marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(615回) 人という生き物の組織のありうる姿(その2)

2020-01-04 12:24:21 | 日記

歳を重ねた宗教オタクはこの年度替わりにこんなことを思わされてきた。

◆ONE TEAM が言われたフィジカルなラグビー。これが世界の政治について、まさに物理的な力に対する覇権についてなのだが、人の命がその手段となっているとすれば、どうしたものだろう。この地上の3次元の肉における次元の話である。スポーツが尊ばれるのは、一応嘘が付けない結果として現れ、個人の朽ちていく肉体の制限の拡張に限界を発揮した、あるいは、その勝利が国威を盛り上げることがあるからだろうと(ロシアの国がらみにドーピングなどは論外として)。「よく、やったなー! 感激だ」と思われるのは、この次元の中で、国の対抗という競技の中で代表としてその優位性が証明されるという大衆化された淘汰意識が背景にあってのことだろう。世界には、隠れたもっと体力的に限っては優れた人がいるに違いない。動物としての生存の基本、優劣なる遺伝子にあるごとく生きることへの淘汰性。ただ、生き物としては淘汰性などはなく、ただ、その存在のシステムに乗っかっている命を保っているものはあるかもしれないが。

◆この正月、同時代の知人より長電話があり、人の生きざまなどを考えた。やはり人には、それぞれにご先祖様からの魂からの(霊界からのと言ったらいいいか)の先導があるのではないかと思わされているのである。少し変わった苗字の奴なので。苗字は明治2年の法令らしいが、それまでのご先祖に関連した、例えば住む場所や仕事や謂れが苗字に係わってつけられたものが多いから。どこを転々としていたご先祖などかを調べるとなるほどな、だからお前も・・・というのが当たらずとも推測できそうなことが理解できて来た。彼は北京大学で中国を習い、北、南をあちらこちら、その後、ロンドンのオリンピックでなでしこジャパンを応援し、その後イギリスの南と北の町にホームスティなどを行い、ドイツにも行き、スペインにも滞在した。ヨーロッパでもやはり、スペインなどのラテン系はやはり人種的(生き物として)に緩い(つまり、几帳面ではなく、かなりアバウトということ)だそうで気質がやはり日本人にはあわんと。総じて、日本人種は優秀である、という結論らしい。お前、ぜひ本でもだしたらいいよ、と僕はいつも言っているのだが。

この国の文字に現れない歴史を考えてみると、古代のこの国の成り立ちに当初の争い、淘汰性はあったが、その後のシステムを形成してきた人々がいたのであると思われてきたのである。人も動物の集まりとして命に係わるシンボライズを頂点におき、国をひとりの人のように家族的イメージ的に形成する。この国においては天皇制(政治、イデオロギーに係わらないあくまでも象徴シンボルとして)。神道は天皇行事にあるから当然としても、仏教もしかり、キリスト教はかなり捩れて居るが(この捩れがこの国に興ったのはまさに光を装ったサタンは生きていた、否、生きていることの現出なのであろうと)、古代の歴史が学問的に露わになってきた昨今、そのシステムを作ってきたのは実は、少ないこの国の真のキリスト者である古代神道をも形成したもの達なのであると・・・。