チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

一人分のフランスパン

2017年09月30日 04時00分35秒 | パン

曇、18度、78%

 水と小麦粉とお塩だけで作られるバゲットなどのフランスパンはご飯に似ているように思います。お米そのものの美味しさが素直に出て来るご飯、同じように小麦粉の美味しさがそのまま伝わって来るフランスパンです。ご飯と同じで炊きたて、フランスパンは焼きたてが一番美味しいと思います。

 フランスパンは残って冷凍してオーブンで温めなおすとお美味しいと言われますが、焼き立てに比べたら雲泥の差です。私一人が一度に食べれるだけの小さなフランスパンを焼いています。一晩冷蔵庫で生地を寝かせますから、食べたい時刻から逆算して作ります。

 プルマンローフと言われる食パンは、冷凍しておいても味が落ちるわけではありません。プルマンローフは焼きたてよりも、数時間置いてパンの中の蒸気が出てしまったぐらいが一番美味しく感じます。

 パン屋さんに行くとたくさんのパンが並んでいますが、私自身は普通の食パンとバゲット状のフランスパンがあれば十分です。シンプルなフランスパンはお味噌汁にも合います。ジャムの代わりに餡こをのせても美味しいと思います。ご飯がわりです。一人分の小さなフランスパンですが、少し残ってしまえば貯めて置いてパンプディングを作ります。フランスパンのパンプディングは気泡が多いフランスパンならではの食感です。歯ごたえがあります。

 焼きたてのフランスパンの香りはお餅を焼いた時のような香りです。焼きたてを食べると言ってもオーブンから出してすぐではありません。ほんの少し時間をおいて、まだ暖かなうちにかぶりつきます。 バリッと噛み締めると、「ああ、小麦さんありがとう。」って思えます。

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格子戸

2017年09月29日 03時56分53秒 | 日々のこと

晴、18度、84%

 家の改築を主人が決めた時、残して欲しいと思ったのは、玄関から座敷にかけての作りでした。書院の作りや欄間、床の間、回り縁、この家の中で佇まいのいい一角です。畳は外されフローリング、天井板も外され吹き抜け、回り縁も半分は壁になりました。床の間、欄間は残してもらえました。

 何分にも古い家です。香港の時はコンパクトなマンション住まいでした。ドアの鍵一つかければ出かけられます。この家の戻って来て8ヶ月になろうとしています。想像していた以上に古い家を守るとは体力が要ります。家の掃除、庭の手入れ、挙句に我が家は二面道路の面しています。昨日のように風が強い日だと、両方の道に我が家の木からの落ち葉が舞います。ご近所からクレームが来る前に道の掃除です。

 家の中も香港時代に比べると、広さが倍近くありますから窓の数も倍以上、家具の数も倍、掃除にかける時間が長くなりました。2階を除いて天井板を外しました。小さな私は家の掃除をするときは脚立を持って回ります。家全部を掃除するのは週二日、後の日は汚れがひどいところだけを掃除します。窓掃除も入れれば半日仕事です。

 窓掃除にはガラスを拭くお雑巾、桟を拭くお雑巾と割り箸一本。それと脚立がお供です。窓は木製からサッシに変わり、大きな窓は桟もなく、ガラスを拭けば綺麗な秋空が眺められます。ところが私が残して欲しいと思った座敷には細かい格子の入ったガラス戸がたくさんです。欄間の下、回縁との境の欄窓、 その上、新しく変えた玄関の戸が格子戸です。 格子戸の桟を拭くのに、割り箸が出て来ます。お雑巾を割り箸に絡ませて一つ一つ拭きます。拭きながら思います、「難儀だなあ。」特に玄関の戸は雨風で汚れます。しかも家の顔、手抜きができません。大変だなあと思っていると気が滅入るので、いつも「お昼ご飯は何にしよう?」とか「お夕飯は何にしよう?」と考えながら拭きあげます。

 和室を残した2階の戸は障子です。お雑巾を使うと穴を作りそうなのではたきをかけるだけです。一番好きなこの家の一角は一番手のかかる代物でした。それでも拭き上げて、清々しくなると思わず顔がほころびます。

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炭団をおこして

2017年09月28日 03時52分40秒 | 日々のこと

雨、22度、97%

 昨日の朝から細かい雨が降り続いています。夏の雨とは違います。気温が高くはありません。湿度を避けるため、家中の窓は締め切っています。そんなにムッとしていないのに家の隅の方から、この家の持つ匂いが滲み出てくるように思います。古い家です。子供の頃嫌いだったこの家の匂いです。

 暑い真夏ならこんな雨の日、空調をつけて除湿もしてこの家の匂いに気がつきませんでした。天井も高い一番広い部屋ですら家の匂いを感じます。この広い部屋は以前は座敷でした。他の部屋ならアロマでも焚くところですが、私のこの部屋の持つ印象は未だに畳の部屋です。夏には焚くこともなかったお香を出して来ました。

 線香でもコーン型のお香でもありません。小さな「姫の香」です。長くゆっくりと香おり続けます。小さな炭、「炭団」をおこしてその上にのせて焚きます。 秋の香りの菊の形をした香を選びました。 小一時間も煙が流れます。締め切っているのに煙の流れ方が様々です。

 夕方、座敷に戻りました。家の匂いは消えています。そして、ふと微かな白檀の香りが鼻をかすめます。

 「炭団」を買いに仏具店に行った時、「香炭」というものを見つけました。炭自体に香りがついているものです。 試しに買ったものの、香りが持続しません。すぐに炭が灰になってしまいます。

 「炭団」をピンンセットでつまんでローソクで火を起こし、ピンセットでつまんだ香をのせます。時間がゆっくり流れます。煙を見ながら、家は時に匂いでもって私に話しかけているように思います。懐かしい匂いではありません。カビくさいのでもありません。何かわからないけれどこの家の匂いは寂しさを誘います。小さな香一つで、心が晴れて行きました。

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ホワイトキルト

2017年09月27日 03時55分04秒 | 身の回りのもの

曇、25度、72%

 高校の頃からでしょうか、いつか自分のベットにはホワイトキルトをかけたいと思っていました。昭和50年代の初めです。高校を出て一人暮らしを始めた時にホワイトキルトを探しました。一枚の大きなベットキルトを売っているところを見つけることができません。仕方ないのでホワイトキルトのクッションカバーを2枚買いました。

 ハンドメイドのキルトでなくてもいいのです。機械でチクチクしたキルトで十分です。やっと思うようなキルトが手頃な値段で見つかったのは、20年ほど前の香港でのことです。ホワイトキルトは1枚しかなく、仕方なくもう一枚はブルーと白の格子のキルトを買いました。ホワイトキルトは主人の大きなベット、ブルーの格子は私が寝るベットにかけました。

 それから数年してモモさんが我が家にやってきました。モモさんは小さい時からかなりの跳躍力であれっと思う間にベットにだって登ります。モモさんとは一緒に休みます。寝ようとしても元気なモモさんは遊んでくれとせがみます。主人も私もお布団に潜って寝たふりを、するとお布団つまりキルトの上からモモさんは穴掘りよろしくキルトをガシガシかきました。掘っているつもりです。男の子のモモさんの前足は大きく力も強かったので、キルトはだんだん薄くなりました。モモさんが来て数年後には、とうとうホワイトキルトに穴が空きました。穴を繕って使い続けましたが、綿があちこちから出てくる始末です。そのうち青い格子の私のベットキルトも薄くなりました。ホワイトキルトは思い切って捨てました。

 モモさんも歳をとって、キルトをガシガシしなくなりました。新しいキルトを買おうか迷います。結局、日本に戻って来て、しかもモモさんが亡くなった後にベット用のホワイトキルトを2枚求めました。香港の時と違い主人と一緒の寝室です。二つのベットに同じキルトをかけました。真っ白ですが寒そうな白ではありません。やっと念願のホワイトキルトです。

 香港で買ったブルーと白の格子のキルトは、薄くなりかなりボロボロですが使い続けています。モモさんと私が一年中13年間使ったキルトです。 モモさんは亡くなる前までこのキルトの上にいました。今は私一人で使います。

 いずれココさんも飛び乗って汚す日がくると思います。ホワイトですから汚れが目立ちますが、洗えば済むことです。やっぱりホワイトキルトはいいなあと部屋を眺めました。

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キノコ餃子

2017年09月26日 03時52分11秒 | 昨日のお昼ご飯

晴、22度、75%

 お昼ご飯に餃子を作ろうとしました。用意していたキャベツが思った量ありません。「困ったな、たくさん作れないなあ。」冷蔵庫を覗くと、立派なしめじがありました。そこでしめじを刻んで具の中に入れました。

 私はやっぱり蒸し餃子が一番好きです。水餃子は日本でも市民権を得ていますが、蒸し餃子はなかなかお目にかかりません。私が2段重ねの蒸し餃子をペロリと食べあげるのは、蒸しているからです。 焼き餃子だと皮に油が入ります。水餃子だと皮が水分を吸います。数少なくてお腹がいっぱいになります。その点、蒸し餃子は皮がプリンとしてたくさん食べれます。

 水餃子も蒸し餃子も普通の市販の皮を使って焼き餃子と同じに作ります。餃子の具には決まりなんてありません。韓国の餃子にキュウリの具があるのを知った時はちょっと驚きでした。韓国は蒸し餃子が多いと聞きました。エビの身を叩いて餃子の具にするときなどは蒸し餃子がおすすめです。普通の豚肉の餃子はやはり焼き餃子が一番美味しいと思います。

 香港の近く順徳から冬になると冷凍で入ってくるのが、「魚皮餃」です。お魚の皮で作った餃子ではありませんが、魚のすり身が含まれています。この「魚皮餃」はホットポット「火鍋」に入れるものです。

 中の具材によって焼いたり、蒸したり、茹でたり。キノコ餃子は茹でるか蒸すかがいいと思います。 お口に入れるとしめじの香りが広がります。キノコのプルンとした食感がアクセントです。お昼に蒸籠2段、32個のキノコ餃子がすっかりお腹に収まりました。美味しかった。

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なめこ

2017年09月25日 03時52分48秒 | 日々のこと

晴、19度、85%

 今では一年中キノコが出回っています。それでも秋となるとやはり美味しいと感じるキノコです。食べられるキノコはどれも好きです。シャキシャキしていようがもっちりとしていようが、香りもそれぞれ違います。小粒ながら滑りの多い「なめこ」はぬるりとプチんとした食感です。これまた一年中あの小袋に入って売られています。ですから私はあのズルズルした「なめこ」がそのまま栽培されていると思っていました。なめこのお味噌汁は大好きです。

 昨日、大分県の産地直送のお野菜コーナーを覗きました。スーパーの一角に設けられているのですが、お値段はやや高めでもその新鮮さで人気のコーナーです。旬の野菜しか出ていません。そして生産者のお名前入りです。一つの品物の品数が少ないのですぐに無くなってしまうコーナーにキノコの袋が2つだけ残っていました。一つはブナシメジ、もう一つは「なめこ」と書かれています。普段見る「なめこ」の小袋より立派な「なめこ」が入っています。しかもヌルヌルなんてありません。かなりの量ですが「なめこ汁」にすればあっという間です。新種かな?

 家に帰って早速お味噌汁に入れました。一つ一つが大きかった「なめこ」はお味噌汁の中で小さくなっています。一口汁をすすります。あれまあ、ヌルヌルです。噛み締めると「なめこ」の香り。美味しいなあとつくづく思います。

 小袋の「なめこ」とは栽培方法が違うのかもしれません。香港にもいろんな食用キノコがありました。晩秋から冬にかけてはキノコ鍋もあります。でもヌルヌルの「なめこ」は日系のスーパーでしか売っていませんでした。

 残っていたブナシメジも普通の棚に並ぶしめじよりずっと元気よく大きいものです。やはり秋には秋のものを食したいと思います。しばらくはこのコーナーでキノコ探しをします。

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おはぎ

2017年09月24日 03時47分57秒 | 菓子

晴、19度、86%

 久しぶりに和菓子を作りました。ずいぶん長いことあんこを作っていなかったように思います。おはぎはお饅頭屋さんの和菓子です。もち米を蒸してあんこで包むだけの簡単さです。もちろん秋彼岸ですから、秋の七草「萩」に見立てて粒あんにしました。大きなぼた餅も好きですが、小ぶりの二口おはぎです。

 父の出兵中、祖母がおはぎをお重箱にいっぱい作って面会日に届けたのだそうです。祖母の見ている前でお重のおはぎがなくなってしまった、というほどのおはぎ好きな父でした。まずはお仏壇に。生きていれば96歳でしょうか、この年代の方は男性ですら、おはぎが好きな方が多いように思います。同じ年の亡くなった義父もおそらくおはぎが好きだったと思います。二軒分のおはぎです。主人の実家にも届けます。

 春彼岸には、お墓掃除もおはぎの準備もできるほど私に余裕がありませんでした。秋彼岸の入りの日、二軒のお墓掃除に行きました。私の実家のお墓は街の中、主人の実家のお墓は山の中腹にあります。お墓掃除を終えて、お花を供えて。お中日の昨日はおはぎを作って。やっと暦に則った生活ができるようになりました。大きな引越し、モモさんを亡くしたこと、ひとつひとつ乗り越えて私が元気でいられることを先祖に感謝します。みんなが見守ってくれています。

 一晩置くと硬くなってしまうおはぎでしたが、昨日はもち米を2度蒸しました。先ほど一つ口に放り込みましたが、柔らかです。一手間かけただけで、日持ちのよいおはぎができました。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、急に涼しさを増して来ました。今日の朝ごはん、おはぎです。

 

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モモさんと最後に走った時

2017年09月23日 04時02分40秒 | もも

曇、22度、88%

 九月二十日はモモさんが我が家に来て14年目でした。最近やっとモモさんの古い写真を見ることができるようになりました。日本に来てからの写真は見直すことができても、香港時代の写真を見るのは辛かった。写真を繰って行くとモモさんの一つ一つの表情やその時のことを思い出します。まるで側にいるようです。思わずPCに向かって「モモ」と声が出てしまいます。

 数日前、近くの横断歩道を渡っていました。急に思い出しました。モモさんと一緒に走ったのはこの横断歩道が最後でした。亡くなる二十五日ほど前のことです。モモさんを動物病院に4日預けることになりました。主人の会社の用事でどうしても東京に行かなくてはなりませんでした。行きたくなかった。この時すでに便も尿も出ない状態のモモさんでした。毎日導尿をしてもらいました。時折、浣腸をしてもらいますが便は出ませんでした。それでも元気です。よく食べました。その病院に向かう時、この横断歩道を渡りました。4車線の道を渡る途中で信号がチカチカ、「モモ、走るよ。」喜んで一緒に走ります。

 思い出したその時も、そしてこうして書いている今も、私の右腕にモモさんの引っ張る引綱の力強さが蘇ります。小さい頃はよく走りました。歳をとるとだんだん歩くのですらおそくなりました。それでも短い距離を「モモ、走るよ。」と言うと私の前を駆けて行きます。急な雨の時などがそうでした。私の前を走るモモさんの両耳は揺れています。キリッと巻き上がった尻尾、忘れません。

 東京から戻って、病院にお迎えに急ぎます。出て来たモモさんは4日前と違って、元気が無くなっていました。主人と私を見ても尻尾すら振りませんでした。それから3週間でモモさんは亡くなりました。

 最後に一緒に走った横断歩道、これからは渡る度にモモさんの後ろ姿が目に浮かぶはずです。

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仏像

2017年09月22日 03時56分11秒 | 日々のこと

曇、22度、82%

 秋風が立った頃より仏像の展覧会のお知らせを目にします。心静かに仏像を鑑賞するには秋は一番なのかもしれません。日本には鑑賞という言葉にふさわしい仏像がたくさんあると思います。インド、中国、タイ、日本の仏像を見てきました。韓国にも仏像はあるのでしょうが記憶にありません。

 インドの仏像は濃厚なお顔が特徴です。目鼻立ちのはっきりした彫りの深いお顔です。目はしっかり見開いています。石像の仏像が多く見られました。こうした仏像ばかりを集めた博物館を訪れました。お寺で見る仏像とは見ている方の心持ちが違います。インドのお寺で見た仏像の印象がないのが不思議です。 

 香港で身近に毎日見ていた「文武廟」の仏様たち、こちらは思わずクスッと笑ってしまうほど、お顔が様々です。木彫で素人の手で作られたのかと思うほど少しとぼけたお顔の仏像です。中にはマレーシア人の仏像もあるのでお顔が黒く塗られています。中国で見た仏像は目を見開いたもの、半眼のもの、石像も金属でできたものも木像もありました。日本の道端のお地蔵様のように整わない仏像のお顔をたくさん見ました。

 タイでも木造の仏像はあれっと思うような明るいお顔です。目はパッチリと見開いたようにお見受けします。金属でできたお寺の仏像は美しいお顔でした。キラキラと輝く仏像が数千体もあると聞きました。お墓を持たない民族が次の世に馳せる思いを感じます。

 日本の仏像のお顔は整っています。すっと手を合わせたくなる仏像です。道祖神、お地蔵様と素人が作られた仏像ですら心がすっと入っていきます。私が日本人だからでしょう。たとえ半眼でなくとも日本の仏像は美しいと感じます。

 見出し写真は主人がお土産で持ち帰ったインドの仏像です。この頭像は高さ15センチほどいつも我が家の中心に鎮座しています。髪型、ふっくらした唇、たっぷりと重そうな耳、切れ長の大きな目は開かれています。手を合わせることはありませんが、美しいと思う仏像です。

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色鉛筆

2017年09月21日 03時58分31秒 | 日々のこと

曇、22度、82%

 36の色鉛筆を買ったのは数年前のことです。なぜ36色もの色鉛筆セットを買ったのかしら?と今になって思います。小学の時、最初に買ってもらった色鉛筆が6色の小さなセットで24色のセットを持っている人が羨ましかったことを思い出しました。小さな色鉛筆のセットは紙のスライドする箱に入っていました。その箱を出すのが気恥ずかしかったように思います。

 こちらの36色は薄い缶に入っています。買ったのは、香港のモンコクの画材屋さんでした。陽が差す店内には所狭しと画材が積まれていました。バラ売りの色鉛筆、果ては100何色かの色鉛筆セットまで売っていました。36色の色鉛筆を持って店を出た時の私は気持ちまで明るくなりました.時折出してきては書き物に色をつけることはありますが、薄い缶に入れたままでした。引越しの準備に追われていた頃からは、すっかり色鉛筆のことは忘れていました。でもちゃんと荷物に入れて置きました。

 ビューローの引き出しに入れておいた36色の色鉛筆、大きなノートの下に隠れていました。あらあら、すっかりご無沙汰しています。缶に入ったままでは使いそうにもありません。36本を缶から出して使わないマグカップに入れました。 色とりどり、心が踊ります。赤を1本取り上げます。名前を見るためです。「KARMIN DUNKEL DARK CARMINE 8200-126」長い名前がついています。色の名前も好きですがこんなに長くては覚えられそうにありません。よく使う色、そうでない色、しばらくするとこのマグカップの中は凸凹の長さになるはずです。

 まだ日本の帰ってきて8ヶ月ほど、庭仕事の時期がつかめません。庭仕事のカレンダーを作ります。カレンダーというより備忘録です。ノートは手のひらサイズのブルーの布がかかっています。いつ何を植えてその後の様子を書いたり、害虫のことを書き付けたりするつもりです。手取り早いのでスマホで写真を撮るところを簡単なスケッチを入れましょう。36色の色鉛筆やっとお仕事が決まりました。

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