のびたとブレイク

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おかみさん サンバもジャズも 連れてくる  浅草でニューオリンズジャズを聴く

2018年09月02日 07時26分08秒 | うたごえ

浅草公会堂 タレントや歌手のメッカでもある この入口周辺には 有名人の手形がいっぱい見られる

ここで2日間 ニューオリンズジャズフェスティバルが行われ 本場のジャズバンドに湧いた

私も30日の夜 溢れるようなエネルギッシュなバンド演奏に酔いしれた

 

 

浅草と言えば 『浅草おかみさん会』 この方たちの先頭に立つ 富永照子さんの存在を忘れてはならない

今でこそ 平日も休日も 外国人も含め浅草は いつ行っても観光客で溢れている

その賑わいからは想像できない かってはゴーストタウンのような浅草があったのだ

 

 

舞台から挨拶された 浅草おかみさん会会長の 富永照子さんが語っていた

『浅草わね 昭和50年から60年代 人通りが絶え 昼間でも人が5人とねこ一匹しか見なかったんだよ』

首都高は出来た 東武は浅草終点だったが地下鉄網で通り抜けて行く 街はホームレスも多く汚れた街の印象だった

 

確かに浅草の魅力に乏しい姿を私も見ていた 都内には斬新な催しや建物 商店街が続々と誕生していた

そんな浅草を立て直したい 浅草のおかみさんたちが起ち上がった 男性陣からは期待されず嘲笑もされたと言う

浅草観光地図の作成と看板設置 を手始めに 無認可保育園の開設 ロンドン二階建てバスの導入して走らせた

 

私も乗ったことがある 浅草・上野間でいつ行っても 観光の行列が出来ていたものである

それからは 浅草で サンバカーニバルを招致 現在でも浅草名物となって 華やかな衣装で踊り歩く

浅草には 「常盤座」と言う明治19年開設の劇場があり 浅草オペラ発祥のの劇場だが昭和59年休館となった

 

浅草の未来を据えて なんとか盛り上げたいと おかみさん会はまたも斬新な企画を立てる

それが ニューオリンズジャズを招くことだった かつて訪ねたバーボン通りがどことなく浅草六句に似ていた

これが大成功 今年は32年目となった おかげで私も 本場のバンド演奏を大迫力で聴くことが出来る

 

 

更に付け加えると 浅草寺のライトアップ 浅草振袖学院の創設など 数々の功績を残している

遂には 全国におかみさん会を提唱して 「全国商店街おかみさん会」 を組織した

各地に災害があれば そのネットワークを活用して 女性の細やかな視点で助け合いされていることも強調したい

 

 

下町のうたごえ  バンド コーヒーブレイク生伴奏 in 本所地域プラザ

  YouTube 君恋し

  https://youtu.be/DOzbG3hv3IY

  YouTube バラが咲いた

  https://youtu.be/Dln0ndE-4Ho

  

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