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②ジュリーにチェックイン!(1月4日)Playlist of Harborland

2022年01月05日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

「ジュリーにチェックイン!」(1月4日)続きです。

チェックイン!の次の話題は、1975年の比叡山フリーコンサート

ラジコで聞けます。期間限定なので(今週末くらいまでかな?)お早めに。こちら⇒1月4日(火)PLAYLIST 火曜日:歌謡曲 パーソナリティ:田名部真理さん
14:00から「 ジュリーにチェックイン」



田名部さん:今日は、saoさんからのメッセージを交えて
音源からご紹介していきたいと思います。



saoのメッセージより『今年もよろしくお願いいたします。
年明け最初の放送が、比叡山フリーコンサートのLPとは嬉しいです。1975年に開催されたコンサートに行きました。

真夏の比叡山に向かう山道に、延々と続くファンを乗せたバスの隊列。(120台のバスのピストン運行だったそうです)到着したスキー場会場横の救護所には、熱射病と車酔いで倒れた小女たちが多数横たわっていました。
彼女たちが横たわる姿を横目で見ながら、長いトイレ待ちの行列に並んでいると、突然「ジュリーが来た!」その声に寝ていた救護所の少女たちも一斉に起き上がり、慌てて草っぱらの会場に走り戻りました。

ド派手なメイクとピンク色の衣装に身を包み、オープンカーに乗り、艶(あで)やかに登場したジュリーを眼にした瞬間を忘れません。
涙にむせぶ新妻をファンの前に紹介しながら、「結婚ぐらいで僕自身は変わらない」と、ジュリーはファンに大いに気を遣っていましたが、ジュリーが「僕の妻です」と「妻」と言うたびに大いに動揺しました。
炎天下の会場で、汗でメークが流れ落ちたジュリーのふり絞るような熱唱に、自然に泣けてきて、ジュリーの結婚を心から祝福できました。』

田名部さん:メールまだまだ続くんですが、ここでひとつ実際にライブ会場で、最初のかた(妻)でいらっしゃいます、伊藤エミさんをご紹介した音源をお届けします。

※比叡山フリーコンサートのアルバム音源より、ジュリーのMC
『どうも有難うございました。本当に皆さん今日は全国から、僕の全国縦断コンサート、ロックンツアー75,比叡山フリーコンサートにお越しいただいて・・ えー、皆さん もうご存じだと思います。えー 6月の4日に、わたくし結婚いたしました。(拍手)・・ 色々とファンの皆さんがた、色んな風に受け止めだと思います。これは事実です。事実は事実として受け止めていただきたい。かといって、僕自身が 結婚ぐらいの事によって変わることは有り得ないということを、皆さんは 是非是非 信じて頂きたいと思います。拍手
・・・・・・・・
幸せですね、おめでとうと言われますが、幸せには違いないんでしょうが、僕にとって幸せとは、こんな結婚ごときのものではないということを、ファンの皆さまの前でハッキリと言いたいです。
かといって 別に僕の妻に対して、むげに扱うとか、そういう気持は毛頭ありませんが、やはり僕と妻との関係よりも、思い起こせばタイガースでスタートして、PYG、そして現在まで、ファンの皆さんとの繋がり、僕たちの関係というのは、妻にも侵しがたいものがあるのではないかと、僕は思うのです。(拍手)
ですから、これからも変わらず歌手である沢田研二、ジュリーを応援していただきたいと思います。拍手 
そして僕には、一番大切なものと言って過言ではないと思います。ファンの皆さんの前で、やはり一番最初に報告したかったんですが、僕が優柔不断なところから、今日まで伸びてしまいました。

実は今日、この延暦寺の釈迦堂にて、厳粛なる結婚式を挙げてまいりました。(拍手歓声)
ファンの皆さんにまず一番にご披露したいと思います。僕の妻です。(キャー!拍手と歓声悲鳴の渦)
皆さんどうか、どうかよろしくお願いいたします』

田名部さん:いやー saoさんのメッセージどおりなんですよ、
妻と言うたびに、キャーっという歓声と言うか、悲鳴があがってね・・

saoのメッセージ『あれから40数年もたちましたが、比叡山フリーコンサートは、CD化されていません。忘れがたい大規模の野外のフリーコンサート、あの日の感動と熱狂が自分の記憶から薄れていくことに、大きな焦燥を感じていました。
J友さんから貴重な当時の新聞記事を見せて頂いたこともあり、「あなたの比叡山フリーコンサートの、思い出を聞かせてください」とブログで呼びかけたら、多くの方から当時の思い出を頂きました。遠方で参加できない方は、ラジオの生中継で聴いたそうです。
チケットを手に入れるために苦労したというお話。(ファンクラブ会員は、申し込だら招待状が届きました)。何週間も前から、バス発車場の前で並んでいたファンがいたこと、コンサートを最前列で見た方。
男性ばかり数人で見に行った方たち。あの日は倒れて救護所で寝ていました、比叡山のアルバムに亡くなった姉が写っています、という方も。もちろん結婚には大ブーイングの人もいたそうで、ファンの思いもそれぞれです。

帰り道では、あのねのね(田名部さん:ラジオ関西でもパーソナリティでいらっしゃいます、原田伸郎さんたち)の二人が「ジュリーは凄いな凄いな」と言いながら歩いていたとか、
自然に「時の過ぎゆくままに」の歌声が周囲から上がり、歌いながら帰った、などと聞かせていただきました。
ファンのそれぞれが体験した、忘れがたく熱い暑い1975年の比叡山フリーコンサート。その記憶を、この先も皆で繋げて行けたらいいな、と思っています。』

田名部さん:という、このメッセージを読むだけで、当時の熱狂と臨場感が伝わってきますよね。ラジオで少しでもその熱狂をまた伝えられたら、後世にも伝えていけたらとの思いで、今日はお届けさせて頂きました。
というわけで、今日はもう1曲 この比叡山フリーコンサートのLPからsaoさんのリクエスト、一番かかりそうにないですが、と頂いていますが素敵なカバー曲
『ロックなジュリーもいいですが、ジュリーの持ち味や
透明感のある美しい声には、バラードが似合います。』
というわけで、沢田研二さん
「美し過ぎて~You Are So Beautiful」⇒YOUTUBE

saoさんの当時の状況のメッセージを頂いたからこそ、この染み入る歌声、届きましたでしょうか。沢田研二さんで、「You Are So Beautiful」お届けしました。
曲がかかっている間に、メッセージもきました。有難うございます。
『懐かしい!私も結婚式 行ってました!』
ということで、良かった!共有できました!。

今度は2022年から始まります、初詣ライブ、来週はこちらのリポートお待ちしています。以上、ジュリーにチェックイン!のコーナーでした。




田名部さんは、当ブログの「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーをご覧になったことがきっかけで、比叡山のアルバムを買われたそうです。

まさか、アルバムのジュリーのMCの音源をかけて下さるとは思いませんでした。当時は何度も何度も、繰り返し聞いたので、MCも いまだに記憶しているのです。

あの時はステージでジュリーが「結婚ぐらいで僕は変わらない」とか「結婚ごとき」とか言うのを、新妻を横にしてそんなこと言っていいんかい?気の毒じゃないかと思いながら聞きました💦 あのジュリーが、ファンに気を遣っていました。ファンが離れていくのではないかと言う、不安な気持ちがあったんでしょうね。

音源がCD化されないのがとても残念でなりませんが、そこに色々な事情があるのは察せられます。ジュリーご自身も今更、ラジオで当時のMCの音源を流したことを喜ばれるとは思えません。

かといって、あの暑い夏の一日はまさに、ジュリーとファンの間の忘れがたい青春の1ページに違いなく、夏の日焼けが醒めるように、記憶を消したくはないのです。

せめてこの先に記憶を繋げたいと思い、皆さんの比叡山の思い出を募りました。メッセージを寄せていただいたお陰で、初めて知ることが沢山ありました。感謝しています。皆さんの思い出は、ブログのカテゴリーの「比叡山フリーコンサート」の中に記してあります。


「美し過ぎて~You Are So Beautiful   ジュリーもファンも、あの日はみんな美しかったね✨✨

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