marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(614回) 人という生き物の組織のありうる姿(その1)

2020-01-03 20:31:13 | 日記

君たちはどうして知ろうとしないのか。知るということはどういうことなのか、考えてみたことがあるか? 理解するということ、分かったということはどういうことなのかと考えたことがあるか、と。

◆普段に動物としての僕らは、まず、ストレスの解消を望む肉体であるし、排除しようとする生き物ではある。さらには、そのことに自分を高めようとする事柄であることを認めた者は、それを自分の事として意味を知り消化しようと努めるに違いなく、そうでなければ、それは自分に無関係な無駄なものとして廃棄するだけのことなのだ。人という生き物はそんなものなのだ。土塊に霊を吹き込まれて初めて人になったという。自分を含めて人をしろうではないか。そうすれば、この地上に生を受けて誰でもがこの生ある間になさねばならない宿題があることを知るだろう。

◆人、生存競争に基づく、動物としての指向の欲求は、環境が整えられるにつれて弱体化しつつあるけれど、それも「いつ」の「何を」元にと基準を定めなければ、本来、その人の評価などできぬものなのだが、人は他の批判とともに自己肯定化を図る。そういう生き物なのである。あなた方はあがめ奉る言葉だけを求めているのか?ルターは神学には試練が必要だと言ったではないか。多くの者が教師になってはいけない。教師は特別厳しい裁きを受けるのである。このことを良く考えて見よ。これはパウロの言葉である。

◆クリスマスは、当時のその地の冬至の行事を採用して作られてきたものである。それを境に、すべての自然の命の原点ででもある太陽の日が長くなっていくことから救い主の誕生としてふさわしいものとして改良されたものだ。それまでの風習、伝統になじませる為に地面に立ち糧を得るという生き物としての当たり前のことを第一に感謝し忘れ得ぬ為にとクリスマスの定着に努力がなされたものである。人は土地から得たものを食べて生きているのであるということ。この生き物として当たり前のことを忘れてはいけない。その為に人は額に汗水たらして働かねばならなくなった。ここに、この地上に十字架が建つのではなかったか。なぜ、欧米の空論を振りかざすのか。肉において先祖は今の我々の命をつないできたのではなかったか。なぜ、その国のことをことを理解しようとしないのか。神は地上の人に理解の種をまかれていたのだ。そのことを知れ!もっと近くに来ていることを知ろうではないか。

◆組織というしがらみに、安住し、自分のコトバをもたないのはどうしてなのか。その組織に入ることが第一なのか、社会から見れば、批判なきであるならば、その世界は実に甘いと言われなければらならない。本来、自分の言葉で戦わねばならないはずなのに・・・。我らは苦しみの中から多くを学ぶのである。・・・


世界のベストセラーを読む(613回)  2020年 個人の存在の基軸への問いかけ

2020-01-03 08:03:12 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(540回)世界の解体、個人の基軸への問いかけ、そして未来

新しい時代の始まり・・・思いつくことを書き留めておこう、それにしても仰々しいタイトルだなぁ。◆僕は昨年、夏からほとんどブログ更新ができなくなった。頭の老化が始まって意欲が欠落が始......
 

◆昨年初頭の仰々しいタイトルも、本当に世界は大きく変わっていくだろうなぁ、大きな曲がり角になったなぁ、などと思いながら内容を読んだ。AI(人工知能)の採用が当たり前のようになり、人の本来の朽ちていくこの限りある思考や社会やそのシステムなどが大きく変わっていくだろうななどと思いながら。「個人の存在の基軸」という言葉の意味は、社会の有り様が変わっても、それに合わせて人という生き物はスーパーマンになるわけでも無く、仮にスーパーマンになるとしてもその「人という生き物はいかなるものか」ということを常に点検しつつ歩まねば、それを誰が行うかわ別にして(実はこれが問題なのだが、そのシステムを誰が行うかが・・・)、人の形をしていてもかなりデモーニッシュな世界になっていくだろうし、おそらく多くの人はそれに気が付かないで世界は終わるだろうなぁ・・・などと。

◆「人という生き物はいかなるものか」ということは、僕にとっては変わらぬことで「神は御自分にかたどって人を創造された」(旧約聖書:創世記1章27節)とあるから、自分を含め人のことを知ることは神を知ることに少しでも近づけるだろう、と思っているからである。「天になるごとく地にもなさせ給え」と主の祈りにあるように、人が言葉を持ち、神の世界を限りあるこの地上に復元すべく進化発展させてきたと考えるからである。あくまで総体的に・・・。イエスはサマリアの女に「救いはユダヤ人から来るからである」と言われた。どうぞ、古代、文字には残っていないだろうが彼らが世界の、そしてこの国の精神性の基底を形作ってきたことを知ってほしい。

◆そこで改めて思うのである。「ひとりひとりの魂の基軸はどこにつながっているのか、つながらなくてはいかないのか」ということなのである。個々の地上の命は必然的に消えてなくなるのであるから。イエスは言う。「私は聖霊をあなたがに送る。いつもつながっていなさい。それが、すべてを明らかにするであろう。」と ・・・ Ω