チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

検索キーワード「キングスマンパグ」

2015年08月31日 06時40分48秒 | 日々のこと

雨、25度、94%

 どれだけあるか分からないほどのブログの数です。沢山あるブログの中で,知らない方が私のブログを見てくださっています。どうやって,知らない方達は私のブログに辿り着いたのかなと不思議に思います。そんな時自分に振り返ってみると,ある商品の事を知りたくて検索するとGoogleなりヤフーのページに商品の販売元からの情報だけでなく,それを使った人のブログが載っています。何かを知りたくて検索すると,私のブログが出て来る場合があるようです。この2週間,キーワード「キングスマンパグ」で私のブログに入って来る方が日に日に増えています。確かにコリンファース主演の「キングスマン」を見たのは5月の事です。しかも,機内で見ました。5月3日に書いたブログのタイトルは「13時間のフライトで5本の映画を見ました。」です。「キングスマン」を見ましたとは書きましたが、パグの事など書いていません。不思議だなあ,と思います。ただその時のブログの見出し写真には,今日の写真と同じ映画の一コマ、パグの大写しを載せました。日本での公開は,この夏だったようです。

 なんだか腑に落ちない私は、自分でも「キングスマンパグ」で検索してみました。開いたGoogleのページの一番上には私のブログがのっています。映画会社のオフィシャルページではなく,私のブログです。で,これまたびっくり。びっくりと同時に,なんだか気恥ずかしく思います。

 モモさんの事を書くと,私のブログを訪れてくれる方は沢山います。モモさん人気です。でも,モモさん、毎日同じ事しかしません。書く事は知れています。ところが、このひと月ほどの間に3回、本を読んだ事を書きました。ただ読みましたという記録みたいなつもりで書いています。カズオイシグロの新作,これは日本でも翻訳されていますから,見てくださる方がいるのは分かります。次がジョアンハリスの新作,「ショコラ」の作者ですが日本ではそんなに知られていない作家です。そして先日、インド人作家アミタヴゴーシュの新作。この3つのブログもたくさんの方が見てくださいました。これまた私にとっては不思議です。人気作家ではない人の本、私自身の私事のつもりで書いています。それなのに,読んでくださる方がいます。ありがたい事です。きっと,日本語の翻訳本がなくても,隠れたアミたゴーシュやジョアンハリスのファンがいるのかもしれません。そして,やっぱり,ブログって不思議だなと思います。

 私のブログのgooは,私のブログにアクセスした検索キーワードの順位を知らせてくれます。今日もやはり一位は,「キングスマンパグ」でした。

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うんこがコロリン

2015年08月30日 05時29分30秒 | もも

雨、25度、90%

 我が家の周りは坂だらけ。しかも、かなり急な坂ばかりです。 坂あり、階段あり。そこを11年間もモモさんは散歩しています。家でトイレをしないわけではありません。が、お外に行くのはやはりトイレが一番の理由、2番目はきっとお友達に会う事です。少しぐらいの雨だって気にしません。水溜りが出来ていようが,ジャブジャブ。当然、そのお散歩に一日2回お付き合いするはこの私です。暑いうちは,のども乾きます。おしっこの後にかける水も大目に冷やして持って行きます。蚊が多い道に行くときは,団扇だって持って行きます。時折は側溝の水の流れで水浴び。お腹を冷やすためでしょうか,急に道端で休憩する事もしばしば。

 良くがんばって,上ったり下りたり。 坂の途中で催すこともあります。小走りに走って,好きな場所を決めたら,背中を丸めた、例のポーズです。 うーん、うーん。 終わると潔くケリケリ。これで,恒例の儀式は終わります。モモさんのうんこは,どちらかというとべっとりとはしていません。うんこを坂の途中でなさると、コロリンと転げて行きます。これは大変と,うんこの後を追う私です。時には追い討ちをかけられます。うんこを追っかけている私に,またしてもモモさんがケリケリしたうんこが飛んで来ます。そして,当のご本人,スッキリとした表情で,坂下にいる私を、何やってるのといった顔をしてみています。

 私にとっては,時には臭いお散歩ですが,まあ,元気にお散歩してくれるモモさんを見るのが一番です。

 

 

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ホテルの朝刊入れ

2015年08月29日 05時10分23秒 | 

雨,26度、97%

 この11年間,小さな旅行を殆どしていません。モモさんが我が家にやって来てからです。出来るだけ,モモさんと一緒にいたい一心からです。船や電車で一時間もかからずに行く事が出来るお隣の深圳にすらとんとご無沙汰しています。ましてや,飛行機に乗って行く近くの東南アジアにも行きません。ですから,11年以上前の東南アジアでのホテルの事です。

 何処に行っても少々の時差があっても朝早く目が覚めます。ホテルですから,主人と同じ部屋で休んでいます。早く目が覚めたからといって,家にいる時とは違って,掃除も洗濯も出来ません。いえ、する必要がありません。仕方ないので,バスルームに行って本を読んでいることもあります。ベットの中でじっとしてるのは苦手です。それでも我慢してベットに潜っていると,まず朝一番に聞こえる音は,朝刊を配る音です。その音が聞こえなくなると,そっと廊下に出てみます。右見て左見て,ダッシュで廊下に出てそれぞれの部屋の前にある新聞を入れ換えに走ります。いろんな国の人がこの新聞をください、とフロントに言ってありますから,部屋の前に置かれている新聞はそれぞれ違います。新聞を入れ替えると,自分の部屋の前に置かれている新聞を持って急いで部屋に入ります。このフロアーの泊まり客,頼んだ新聞とは違う新聞が部屋の前にあるのを見つける訳です。30代から40代にかけての事です。いくら何もする事がないからとはいえ,よくないいたずらだったと今は思います。私が泊まったフローアーの責任者は上からお小言をもらったに違いありません。

 あの頃のホテルでは廊下の床に直接朝刊を置くのではなく、 こんな布袋に新聞を入れて,ドアノブにかけてくれていました。早朝廊下の左右を見ると,どの部屋のドアノブにもこんな新聞入れがかかっているのは,気持ちのいい眺めです。最近はどうでしょうね?まだこんな布て作られた新聞入れを使っているのかしらと思います。当時は,ランドリーバックも大きな布袋でした。今では不織り布か味気ないビニールのランドリーバックです。新聞入れにしてもランドリーバックにしても不織り布とほんとのコットンでは,全く感じが違います。コットンは手がかかります。洗濯してアイロンかけて,それに比べて不織り布は,使い捨て。こんな布の小袋にはもう出会えないのかもしれません。 10年一昔と言いますが,布で出来た物が紙や不織り布、ビニールに取って代わりました。紙が丈夫になった,不織り布は安価で作られる、ビニールは使い捨て,理由はごもっともです。こんな布袋がドアノブにかかっていた頃のホテルの朝を懐かしく思い出します。

 

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お香

2015年08月28日 06時42分16秒 | 音楽

小雨,26度、85%

 昼間は30度を超す香港です。そして,相変わらずムシムシと湿度も高いのですが,ふとした時に秋を感じます。晴れた昼間の空と海の色、外に出た途端に出会った風の匂い。蝉はとっくに鳴きません。早朝は下草の虫たちの合唱が始まりました。夏が終わらないのかと心配するほど暑い日が続いていたのに、間違いなく秋がやって来ています。

 そんな気配を感じてか,主人がお香を炊いて欲しいと言います。この香港で,たとえ空調が効いた部屋でも夏の盛りにはお香が苦しく感じます。私など夏の間はアロマを瓶からクンクンと嗅ぐだけでした。

 お香はいつも用意しています。香炉をどこにやったかしらと探していると,主人が、 こんな物を持って来ます。香炉じゃないの?私は大笑い。我が家の蚊取り線香を炊く器です。中国の物で、本来は冬に手を温める為の物です。まあ,香炉には違いありません。 お香を炊く物も様々。コーンを乗せる,一本立てる。私の実家の古いトイレには小さな床の間があって,一本線香が灯っていました。父も母も香のかおりが好きな人だったなあと,思い出します。

  お香も色々、頂き物もたくさんです。主人など,銀座の裏通りを歩いていて,香港にまで電話して来ます。何かと思えば,初めてのお香屋さんを見つけたと,どれにしようかね?と電話先。まだ,あるわよといっても買って来てくれるのは目に見えています。昔と違って,お香のかおりも色もバラエティーに飛んでいます。選ぶのも楽しみの一つです。 この「姫の香」というお香,火をつけるお香ではありません。灰の中に炭を入れその熱で温めて香りを立たせます。空薫「そらだき」です。四季にちなんで4色,それぞれの形も可愛い京都のお香屋さんの「姫の香」です。

 先日,実家の仏壇に亡くなった父が買って置いた中国のお香がありました。50年以上前のお香ですが、まだ香ります。お香は中国、インドからやって来た物でしょうが、その香りといったら,全くと言っていいほど違います。インドのオイリーな香り,むせるような匂いです。中国のは乾いたほこりのようなお香のかおりです。もし,お香の道がインド、中国、日本と通っているとしたら,徐徐にその香りも風土に合わせて変わって来たのだと思わせます。日本のお香の灰はきれいですが,インド、中国のお香の灰はボソボソ。作り方にも違いがあるのでしょう。

 部屋の片隅にお香のかおりが溜まっています。身が引き締まるような冬の空気の中では,お香のかおりはもっと研ぎ澄まされます。ゆるゆると立ち上るお香の煙、時間がゆっくり流れます。

 

 

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モモさんのTシャツ

2015年08月27日 06時40分57秒 | 日々のこと

曇り,27度、87%

 モモさんが着るTシャツではありません。モモさんの写真のTシャツです。

 サプライズで頂きました。モモさんが大きく映っています。どうやってモモさんの写真を手に入れたのかな?でも,とてもいい表情のモモさんです。あー、これは、お店の前にモモさんをつないで買い物をして戻って来た所の写真です。私の姿が見えなくなると不安そうな表情になりますが,しっかりと堪えて待ってます。モモさんのTシャツなんて初めて,主人に見せびらかそうと昨晩はこれを来て待っていました。「どうしたの?僕のは?」想像した通りの反応です。「私のだけだよ。」主人曰く「色がいい具合に出てるね。」何分にも粉屋さんの仰る事です。確かに色がいい具合。さんざん見せびらかして,夕飯の支度を始める前には着替えます。

 パグのグッズ,シールから食器にいたるまで実際には使えないで溜め込んでいます。封筒、レター紙、メモ用紙、カップに胡椒入れ。頂き物から自分で買った物までたくさんです。そして,時々全部並べてはニタニタしています。ましてやこのTシャツモモさんの写真入りですから、お宝です。滅多な事では着る事が出来ません。

 我が家の引き出しを開けると,パグが顔を出します。 ソックスやハンカチを入れている引き出しには,モモさんが我が家に来る前,いつも持って歩いていた小さなパグのぬいぐるみがこんにちは。 おふきんを入れている引き出しを開けると,アクリル毛糸で編まれた食器洗いのパグとゆめちゃんコースターが,こんにちは。車のダッシュボードを開けると,主人がくれたパグのぬいぐるみがお守り代わりに顔を出します。

 モモさんのこのTシャツ、Tシャツばかり入れている引き出しの一番上に置くつもりです。何時開けても,モモさんがこんにちは。    素敵なプレゼントをありがとう。

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Amitav Ghosh 「Flood of Fire」

2015年08月26日 06時43分50秒 | 

曇り,27度、85%

 インド人作家のアミタヴゴーシュの「Sea of Poppies」に始まる、「River of Smoke」「Flood of River」3部作が完結しました。第一作を読んだのが6年前,3年に1冊の割合で刊行されました。 とても残念な事に,このアミタブゴーシュの作品は,3冊しか日本語に翻訳されていません。日本でも評判の良い「The Glass Palace」を読んで以来ゴーシュの新作,それ以前の作品は全て読みました。インド人の英作家は数多くいますが,どうも日本人には受け入れられないようです。ゴーシュはコルカタ生まれ、デイリー、オックスフォード大学を出た後,アメリカで教鞭をとっている傍らの執筆です。そして,1956年生まれ,まさしく私と同世代の作家です。好きな作家の本は片端から読みます。現代作家であれば新刊も欠かしません。人種も,国籍も全く違うこのゴーシュの作品を通して,たくさんの知らない土地、知らない事を身に感じます。しかも,この3部作,意外な物を私にもたらしてくれました。

 3部作ですから,話は大河のように流れているのですか,いかんせん6年前に読んだ「Sea of poppies」の内容は忘れかけています。まだアヘンが許されていた頃,アヘン戦争が起こる20年ほど前から話は始まります。中国にアヘンを持ち込んだのはイギリス、イギリスは植民地のインドでアヘンを作りそれを中国に輸出します。アヘンを運ぶ船「アイビス」にインドから乗り込んだ若い人たちの20年にわたる話が,この3部作です。イギリス人、インド人,そして船が向かう先の中国広州の中国人。舞台はインドと中国広州です。 

 「Flood of Fire」はインドのコルカタ、ムンバイ,中国の広州この3カ所の話を同時に書き進められます。アヘンで一儲けしようと中国へ向かうイギリス人、援軍として送られるコルカタのインド人軍隊セポイ、亡くなった夫から中国が取り上げたアヘンの弁償金を受け取りに広州に向かうムンバイの豪商の妻,この3人の話が絡み合いながら結末に向かいます。もちろん,国を超えたラブストーリーもあります。時は1840年,アヘン戦争の始まりです。アヘン戦争の勃発地が,広州だという事を初めて知りました。ゴーシュの話には,ややミステリアスな死もあります。インドから中国,当時の海路はサイクロン,台風で事故も多くあったでしょう。大航海時代ほどではないにしろ話は壮大さを秘めています。

 中国広州は,私の住む香港から電車でも2時間ほどです。20年ほど前は足繁く通った広州です。泊まるのは、中国初の5つ星ホテル「ホワイトスワン」でした。このスワンホテルの周りは,アヘン戦争前の海外人の居住区です。20年前の広州はまだ鄙びた町でしたが、にもかかわらず、このスワンホテルの一帯は全く中国とは思えない空気が流れていました。ゴーシュの3部作の最後、アヘン戦争途中で香港がイギリスに譲渡されます。話が私が住む香港にまで及んで来たのです。当時の香港様子、譲渡時の香港の人の反応、よくインド人のゴーシュが調べた物だと感心します。

 この広州の海外人の居住区、租界に住んでいたのは、ヨーロッパ人ばかりでなかった事,つまりインドの商人も含まれていた事を初めて知りました。インドと中国のつながり,インドと香港のつながり,香港にはゾロアスターの教会もあります。スターフェリーだってインド人が作った会社です。アヘン戦争ではインドの兵隊セポイが活躍した事すら知りませんでした。香港に30年近く住みながら,そして,インドのことを好きだとか言う私ですが、その実インドと香港の関係に付いて何一つ深く知らない事に気付きました。

 この本を読み終えた日、主人とふたりで夕飯に出かけた先での事です。少しいい中華のレストラン,並びの席にはインド人ご家族がお食事中でした。おばあさんと私年配の娘さん,そのご家族5人です。白いコットンのサリーを纏うおばあさんの佇まいのきれいな事。インドでお会いするインド人のいい暮らしの方はほんとに穏やかな空気を身に纏っています。インドと香港,インドと広州,いま少し深く知りたいものだとこのゴーシュの本が私を導いてくれました。

 今年、広州のスワンホテルは改築を終えたと聞きます。パールリバー沿いに建つこのホテルは,ちょうどアヘン戦争が終わった年に作られたそうです。久しぶりに,広州を訪ねたくなりました。スワンホテル周りの旧租界を歩きながら,ゴーシュのこの三冊の本をも一度,噛みしめたいと思います。

 

 

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教えた子供たちの事

2015年08月25日 05時30分55秒 | 日々のこと

晴れ,27度、78%

 仕事を辞めて,この12月で3年になります。時折,ひょんな時に教えた子供たちの顔が心に浮かびます。22年間で教えた子供の数は100人近く,何度数えても正確な数が出て来ません。教えたときの子供の歳は小学生から高校生まで。教えた長さもまちまちで,長い子は5、6年,短い子は数ヶ月です。今はほとんどが20代後半から30代になりました。学校の先生と違って,子供と私の間には目標があります。彼らが望む学校に入る事です。試験が近づくと朝から晩まで一緒です。目標の為には優しい顔なんかしていられません。随分きつい事を言いました。今では仕事に就いて,世界中にポツポツと散らばって住んでいます。

 こんなに,ネットが発達する前は,ポストを覗けばそんな日本に帰った子供たちからの手紙が入っていました。ちらっと字を見ただけで誰からの手紙か分かります。女の子は,シールベタベタの手紙です。男の子でもきちんと折り目の年には,賀状をくれる子もいます。どこの会社に入りました。結婚します。子供が産まれました。順調な子もいれば,紆余曲折で医者になった子もいます。海外の帰国子女枠で早慶に入ったからといって,それだけが一人一人の人生ではないとつくづく感じます。でも私の仕事は,少しでも有名な学校に入れてやる事でした。

 ここ数日,教えた子たちから,「先生、元気ですか?」と立て続けにメールをもらいます。心配してもらう年になったのかなと思いながら,男の子には,「私の事など思い出すには20年早いよ。」と返事を出します。自分を振り返っても,20代30代40代、自分の周りの事だけで精一杯でした。息子の事,主人の事,自分の事。それだけでほかを見ている時間もない詰まった生活でした。その年代はその年代で一生懸命走っていたなあと、しっかりした手応えが今の私には残っています。そんな年代を教えた子供たちも迎えています。彼らにも,手に持ち重みのする時間を過ごして欲しいと思います。

 最後の仕事を終えて帰って来て,一人で涙をポロポロ流しました。今は手紙やメールをもらうと,やはり,涙がポロポロ出て来ます。一人一人の子供と過ごした時間は,私の時間ばかりではありません。その子供たちの時間でもある訳です。あの子たちが,その時間をもっと歳がいってどう思い出してくれるか,いい学校に入れてありがとう,ではない言葉が返って来るのを待っています。もうみんな子供と呼んではいけませんね。

 来月は,赤ちゃんを連れて香港まで来てくれる教え子がいます。抱いてください,との言葉にまたしても涙です。自分の孫ですら,まだ数回しか抱いていません。少し緊張気味です。

 見出し写真は,翡翠の印鑑。香港日本人中学校は、修学旅行が北京です。その時のある子からのお土産です。ちゃんと私の名前が彫ってあります。私と過ごしてくれた子供たちの時間に感謝します。

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車にかすり傷が!

2015年08月24日 07時04分35秒 | 日々のこと

晴れ,27度、88%

 車で出かけるためにガレージに行きました。

 マンションの一番下の階から10階までは駐車場です。全部で200台以上の車が泊まっています。土地が高い香港です。駐車場の区画も効率よく作られています。私のスペースは3車縦列の一番奥、角です。この角から緩やかに上の階にカーブしますので,車の通路側はほかの場所より広くとられています。しかも、私のすぐ後ろのスペース,つまり3駐車スペースの真ん中はずっと空き家でした。駐車するときはいつもバックで入れますが,車を壁に寄せるときだって,発車するときだって、後ろのスペースまでずっとバックして呑気に出し入れしていました。

 昨日,パッと車を見た時、何かいつもと違うと思います。そばに行くと助手席側のバックミラーの一番外の所が微かに摺れています。外出先の駐車場では,必ずバックミラーを上げるのですが,自分の駐車場では通路が広くカーブなので車が近寄って来る事がないので,いつも出したまま。凹んでもない微かな擦り傷です。でも,嫌です。

 実は10日ほどまえ,急に私の後ろの駐車スペースに車が泊まっていました。 私の車とは違って,人も荷物もたくさん載れる日本車です。しかも新車、シートのビニールが被っています。ペシャンコな私の車はこういう大きな車には威圧されます。出し入れの悠長さは吹き飛んで,細かく切り返して出たり入ったり。

 擦り傷を見た途端、私の車に寄せて来る車といったら,後ろの車以外にありません。3車縦列ですから,私の車に横付けしてバックで入れているはずです。で,後ろの車の運転席側をチェック。傷はどこにもありません。

 自分でつけた傷なら笑ってごまかしますが、なんだか嫌な気持ちを引きずっています。これ以上こんな事がないように、 バックミラーをバンザイさせておく事にしました。随分前にも書きましたが,私のバックミラーバンザイさせると,ミラーが前面を向きます。ほかの車と逆さまです。ところがここ香港でも,日本でも同じ年代のZ4、なぜかミラーをバンザイさせるとどれもこの向きです。だから,いいやと放ったままです。この傷も,さほど気にならなくなるでしょう。エクボみたいなかすり傷です。

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にぎり鮨のトッピング

2015年08月23日 06時22分09秒 | お外の食事

晴れ,27度、76%

 香港のお寿司に付いて話せばそれこそピンからキリまで,回転寿しの元気寿司がオープンして20年といいますから、すっかり香港人に浸透したお寿司です。お寿司のおかげで,日本のお醤油もわさびも寿司酢だって近くのスーパーで買えるようになりました。かっぱにするような小ぶりのキュウリも香港で栽培されています。以前は高級感の強かったお寿司が,デリカテッセンにまで並んでいます。

 母の命日に主人が母を偲んでお鮨を食べに行こうと誘ってくれました。お魚嫌いの母でしたが,晩年はお鮨が大好きになり,頓に施設に入ってからは私が持って行く和菓子とお鮨をむさぼるように食べました。

 そんな母の事を思いながら,出かけた先は会員制のクラブのお鮨コーナーです。いつもここのカウンターに座れば,お鮨よりお刺身を注文します。お鮨は最後に好きな物を二貫ずつ握ってもらいます。ところが主人,珍しく初めからお任せのにぎり鮨を注文しました。突き出しの水茄子、タコの吸盤のカルッチョッパ、どれも私の大好物。前菜にサンマのお造りをもらいました。以前懇意にしていたお鮨屋さんでは,このサンマのお造りを2匹分作ってもらうほど新鮮なサンマはくどくありません。今回は半身です。そこへ出て来ましたおまかせのにぎり鮨。

 ポンと目の前に置かれる好みのにぎり鮨のあの間合いが好きです。食べ終わるかなあという頃合いで,次の二貫。おまかせのにぎり鮨となれば、一度にずらりと並んで俎板皿で出されます。これまた魚の色の濃淡,いい感じに盛り合わされています。

 さてどれから食べましょう。ポイポイ,お口に放り込みます。美味しい。と,あまり好きでないマグロを見ると,何やら上にのっかっています。上トロがマグロの上にポッコリと。あらトッピング。マグロの赤身はさほどでもないのですが,トロは大好物。急に弾みがつきます。トッピングがのったにぎり鮨なんて初めてです。口の中ではマグロの二重奏、いえ,すし飯とのバランスよく三重奏です。もう満足。次にイカを食べました。イカと思って口に放り込んだのですが,口の中ではイカとエンガワがふんわりと香りを拡げています。うっかり見逃したのですが、イカの上にはエンガワのトッピング。色白同士で気付きませんでした。

 このクラブのおまかせ握り鮨、トッピングがのっているのが普通ではないと思います。ほかの客さんの手前もありますから,ちょっと目配せだけですが,サービスです。主人など,白ワインのあとに日本酒まで頂いています。私も久しぶりに日本酒のお相伴。最後に,少しだけ季節のお野菜の天ぷらを頂きました。

 会員制のお店は子供連れは許されません。ほんとに静かな雰囲気の中での食事です。最後に母にお鮨を持って行った時,ゆっくり味わうというより待ちかねていたようにガツガツと食べました。いえ、母の事など言えた柄ではありません。この私、水茄子に始まり,タコもサンマもお鮨もパクパクと食べました。だから写真はありません。

 トッピングのお鮨の事を思い出します。甘エビの上にのっていたイクラもきっとトッピングに違いありません。今度行ったらまたおまかせのにぎり鮨を注文しようと密かに夢見ています。

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枝豆、ブラックオリーブ、サンドラドトマトのパン

2015年08月22日 06時40分33秒 | パン

晴れ,29度、74%

 ブラックオリーブが一杯入ったパンが食べたい、黒いオリーブ一杯のパンは濃厚なオリーブの香りのするパンに焼き上がりました。すると,色合いからグリーンオリーブとサンドライドトマトを入れてみようと思いました。赤黒緑できれいだろうなあと思います。冷蔵庫を開けると,昨晩の枝豆がまだ残っています。グリーンのオリーブよりきれいな翡翠色です。ブラックオリーブと枝豆,乾燥のサンドライドトマトを自分でオイル漬けしたものを使ってパンを焼きました。

 枝豆はさやから外して薄皮もとりました。思ったより赤くないサンドライドトマトは薄切り。ブラックオリーブは小口に切ります。オリーブやサンドライドトマトは塩気が強い物もあるので,味見をしてパンに入れる塩の量を加減します。サンドライドトマトが美味しいオリーブオイルを吸っていますので,今回オイルは入れません。捏ね上げたパン種に枝豆、オリーブサンドライドトマトを練り込みます。この練り込む作業は手の方が満遍なく出来ます。最後に形を考えます。小さなバンズにしてもいいなあ,大好きな形はまん丸のお座布団型です。でも,何となくイタリアンぽいこのパン,ボッテリとした形に成形しました。

 捏ね上げ,焼いている最中はオリーブがプンプン香ります。ところが冷めて,切り分ける段になるとサンドライドトマトがじわりと香って来ます。色鮮やかな枝豆は,素敵な発色ですが香りはありません。

 噛みしめると,枝豆の歯触りがアクセントになります。 オリーブとサンドライドトマトの個性に押されがちですが,この3つを一緒にかんでみると、枝豆のあの香りも負けてはいません。

 お家で焼くパンは,冷蔵庫の整理も兼ねたパンが出来ます。時には,もう2度と作れないかも知れないパンもあります。でもこうして写真を取って置くと,配分が見えて来るので次回にも役に立ちます。枝豆、ブラックオリーブの割合がなんともうまくできたなあと一人悦に入って,パクパク。モモさんには,塩気のあるオリーブとサンドライドトマトとを外してあげます。パクリ。

  台風の押し上げて来る熱気で気温は高めですが,秋の気配が日に日に強くなって来ます。そろそろ,少し甘いパンが欲しくなりました。

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