チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

根っからの主婦でして

2015年05月31日 05時11分37秒 | 日々のこと

曇り、27度、90%

 毎月月末が来ると、今月もあっという間だったわとつくづく思います。それが、この5月、なぜか凄く長い長いひと月でした。ああやっと、月が変わってくれると思うほどです。香港を中心に西に東にと動きました。飛行機の乗ってるだけの話ですが、気持ちも何だか西東に揺れたような感じです。

 よくこうして動き回っていると、良いですねと言われます。一人息子も家を持ち落ち着いてきました。悲しい事ですが、両親たちも独りずつ見送っています。家にいる限りは、主人とモモさんと自分の身の回りの事だけとなりました。年相応、みんなが歩む道を歩ませてもらっていると、日頃感じます。

 遠出の旅行から戻って、すぐに日本に戻りました。日本だって、いつものように短い滞在で香港に帰ってきます。戻りの飛行機の便が大幅に遅れて、家に帰り着いたのは夜中12時近くでした。荷物を解きながら、主人が付き合ってくれてワインを飲んでいると、ゴキブリがひょろひょろ歩いています。口にこそしませんでしたが、主婦がいないとゴキブリまで人をなめてやって来る、と心で呟きます。

 私が留守の時は、昼間毎日お手伝いさんがやって来て掃除や洗濯、モモさんの世話をしてくれますから、主人が散らかし放しというわけではありません。なのにゴキブリ。その晩は、ゴキブリを追いかけている夢を見ました。

 家を空けると、家の中の事もですが、外での用事も溜まっています。一通り片付いて、家の中を見回せば、あら、月桂樹はカイガラムシにやられているようです。元気がありません。毎日使う紅茶のカップに紅茶のしみで付いてます。ワイングラスを入れている戸棚を開けると、うっすらほこりが、しかも恐るべきモモ毛まで侵入しています。ここがそうなら食器棚だって同じ事。拭いたり磨いたりするものをゾロゾロ引き連れて、あちやらこちやら覗いては、せっせとほこりを集めます。自分の気が納まればいいのです。人に見せるわけでもありません。

 旅に出ると一番嫌な時間が朝です。時差がどんなにあっても、夜明け前に目が覚めます。家にいれば、一番動き回って元気な時間、じっとしているのは辛いものです。主人に気が付かれぬように、手紙を書いたり、PCに向かったり。おかげでどの国に行っても朝日をゆっくり眺める事が出来ます。

 知らない国に行ったり家を離れる事もこれまた楽しみですが、私は、家の中がさっぱりした空気で満ちている事の方がもっと望ましく思います。開けた引き出しが調っている、グラスがピカーンと輝いている、そんな小さな事が幸せだと感じます。ゴキブリは、どうも隣家が引っ越したために我が家にやって来た様子、あの晩きり姿を見せません。

 長かったひと月が過ぎようとしています。家に居て座り慣れた椅子に腰掛け、ここが一番。私は根っからの主婦です。

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ココナッツオイルを使って、パン、レタスの炒飯を

2015年05月30日 05時38分55秒 | パン

小雨、29度、89%

 ここ2年ほど、ココナッツオイルが注目を浴びています。日本、アメリカでも流行れば、いち早く嗅ぎ付ける香港です。高級食品を扱うスーパー、健康食品の店に行けば必ず目に付く所に陳列されています。挙げ句にお値段は非常にいいときています。私、有機や自然食、健康食品にあまり関心がありません。普通に手に入るもので充分です。このココナッツオイル、健康ばかりか美容の意味でもいいと謳っています。そのまま食べてもオイルなのに痩せるとまで言っています。私こういう言葉を聞くと、懐疑心で一杯。それでも、白っぽい固形か半固形の入った瓶を手に取ってラベルを読みます。

 で、しばらくココナッツオイルの事はすっかり忘れていました。香港グングン気温が上がります。海水浴に行く人もいます。日焼けクリームを塗った人が横を通ると、あれあれ、ココナッツの甘い香りが。街角のジュース屋さんには、ココナッツミルクのジューサーがグルグル回り始めました。暑いので、お昼ご飯にタイのグリーンカレーを作ります。カレーのペーストをココナッツミルクでのばすだけの簡単なものですが、ココナッツの甘い香りは食欲をそそります。クーラーの効いた部屋で汗を拭き拭き頂きます。

 このグリーンカレーを食べながら、香港の英字新聞を読んでいました。家庭欄の記事にココナッツオイルの匂いの事が書かれています。甘いあのココナッツの香りです。微かに匂うのだとか。そこで、グリーンカレーを食べ終えると、早速ココナッツオイルを買いに出かけました。はい、私はココナッツの匂いにずっとずっと傾倒しています。特に暑くなるとその傾向が強くなります。熱を加えると、香り立つのだそうです。

 近くのスーパーにはありませんので、ちょっと足を伸ばします。抱えて帰って来て、まずはパンを焼く事に、 瓶の蓋をとっても香りません。いつも焼くパンの配合で、バターの所をココナッツオイルに置き換えてみました。撹拌してると微かに香ります。最後に、手ごねです。捏ね終わってみると、手にココナッツオイルがしみ込んでなんだか柔らかくなっています。顔に塗る人もいるほどですから、頷けます。

  焼き上がりの艶ときめが断然いいと思います。焼いている最中、やはり微かにココナッツの香りがします。残念な事に口に入れる時には、もう香りません。

 つぎの日のお昼は、レタス炒飯を作りました。私と一緒にご飯をする方はネギを食べる事が出来ませんので、一杯のレタスと卵だけのシンプルな炒飯です。これも炒め始めると、ココナッツが香ります。一口そのまま舐めてみました。香りはありませんが、口溶けのいい油です。炒飯、パラパラと仕上がります。香りはしませんが、確かに、ほかのオイルとは違う口当たりです。

 香りに惹かれて買ってしまったココナッツオイルです。期待に反して、香りはほんの一瞬。もう少しいろいろな使い方をしてみるつもりです。

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ポルトガルからのはがき、3週間かけて届きました。

2015年05月29日 05時30分34秒 | 旅行

曇り、29度、84%

 香港に住み始めて30年近くになります。飛行機に乗れば4時間ほどで日本だというのに、住み始めた当初は、郵便物の失踪が幾度もありました。海外のクーリエも今ほど発達していませんでしたから、郵便で荷物も送ります。荷物だって消えてしまいました。電話代も高かったので、手紙でお礼を出します。そのお礼の手紙が着かないで、失礼をしたこともありました。郵便って、国内ばかりか國際便のことを考えると、国と国との格差や郵便の発達事情が各国違う中、実にうまく機能しているものだと感心します。それに近年、手紙の失踪が殆ど無くなりました。

 旅に出ると、息子にその土地土地からはがきを送りました。お土産物屋で売っている写真のはがきのこともありますが、ホテルの備付けのはがきの事だってありました。昨年は孫が生まれました。まだ字も読めませんが、孫にもはがきを出す楽しみが増えました。そこで、ポルトガルから息子の家宛に2枚はがきを出しました。やっと見つけた郵便局、お姉さんが親切に気を遣ってくれます。日本まで1週間だと、ユーラシア大陸の端から端まで、1週間とは早いものだと感心します。その昔、ザビエルはどのくらいの航海をして日本にやって来たのかしらと、頭に地図を描いてみる始末です。

 さて、はがきをポストに投函して10日目、既に香港に帰って来ていました。ちょっと気になり始めました、まだ着かないのかな?で、息子に尋ねます。まだだよ。心配しても始まりません、いつか着くはずです。それほど、最近の國際郵便に信頼を置いています。インドから日本に2ヶ月かかって到着した経験もあります。で、すっかり忘れていると、昨晩、息子から偏西風に運ばれて届きました、とメールがきました。やれやれ。

 見出し写真の2枚のはがき、投函した時は一緒、息子の家に着いたのも一緒。果たして道中も一緒だったのかしら?3週間、きっとほかの手紙に紛れて別々に居たはずです。はがきたちにどんな旅をして来たのか聞いてみたいと思います。実は、ポルトガルで投函したはがきは5枚、未だ2枚が行方知れずです。何処でウロウロしている事やら。

 

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モモさんの夏の風物詩 水浴び

2015年05月28日 05時33分43秒 | もも

小雨、29度、86%

 香港、この所お天気が不安定です。大雨が降ったと思えば大きな雷はなる、もちろん異常に高い湿度です。人間にとってもきつい季節ですが、老犬モモさんはもっと大変な思いでいるかもしれません。窓は閉め切って、クーラー、除湿器はフル操業。

 この5月、私は10日も家を空けました。モモさんよくお留守番をしてくれました。規則正しい生活を送るモモさん、日課も週の決まり事もここ数年変わらず同じ事しかしません。朝起きてご飯を済ませて散歩に行き、寝ます。お昼ご飯を食べると夕方の散歩まで寝ます。夕飯を済ませると、おやすみなさい。金曜日には、毛を刈られ、お風呂に入ります。もちろん、よく食べます。パグですから。

 そんなモモさんが散歩の途中、夏になるとするのが水浴びです。池があるわけではありません。プールでもありません。小さな側溝です。この側溝を流れるのは山水、この所の大雨で水量が増しています。ザーザー流れる水の中をまずは歩きます。自分の体の幅のサイズの所に来ると、 このように腹這いに。そして、ちょいと足を縮めて、 もう一度グイッと伸ばします。この間数秒ですが、お腹を冷やして立ち上がり、ぶるっ。

 夏になって散歩の途中水浴びをはじめたのは3歳頃からです。ですからかれこれ8年目。顔なじみの人は、またやってるわ、と見てくれますが、初めてご覧になる方は、やや不思議な面持ちです。

 この3枚の写真は動画から切り取りました。動画は、Facebookの「パグの会」に投稿します。実はうまく腹這いになる前に、モモさんそこのヌルヌルで滑って転けそうになっています。動画には、香港の鳥の声、水の流れる音も聞こえます。

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ポルトガルの松 笠松

2015年05月27日 05時31分54秒 | 旅行

小雨、28度、91%

 私が育ったのは九州の北、福岡です。通った小学、中学、共に校庭には松林がありました。中学にいたっては、その松林を抜けると玄界灘に面した浜に出ました。西の唐津に向かう街道沿いには、虹ノ松原と呼ばれる、日本三大松並木があります。背も高く、夏でもこの並木を通ると海風が松を通して涼しく感じます。私が日頃こうして見て来た松は、黒松です。松ぼっくりを拾って、何処を探しても大好きな松の実は見つかりません。日中貿易正常化が始まった頃ですからまだ小学生だった私は、福岡の「大中国展」という催しで松の実を買って貰いました。子供が食べ過ぎると鼻血が出ると言われながらも、こっそり盗み食いするほど好きな松の実です。

 今月訪れたポルトガル、リスボンから北西ポンパルにある主人が勤める会社の工場へと車を走らせます。15年前この同じ道を通ったときは、道の両側にはブドウの棚、オリーブそしてコルクの木が見られました。コルクの生産では世界一のポルトガルです。今回もそんな風景を楽しみにしていました。

 オリーブの木は何となく分かります。ブドウはまだ背の低い苗木が植えられたばかりという様子。コルクの木はなかなか見つかりません。何分にも大型バスで自動車専用道路をビュンビュン飛ばしていますから、木の識別が難しい。と、 こんな木姿の植林されたと思われる木の群れが至る所に見られます。よく目をこらして見ていると、葉っぱが松のように針状です。結局、見たかったコルクの木はどれがどれだか分からずじまい。印象に残ったのは、このこんもりした松の葉っぱを持つ木です。途中休憩した所では、 オリーブの花がたわわに咲いていました。

 昨日、旅行のときの写真の整理をしていました。やはり気になるのは、松の葉を持つこんもりした木です。この写真、泊まったホテル近くのエドアルド7世公園のものです。 外灯の上の飾りを撮っていたのですが、その後ろに見える深い緑の木が松の木でした。ポルトガルの松を調べてみると、松は松でも日本に馴染みのある松とは木の形状が違います。もっさりと茂って見えるイタリア笠松という種類だと分かりました。そしてこの笠松からは、大好きな松の実が採れるのだそうです。イタリアには有名なバジルと松の実を使ったジェノバソースがあるぐらいです。松の実は大事な食材に違いありません。ポルトガルでも松の実が一杯入っているタルトを見ました。

 やっと、松の実を付ける松に出会えました。私が日頃食べてる中国の松の実は、朝鮮五葉松という松から採れるものだそうです。いつか、きっと、この朝鮮五葉松にも会えそうな気がします。

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コルビジェ展 香港シティーホール

2015年05月26日 05時33分50秒 | 日々のこと

小雨、27度、95%

 5月になると毎年「フレンチメイ」という香港、マカオ、フランスを結ぶ催しがあります。音楽、ダンス、総合芸術にフードまで加わった催しです。今年で25回目ぐらいのはずです。当初はマカオは入っていなかったように記憶しています。

  メールで送られて来る今年の題目、これとこれは絶対にとチェックを入れます。ところが今年は5月初めから香港を留守にする事が多くて、やっと一番行きたいものに先日行ってきました。フランスの建築家コルビジェの展示会です。

 我が家から歩いて20分、香港シティーホールの展覧室、このシティーホールは一番古くからのもで、演奏会、バレエ、京劇などが一年を通して観られます。音楽、舞踊には、以前から力を入れていた香港ですが、絵画、建築、塑像などの分野の展覧会はここ数年やっと定期化してきました。入場料無料。写真撮影も可。

 日本でも人気のあるコルビジェ、2013年の西洋美術館の展覧会のときも、隣のミケランジェロの展覧会を差し置いて観に行ったほど私も好きな建築家です。元々画家としてスタートしたコルビジェ、高等な建築の教育を受けないまま建築家として世界中にその足跡を残しています。上野の西洋美術館をはじめ、日本人の好きなレマン湖畔にたつ「小さな家」(コルビジェが母のために建てた家)などは有名です。今回は設計図をはじめ、塑像に絵画、タペストリーにいたるかなりの数の展示物です。

  段ボールで作られた模型。    室内のラフスケッチ。 

 コルビジェの設計図やラフスケッチに軽く彩色したものが好きです。彩色は水彩と思います。     塑像、木製のものに着色されたものもありました。 こちらは実は撮影禁止のものです。

      絵画もそうですが、かなり抽象的な作品です。

  西洋美術館んを鳥瞰したラフスケッチ、こちらも彩色されています。 前面から見た西洋美術館の圖です。

 2013年の西洋美術館の展覧会のときも書きましたが、私がコルビジェで一番興味があるのは、チャンディガールというインドの街の都市設計です。チャンディガールはニューデェリーよりやや北西、パンジャブ州の州都です。このチャンディガールを訪れたのは今から15年以上前の事、やはり主人の仕事上の何かの式典で行きました。当時、この街の都市設計までもをコルビジェが手がけたとは知らず、裁判所などの建造物は観ないで帰って来ました。都市設計、街全体の構想を作ったのが  この模型です。知識を持たないまま行ったチャンディガールの街ですが、ニューデリーの雑踏から考えると、放射状に延びた道や遠くに見える山並みまでも考えられて作られた街でした。もう訪れる事もない街ですが、チャンディガールの空気が忘れられません。

   出口には、大きなタペストリーが2枚。チャンディガールの高等裁判所の壁にも、コルビジェがデザインしたタペストリーが掛かっていると聞きます。

 絵画展にはまだ歴史が浅い香港です。照明が今ひとつ思わしくありません。それでも、何かホッとして展示場を後にしました。

 このシティホールは、数年前まで、ビクトリア湾に面して建っていました。玄関を出ると見えるのは、ビクトリア湾、その向こうには九龍半島でした。埋め立てが進んで、今では、 観覧車やサーカスの会場が見えています。振り返って、シティーホールの建物を見ました。香港で一番古いシティーホールです。低層のこの建物もなかなかいいデザインだと初めて思いました。

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ウォターピッチャー クリストフル

2015年05月25日 05時37分57秒 | 身の回りのもの

 曇り、25度、91% 

 我が家の玄関ドアを開けると、右手にダイニングテーブルが見えます。一般的な香港のマンションの作りです。そのダイニングテーブルの上には、主人が在宅中は日本の2リットル入り水のペットボトルがのっています。主人が出張に出かけると、即座にそのペットボトルは台所へと移動します。日本の水は主人専用の水です。大きさは関係ありません、ペットボトルが家の食卓にのっている景色がどうも好きになれません。

 日本に限らずニュースで会議の場を見ていると、ペットボトルがそれぞれに配られています。ガラスのコップが添えられていることもありますが、概ねペットボトルのみ。会議に出席の女性はペットボトルから水を飲まなくてはなりません。屋外のピクニックや山登りとは違います。一昔前までは、日本なら湯のみが置かれていました。先日、ホワイトハウスの会議の様子がニュースに映ります。見ると、テーブルの上にはティーカップとソーサーがのっています。コーヒーかお茶かは定かではありません。お茶をこぼす、カップを割ることもあるだろうのに、カップにソーサーを添えてテーブルにのっていました。いい感じです。

 そんな私の事を知ってか、主人がひと月ほど前にペットボトルの水をウォーターピッチャーに入れ替えておいて欲しいと言い出しました。しかも、ウォータピッチャーはガラスや焼き物でなくて、出来たら銀器がいいと言います。割れないからです。久々に銀器が買えると、勇んでクリストフルの店に出かけました。緩やかなカーブのピッチャーは蓋が付いていません。レースの帽子でものっけようかと考えます。保温性のあるピチャーは大小2種類。一応見せてもらって主人に相談します。お値段が張るので私一人では決められません。ちょうどロンドン、リスボンに行く予定がありました。ならば、あちらで探そうという事になりました。

 ロンドンでは時間がありませんでした。リスボンでは、ホテル内の2軒のシルバ−の店ともう一軒の店で、あるだけのピッチャーを出してもらって、見比べ持ち比べます。どれもこれも納得いきません。いいなあと思っても、重すぎたり、小さすぎたり。結局買わずに戻ってきました。

 昨日、ゴルフをお断りして家にいる主人、旅から戻っても出張続きです。お疲れに違いありません。と思っていると、昼食後、外出の用意をしています。聞くと、時計のベルトや仕事の鞄が傷んだので見に行くとおっしゃいます。私は午前中、目一杯あっち行き、こっち行きしたのでお供はお断りしました。

 夕方、帰って来た主人が持って帰って来たのは、 大きな包みです。開けてご覧とおっしゃいます。急急、 中身は察し済みです。蓋付きの保温可能な大きい方のピッチャーが出てきました。

 早速水を入れてみます。1リットル入ります。これで、テーブルの上のペットボトルの姿は消えてなくなりました。 後ろ姿もなかなかです。また磨いてやらなくてはならない奴が増えましたが、大きなペットボトルがテーブルにのっているよりましです。 

 夕食の時、主人がいつまでこのピッチャーのお世話になるかな、と言います。割れませんから、永いお付き合いですよと答えました。夜中に起きて主人が水を飲んでいます。カチャッと金属音が聞こえます。ピッチャーの横にはガラスのコップ、そう思い浮かてニンマリ。

 屋外では違和感ないペットボトルです。割れない、軽い。なのに家に持ち込んだ途端、味気ないものに感じます。

 

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しみ

2015年05月24日 04時26分54秒 | 日々のこと

雨、28度、99%

 左頬にしみがあるなって思ったのは、昨年の夏の事でした。このしみ、昨年の夏に出現したのか、それよりずっと前からあったのか分かりません。毎日鏡を見ていても、しわも、目尻が下がって来たのも見慣れて来るように、しみがあるのも気にならなければそれでよかったのですが、どうした事か、急に気になって仕方なくなりました。しみだって、しわだって出来てしまえば無くなる事はないのは分かっています。香港でしみ取りのレザー治療を受けた知人が、以前よりしみが大きくなったとこぼしていました。レザー治療なんてまっ平です。ジッとこのしみを見ていると、30代40代の頃、義母や母に口うるさく肌だけは大切にしなさい、と言われた事を思い出します。30、40代の私はこの香港で真夏、日焼け止めも塗らずに、セッセと主人に付いて山に海に出かけていました。当時の日焼け止め、匂いがきつく、付けると肌も妙な感じです。その上、日焼け止めを塗るだけで、汗がドッと顔に出るほど湿度が高い香港です。もう一つ、私はズボラです。

 気になり出すと、しみが増殖するのではないかと不安になり始めました。私が使う化粧水などの化粧品は、屢々書きますが、全て主人が出張の度に買って来てくれます。頼んでいるわけではありません。しかも、私など買わないようないいお値段のものばかりです。値段がいいからといって私に合ってるかは分かりません。でも、買って来て下さるので、調子がいいわとお礼を言います。すると、また買って来てくれます。そんなわけで、化粧水は箱のまま4本、乳液も2本ストックがあるほどです。

 しみのことを主人に言えば、きっと何かそれなりのものを買って来るだろうとは思いますが、自分の肌です、久しぶりに化粧品屋に行き、そんなに高くない普通の美白クリームを買いました。昨年の事です。美白化粧品は、しみ取りでない事は心得ています。要するにこれ以上しみを作らないためのもの。このクリーム一瓶使って、なぜかまたズボラになってそれっきり、しみもまた見慣れてしまいました。

 まだ肌寒い3月の下旬に日本に帰りました。大手の薬局のチェーン店の前には、ビラビラといつも紙の広告がぶら下がっています。風邪の季節には風邪薬の広告。花粉症の頃になればマスクありますとか。街の美観を壊すものだとは思いながら、少しでも安く薬を提供してくれるので、日本に帰れば必ず立ち寄ります。3月下旬だというのに、紫外線対策はお済みですかと広告。その横に、資生堂「HAKU」キャンペーン実施中!と幟です。そういえば、「HAKU」が出来たばかりの頃によく主人が買って来てくれていましたが、何分にも男の人が選ぶ化粧品です。そのとき、「HAKU」がよかったとかの記憶はありません。キャンペーンなんて謳っている幟にすっかり魅せられて、値段も見ず迷わずに一本「HAKU」を手に取りレジに直行。その晩から「HAKU」を付けています。

 そろそろ、ふた月。実はひと月経った頃に、あれ?しみが薄くなったと思いました。いや、気のせいかな?だって、美白化粧品はしみ取りではありませんからね。で、ふた月目。しみが小さくなっています。それにやっぱり色も薄くなっています。うれしやうれし。

 もちろん、ここ数年はBBクリームやCCクリームの日焼け止めも塗るようにしています。

 しわもしみも白髪も、年相応でいいと常々考えます。化粧品の合う合わないは人それぞれ、私には「HAKU」が効いてくれたようです。最近、年若い友人に肌を大切にしなさいよ、と口うるさく言う私です。

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お香典返し

2015年05月23日 04時27分44秒 | 日々のこと

雨、24度、97% 雷注意報、黄色雲

 義父の四十九日の法要は、日本のゴールデンウィークや香港の連休に重なりエアーチケットが取れずに少し延びてしまいました。博多湾、遠くは玄界灘も見渡せる墓に納骨を済ませる事ができました。イノシシも出ると聞く静かな山沿いの墓です。

 四十九日が済むと、頂戴したお香典のお返しをします。葬儀会社が何から何までひとパックにして葬儀を引き受けてくれます。会葬礼状、葬儀後の会食、四十九日の案内状、お香典返しの品々まで葬儀の段階で取り決めます。義父の葬儀一切は、義父の状態が思わしくなくなった時、たまたま帰国していた私が決めました。兼ねてから義母と段取りを付けるのは私がと決めていたからです。何分にも初めて仏を出す家です。私は実家の母を一昨年見送ったばかりです。

 葬儀は、義父が組織人でなかった事もあり、家族葬と決めました。家族葬も様々、葬儀会館を借り、通夜、色とりどりの花が波のように見える祭壇を準備しました。。地元の方がそれとなく聞きつけて参って下さいます。主人の勤める会社の本社の方も東京からおみえになりました。親族も高齢者が多く遠くからの参会は無理です。遠くの親族には、葬儀後亡くなった旨の手紙を私が書きました。

 お香典返し、印刷された礼状とともに送られて来る品。なぜかいつも決まりきったその形に寂しいものを感じました。同じような礼状の言葉、これまた印刷された熨斗。母のときも、全て私自身の手で手紙を書き、お礼の品も選びました。主人や義母に頼まれたわけではありませんが、義父へのお礼のつもりでお香典返しも私の手で調える事にしました。

 四十九日の法要は終わったものの、会社の用事でヨーロッパまで夫婦して出かけました。香港に戻ってもゆっくりなどしてはいられません。お香典返しが遅くなる事に義母は少し焦っています。そんなわけで、ヨーロッパから戻って5日目には、日本に向けて飛びました。

 頂いたお香典の額によって粗方目処は付けますが、家との付き合いの程度、義母の思い入れも考えて品を選びます。私としては、小さくとも「これは下川さんの亡くなった後に頂いたものだったね。」と義父を思い出してもらえるものをと思いました。たくさんのお香典を頂戴した方には、黒塗りの通い盆を選びました。長い付き合いの食器を扱う店に頼みました。近隣の方達には、義母が届け易いようにと新茶にしました。お茶はありきたりですが、少なくてもいいものをと思います。お茶屋さんで新茶を味見させてもらい、八女と知覧の新茶です。主人の勤める会社からもそれぞれのセクションごとにお香典を頂いています。これまたありきたりですが、お菓子にしました。数も少なく小さな菓子たちですが、地元の福岡の菓子屋でここのものならと思うものを選びました。

 小さなものも含めて、総数70近くになりました。包みを作ってもらう前には、不祝儀の素熨斗をもらい私の手で名前を入れました。配送を頼んだものは、ごく僅か、東京や横浜の方達だけです。大きな大きな紙袋を3つもさげて、主人の実家に戻りました。

 私がさげて持ち帰った品は、義母がこの1週間お届けに伺っています。ひとつ、失敗がありました。主人の会社、4つのセクションそれぞれに送った菓子です。今週初め、会社の方から主人の元に一体何の意味のお菓子か、と問い合わせのメールがやって来たのだそうです。お香典返しの品です、と返事をしたのだそうですが、どうしてこんな事になったのかと私も不思議でした。ちょっと考えました、私が書いた不祝儀の熨斗で包まないまま発送したのではないかと思います。つまり熨斗なしの品が届いたわけです。早速頼んだ菓子屋に電話を入れましたが、そんな事は無いと言います。まさか、祝儀用の熨斗で包まれていたら大変ですが、そこは確認のしようがありません。

 一昨日義母に電話を入れました。出て来た義母の声が、久しぶりにはつらつとしています。近隣やちょっと離れた所の方達にお返しを届けています。義父が逝って、家にいる時間が長くなりました。外に出るのに、身じまいも調えます。人にお会いすれば楽しい話も出て来るでしょう。「あと三軒よ。」そう話す義母の声が弾んでいました。

 

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鳥の箸置き

2015年05月22日 05時32分00秒 | 身の回りのもの

小雨、23度、91%

 箸置き、小さなものですが食卓のアクセサリーです。実際に、箸先を汚さないためにもあると重宝します。5こがひとセットになった箸置きを随分と買い集めました。夏になるとクリスタルの輝きが涼しさを呼びます。冬のお鍋の時などは、織部の魚シリーズ、アンコウのとぼけた顔がなんともいえない。

 再来年は酉年です。2つ前の酉年に買った、 京焼きの箸置きは、酉年にしか使いません。つまり再来年が3回目の一年となります。いくら私でも巳の年の箸置きは買いませんでした。息子が午年ですが、午も買いませんでした。主人が申年ですが申もね?と持っていません。干支の箸置きで持っているのは、この酉と戌だけです。どんな時のお客様にも困らないだけの箸置きを小さな箱に入れてしまっています。買い物の時、目についた箸置き、もう充分ありますから最近は主人と私の普段使いの箸置きしか求めません。

 見出し写真は、初めから2こ組の箸置き。「おしどり」と名前が打たれていました。ここ数年、朝に晩に食卓に上ります。買って直ぐ、はて、どちらを主人のにしようかと迷います。手前のは金彩です。奥は華やかな色付け。自然界の鳥は雄が華やかですから、奥の色付けを主人に使っています。考えてみれば我が家だって、私は紺黒白しか着ませんが、主人のタンスにはピンクや赤やオレンジが、なんとも華やかなタンスです。

 先日、日本に帰った折、感じの良い店のウィンドーに見つけたのが、 この箸置きです。ちょいと尖ったくちばしに、ちゃんと目も付いています。ぽってりとした重みも何となく好みです。全部で5色。折角ディスプレーされているのに、5つをゴチョゴチョと並べ替えては眺めます。5つともいい色です。5つ買おうかな?いや、箸置きはもう要らないわと店を出ました。翌朝、やっぱり鳥の箸置きが気になります。出かけて行って、どの色を選ぶか、またしてもゴチョゴチョペアを作ります。サーモンピンクは自分のと決めて、ブルーや焦げ茶を合わせます。どの組み合わせもいい感じです。でも、やっぱり明るい色がこの季節らしくてと、黄色をとりました。

 日本から私が戻っても、主人は出張続きで一緒にこの箸置きを使ったのは、3回ほど。

 鳥の箸置きが3つになりました。趣の違う3種類、鳥の箸置きにはどうしても目が行ってしまいます。私、酉年です。

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