付けても、薄手のものに付けても納まりがよく、大好きなアイテムのひとつです。

 若い方達と並んで、ショーケースを覗き込む50代のおばさんも少ないでしょうね。私にとっては、宝石店のダイヤの指輪よりこんなピンバッチの方が魅力的に見えてしまいます。お値段だって、私の小さな財布で賄えます。でも、買わずに店を出ました。

 10月にも、福岡に帰りました。今度は、通り抜けではなく、ピンバッチを見るために、お店に直行。ケースの隅のピンバッチたちは私を見て、笑っています。まだ、待っててね。というのも、その日、私が着ていたのは赤の水玉のプルオーバー。私にしては珍しい服です。その時も、そのまま店を出ました。

 先日、福岡に戻った時の服装は、大きな黒のコートでした。移動の途中、件のお店にまっしぐら。、まだ、皆勢揃いしています。お店のお姉さんに、ケースから気になっていた2つを取り出してもらいました。このハリネズミと、顔がついたお日様でした。黒のコートの襟に、取っ替え引っ替え置いてみました。やっぱり、ハリネズミ。頭の隅を、毎朝走る香港のボーエンロードで会うハリネズミたちが過ります。 セーターに付けるとこんな感じです。このピンバッチ、ダイアナ王妃が雑誌「TIME」を飾った時に付けていた帽子のデザイナー、宮島さよ子さんがデザインしたものです。

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織り

2013年01月24日 06時08分08秒 | 日々のこと

曇り、16度、89%

 20代からはじめた、目の細かい麻布に刺すデンマークのクロスステッチ。40代に入った頃、ひとつの事に気付きました。ひと刺し、ひと刺しに込められる、刺す人の気持ちです。昔から、洋の東西を問わず、女の人の手仕事には、その人のその時その時の気持ちが込められています。辛いこと、案じること、悲しいこと、嬉しいこと。そう気付いたのは、自分が針を持つと、すーっと心のざわめきが消えることからでした。女の人の手仕事は、自分の心宥めでもあったように思います。

 先日の帰国の折、40年ぶりの友人に会いました。彼女とは、小学、中学、高校と同じ学び舎で長く一緒だったにもかかわらず、深い付き合いがないままでした。その彼女が、私のブログを見て、連絡をっとってきてくれたのは、去年の秋のことでした。40年間、一度も会うこともなく、違う土地で暮らして来た二人です。彼女からの連絡をもらって以来、この巡り合わせは、きっと、40年間のお互いの中に築き上げて来た何かが、呼び合ったのだと思っています。

 40年ですからね、すぐに解るとたかをくくっていた私、すぐには彼女だと解りませんでした。お互い高校の時とは、いささか見た目も年を取ってしまいました。その彼女が、私に手渡してくれたのが、 この織り。彼女が、紡ぎ、染めて織り上げた布です。木綿のざっくりと節のある手触りです。

 香港に戻って、彼女との会話を反芻しながら、この布を眺めていました。ふと、木下順二の「夕鶴」を思い出しました。「鶴女房」、「つるのおんがえし」などと言われるお話です。鶴は、自分の命かけて、見事な織りを織ります。

 女の手仕事は、気持ちを込めるばかりか、それぞれの人の命を散りばめているように思います。縦糸に通す横糸の一手一手、針を持ち刺す、そのひと刺しひと刺し。

 50代になって、また、女の手仕事の意味が、ひとつ深くなりました。彼女とも、この織りのように響きあえたらと思います。

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山椒の新芽

2013年01月23日 06時04分52秒 | 日々のこと

曇り、16度、92%

 おととい、福岡の空港を発つ時、気温10度でした。10度と言っても、小雨混じりのお天気、薄ら寒く感じました。一方、香港は18度、昨日の昼間は26度近くまで上がりました。私なんて、一日半袖。

 留守をしたのはたったの4日間、それなのに、外の植物たちは、陽気に誘われて、あらっ!っと歓声を上げたくなるくらい、成長しています。

 オランダから持ち帰った球根たち、ムスカリは早くから葉の芽が出ていて、 ちょっと徒長気味です。花芽を探しますが、見つかりません、花をつけるか、心配になってきました。

 水仙は、 芽の先が緑に色づき始めています。来月10日の春節には間に合いそうもありません。中国の春節の花は、桃とこの水仙です。今香港では、大きな水仙の球根が、箱詰めで売られています。春節に因むものはどれもお祝儀価格でいいお値段です。

 さて、チューリップ、 12個の球根のうち、カビがついていて腐ってしまったものが8個もありました。残った4個を大切に見守っています。

 昨年の秋口から枯れたようになっていた山椒の木。やっとの思いで、日本からこっそりと持ち帰ったものです。枯らしては、がっかりです。丸裸になる前に、葉が茶焼けしました。きっと、何か病気になったのでしょう。年明け前から、細い枝に芽がつき始めました。よく見ないと、解らないほどの堅い堅い芽です。良かった、生きている、そう思って毎日毎日新芽を見ます。 香港に持ち帰って、昨年は8センチほど大きくなりました。昨日の朝、水を遣っていると、緑の物がついてます。小さな小さな山椒の葉っぱ。小さい時から、あの特徴ある形です。

 しばらくは、香港この陽気が続くそうです。でも、長期予報では昨年より寒さは厳しくなると言っています。ぶり返す寒さに耐えて、本当の春を迎えることが出来ますように。

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IKONTAのカメラ

2013年01月22日 05時04分01秒 | 日々のこと

曇り、19度、85%

 実家の荷物の整理をしていて、つくづく感じることがあります。ひとつが、実家の大きさです。元々のこの家の物、そして、父の写真館にあったもの、最後は私たち一家が、香港に発つ前に置いて行った家具や本など、有り余るものだらけの家なのに、まだ、充分すぎる空間があります。そして、もう一つは、片付ける、手を入れることをしなかった母の性格です。次々に無秩序にものが出てきます。

 父のカメラも、一カ所にはありませんでした。しかも、まだ見つからないものまである始末です。昨年10月の整理の時に見つけたものですが、見ている暇などなく、今回の整理の途中、手に取ってみました。本革のかっちりとしたカバーをとると、 こんなふうになっています。一緒に見ていた息子も首を傾げたカメラです。二人共手が汚れているので、もとの場所に返して仕事を続けました。この3ヶ月、一番気がかりになっていたカメラです。今回、仕事の合間ゆっくり取り出して見ました。

 カメラには間違いありません。カメラ上部の突起を押してみると、 ゆっくりと蓋が開き、レンズが出てきました。私がビックリしたのは言うまでもありません。スプリングカメラです。

 父が実際使っていたカメラなら、記憶にあります。この、実に古いカメラは、父がコレクションしたものか、私が記憶にある以前に使っていたものなのか、今は知る術もありません。

 イコンタ[IKONTA]というスプリングカメラ、ドイツのものです。一般には、最初のスプリングカメラとして知られているものだそうです。

 カメラの機能などは解りませんが、蓋が開き、ゆっくりとレンズが出て来る様子は、実に優雅でした。今では、ほとんど生産されていない横送り式のフィルムを使うカメラです。父は、戦前からこの仕事に就いていました。クラシックカメラに詳しい方に見てもらえば、いつ頃のものか解るはずです。

 でも、私の興味は、父がこのレンズを通して何を見、何を感じたかということです。いつ頃のものだとか、クラシックカメラとしての価値など、私にとっては、何の意味も持ちません。もうすぐ、父の命日です。カメラの重みを手に感じ、バインダーを覗くと、44年前に亡くなった父とつながっているような錯覚を覚えます。

 

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