まるぞう備忘録

無題のドキュメント

災厄を避ける3つのステップ。

2016-09-30 09:46:29 | 防災情報。

 私達の人生には、いろいろ起こって欲しくない災難があります。それは個人の人生の災難であるかもしれませんし、国家の災難や天変地異などの厄災であるかもしれません。しかし私達人間は、それらの厄災を避けるか最低限度に抑える能力が備わっているように思います。


 災難を避けるステップの一つ目は、その最悪の災難を頭の中できちんと認識することであります。そういう災難があり得ると私達の脳の中でそれを観ることであります。
 二つ目のステップは、その災難が起きた時の対策を事前にしておくことです。「そうならないで欲しい」と願うのではなく、「そうなるのは当然」と覚悟してその時の対策をしておくことです。
 三つ目のステップは、もうここまで対策してそれでも災難が起きるのであれば、仕方ないや。と腹をくくることです。努力不足のまま言い訳で「仕方ないや」というのでは残念ながら効力はないようです。どう考えてもこれ以上は無理という時に、腹をくくる心境になることが肝要です。「人事を尽くして天命を待つ」とも言えます。自分の心に後悔がない状態です。本当の自分の心にはウソをつけないので、なかなか難しいですが。私達がこの人生で一番挑戦していることの一つでありましょう。自分の心にウソをつかないこと。


 さて災厄を呼びこむ私達の心の要因の一つが「思考停止」であります。「思考を停止」した災厄は自分の人生に引き込まれるのでありました。
 まず最初のステップで、最悪を想定できていない「思考停止」は危険であります。私達の人生は常にたくさんの警告を私達に与えています。それは人の噂話の形で耳に入ることもありますし、テレビドラマのセリフや電車の中吊り広告かもしれません。ふとネットで見かける記事かもしれませんし、今朝見た夢かもしれません。私達の人生は様々な形で、起こりうる警戒すべき最悪の事象、想定すべき事象について教えてくれています。
 しかしその警告を無視して生きる人もいるかもしれません。残念ながら「無知」の人です。日本が平和であるように。戦争を起こさない国であるように。それは当然の願いです。日本人全員の願いです。しかし「中国が自分の領土だ〜。と南シナ海のように尖閣を取り来たらどうすべき?」という最悪の事象に対して「思考を停止」してします「無知」の人もおります。そういう人は「思考停止」によって、日本に災厄を呼び込んでいるのです。もしそういう「思考停止」の人々の割合が増えれば、この国は本当に中国からの侵略による戦争に巻き込まれることになることでしょう。


 また次のステップでの「できる限り災難を避けるように努力する」というところで「思考停止」をしてしまう人もいるかもしれません。
 災難や災厄が我が身に降りかかった時の対策をせず、ただ「その災難が私に起きないで〜」と願うだけで「思考停止」してしまいます。残念ながらこの「思考停止」も災厄を呼び込みます。せっかく最悪事象は発生するという警告は汲み取れたのに、できる限りの対策するというところで「思考停止」してしまうのです。



 「思考停止」した災厄はやはり自分の人生に呼び込んでいることと思います。その災厄を「認識」し、「努力」し、そして最後に「腹をくくる」ことができれば、その災厄は避けるか、本当に最小のものに変わります。


 なぜなら人の脳内でそれは一つの現実として起きたことであるからでした。人は現実を創造する心の働きをもちます。人の心は無から有を生み出すことができます。「思考停止」せず、「認識」し、実際の行動として備える「努力」をし、そしてゴールの「腹をくくる」状態まで達した時に、それは現実で起きることと同じ重みのことが事象が脳内で完成したのでした。現実で起こるかもしれない災厄の因子が、人間の脳内で昇華されたのでした。


 「思考停止」すると本当にその災厄は自分の人生の降りかかります。高知県の漁村などは、やはり地震から4分で34メートルの津波が来るのです。備えるのは不可能だからと「思考停止」すると本当にそれはやって来ます。
 だから地方自治体はもっとたくさん「津波タワー」を設置するべきですし、自動車メーカーは「浮く軽自動車」を開発販売するべきですし、どちらも間に合わないのであれば、せめて家族の分だけは、「安全ヘルメット」と「救命胴衣」用意して、地震後1分以内に着用するようにいつも想定するべきと思うのです。
 ヘルメットと救命胴衣の結果、濁流に呑み込まれ、全身いたるところ打撲と骨折で満身創痍のまま、仰向けで太平洋をたった一人でプカプカ浮いていることになるかもしれません。私は自分と家族を生き延びさせる最大限の努力はやりとげた。と腹をくくって浮きながらプカプカと天命を待つことができるでしょう。本当に天命を待つ。です。私の心と身体はこうして、悔いなく大自然の中に還っていくことでしょう。


 南海トラフの想定動画です。多くの方々の脳がこの動画を観ることで、各自の脳内で想定の「努力」と「腹をくくる」という、脳内現実による因子昇華が進めばいいなと心から願います。


南海トラフ巨大地震




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津波の備え。

2016-09-29 10:42:31 | 防災情報。

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歴史を紐解く! 韓国地震の次はいよいよM8南海トラフか

・・・
武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏が言う。
 「ここへ来て、何百年に一度という直下型の大地震がイタリアで発生したばかりです。プレートに乗っているわけですから、まったく発生しないということはありませんからね。隣国の韓国でも、この種の地震は何度となく繰り返された。1945年前後には、多数の死者を出した東南海地震、南海地震が発生していますが、こうした海洋型の巨大地震の前には、必ず直下型地震が起きている。鳥取地震、北但馬地震などがそうです。韓国の地震も、そうした西日本の地震活動の一つと考えた方がいいかもしれません」
・・・
 ともあれ、日韓連動の過去の事例からも、南海トラフ地震を心配する声が多いようなのだ。
 「南海トラフ地震の記録は数多く残されています。その記録を年代順に並べてみると、おおよそ100〜150年の周期で発生しているが、安政大地震と昭和南海地震は間隔が90年だった。しかも、1854年には、安政東海地震と安政南海地震が立て続けに発生している。周期にはばらつきがあるものの、海上保安庁が設置した観測機器からは、強ひずみ域が想定東海地震の震源域から広がりを見せ、M8.0だった1946年の南海地震の震源域からさらに南西側に広がっていることも判明しているのです」(前出・サイエンスライター)

 ひずみが解放される時期は、刻一刻と迫りつつある。韓国の大地震は日本の大地震にリーチが掛かった証拠。それに備えるのは地震大国日本の宿命なのだ。

http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160928-06848304-jitsuwa
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 南海トラフが発生した時に、自分が住んでいる地域の震度と津波の達成時間はこちらで調査することができます。是非読者の皆様もご自分の住んでいる地域の震度と津波の予想をご確認頂ければと思います。

http://www.asahi.com/sp/special/nankai_trough/

 たとえば高知県土佐清水市は34mの津波が地震の直後4分で来ることになります。どうやって避難したら良いのでしょうか。


 都市部の場合は、高いビルはたいてい近くにあります。津波の可能性があるかどうかは地震の直後の発表でわかりますから、津波の可能性がある場合は、なるべく建築が新しそうなビルの屋内非常階段(たいてい防火扉あり)を4階以上登ることが大切と思います。


 ただ四国や紀伊半島および東海地方の太平洋沿岸の田舎ですと、高いビルなど稀でありましょう。また高台まで移動するのも車で10分20分かかるところも多いことでしょう。高齢者などはそんなにすぐに高台に移動できない可能性も高いでしょう。
 以前ご紹介した水に浮く車があると良いのですが、まだ日本では発売されておりません。(私が自動車メーカー幹部なら軽自動車を全部浮くようにしたいところですが)


 苦肉の策として、各自がライフジャケットを家族分用意することが良いのではないかと思います。ライフジェケットは3,000〜10,000円くらいです。安全ヘルメットも2,000〜3,000円です。これらを家族分を購入して玄関に吊るしておくとか、車のトランクに常備して置くのが良いのではないでしょうか。


 311で津波で亡くなった方の死因のトップが打撲でした。溺死ではないのです。もの凄い津波の濁流に呑み込まれると身体は水中に沈められます。そして大量の瓦礫とともに流される過程で身体を強く打ち付けられるのです。
 しかし、もし救命胴衣着用で少なくとも身体が水上に浮いてさえいれば、濁流で水中に引き釣りこまれなくさえなれば、生き残れる可能性は高まると考えられます。また水上に浮いていても激流ですので建物に身体が衝突する可能性はあるため、やはり最低でもヘルメットなどで頭を保護する必要はあると思います。
 でありますから、南海・東南海地方に住んでいる方は、短期間で大きな津波が来る可能性がある地域の方は、とにかく強い揺れが来たらまずライフジェケットを着用してきちっとファスナーと紐を締めること。そして安全ヘルメットを着用することが重要ではないかと思います。それから高台に避難するとか、自宅の二階など少しでも高い所に避難する。


 車に乗っている人も車内でライフジェケットを着用し高台に向かって運転することになるでしょう。しかし渋滞などで、万が一、車が津波に追いつかれたら、道路に水が見えたらすぐ車から降りる。車が津波に呑み込まれると水圧でドアが内側から開かなくなりますから。津波に追いつかれたら、すぐに社外に出て、車の屋根に登るなど少しでも高い所に上がります。


 不幸にして、身体が津波に巻き込まれたら、抵抗せずに流されるしかないです。多分。しかし、とにかく頭さえ瓦礫や家屋に打たなければ、そして濁流で身体が水中さえ引き込まれなければ、ライフジャケットでプカプカさえ浮いていることさえできれば、津波の引きで太平洋まで運ばれたとしても、そこから発見され救助される可能性は充分あります。
 ライフジャケットを装着していれば、浮くのに体力を消耗しませんから、助かる確率はぐっと高まります。


 ライフジェケットはきちんと装着さえすればほぼ100%助かるというデータがあります。ライフジェケット着用で死亡した例は、紐がきちんと縛ってなかったりファスナーを上まで上げず、途中で脱げていったケースです。
http://www.mlit.go.jp/jtsb/kai/bunseki/bunsekikohosiryo/no3_pleasure/p2-6.pdf


 本当は南海・東南海トラフ地域の地方自治体が、ライフジェケットとヘルメットを各家庭に配布するべきと思いますが、そうでない場合は、各自用意する必要があるのではないかと思います。



ライフジャケット通販例
https://goo.gl/H7LVEz

安全ヘルメット通販例
https://goo.gl/mSm1ia



 ありがとうございます。
※本日は中潮で新月週間ですね。



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景気考。その5。財務省の嘘。

2016-09-28 09:45:13 | まるぞう経営学

 私が友人Aに100万円を貸したとします。10年後に利子を付けて110万円で返して貰う約束です。彼は100万円の現金を手に入れて、そして私はその借用書を手に入れました。
 経済用語では、友人Aは負債を抱えることになります。そして私が持つ借用書は資産と呼ばれます。10年後には110万円に換金出来るからです。私は資産を持つことになります。
 もちろん私はAに踏み倒されるリスクはあります。この踏み倒されるリスク賃が利息の10万円です。もしAの踏み倒すリスクが高ければ、このリスク賃である利子も高くなります。逆に踏み倒されるリスクが限りなく低ければ利子もか限りなく低くなります。


 さて日本政府は国民に借金をしています。言い換えると国民は国からの借用書を持っています。その借用書とは国債と呼ばれます。日本国の負債の券=借用書、です。日本政府は国債を発行する度に負債を抱えます。そして国債(借用書)を手にした国民は資産を持ちます。国民といっても多くは日本の地方自治体や民間金融機関です。しかしほとんどが日本人および日本の組織です。外国人は約5〜6パーセントです。


 日本の国の借金は国民一人あたり800万円あると喧伝されています。しかし実際は負債を抱えているのは日本政府であって、その分の資産を持っているのは私達国民です。私達の住む地方自治体や、民間の金融機関であり、家庭です。そういう方や組織の資産です。
 でありますから本当は、「日本では国債の発行により国民一人あたり800万円の資産を持っている」というべきなのです。
 たとえばある旦那さんが奥さんに借金したとします。今月は入り用なので10万円貸して〜。っと。その借金は旦那さんが奥さんから借りたものです。しかし旦那さんが「私の借金はこの家(4人家族として)の家族一人あたり2万5千円に相当します」なんて発表したら、家族から総スカンをくらうことでしょう。だって借金したのはオヤジさんなのに、何でいつの間にか家族で割り算してみんなの借金みたいな言い方にすり替えてるの?実際は奥さんが10万円の資産(借用書)を持っているのです。
 このようになぜ、マスコミは、わざわざ国民に資産ではなく正反対の借金があるように言うのでしょうか。それはとにかく一重に、財務省の偏狭な使命である「できるだけ増税する」のために過ぎません。「消費税をガンガンあげてくぞー」「オーッ」「目標30%、いや50%いや100%目指してガンバロー」「オーッ」「日本国中は不景気になっても、国民(公務員を除く)が全員貧困層になっても、税金だけは安定してガッポガッポと財務省に入っていく社会に変えるぞ」「オーッ」という財務省内のスローガンが聴こえるようです。妄想です。すみません。


「国に借金がある」とマスコミが報じるたびに私は「国民に資産がある」としか聞こえません。


 さてそんなに国の借金が問題なら、それを解決する方法があるのです。そして景気も一気に回復する妙案があります。それは国民一人一人に1000万円を強制的に国から貸し付けるのです。うむ。4人家族なら4000万円強制的に国から口座に振り込まれるようにします。戦前のように10人家族なら1億円が政府から振り込まれることになります。
 さてどうなるでしょう。国民は一人あたり1000万円の借金を政府にすることになり、政府はなんと1000兆円の資産を持ちます。国民に貸している借用書が資産ですから。これで政府の借金は帳消しになるどころかプラスに転じて黒字国家となります。財務省もホッとすることでしょう(皮肉)。


 国民に貸した1000万円は、その人が死亡する時に返してもらいます。残された財産のうち1000万円部分は利息をつけて政府に戻ります。でも貸し倒れになる国民も多いことでしょう。その不良債権の部分は、利子の増加という形で次の世代に先送りにすればいいのです。たとえば次の世代は一人1200万円を強制的に貸し付けます。しかし実際の支払いは1000万円のみで200万円は利息(リスク賃)。こうやって世代を重ねるたびにリスク賃(利息)は膨らんでいきますが、問題ありません。1000年後でも一万年後でもずっとそうやって利息を先送りにして、国民には1000万円を配り続ければいいのです。政府は黒字のままです。


 もしみなさんの家庭に一人1000万円の国からの貸付が振り込まれたらどうでしょう。日本人の物欲は少なくなる傾向ですから、贅沢散財する人は少ないでしょうが、それでも我慢し諦めていた生活のあれこれを購入する人が大部分となるでしょう。子供の教育費や親の介護にも回せます。このため日本中で消費が活発になりますね。政府が目指していた景気も一気に回復することでしょう。国の借金も帳消しになり、景気も回復する妙案です。


 でも財務省は絶対反対するでしょうね。まあこれは素人の戯れ言ですからプロの方からするとデタラメもいいところでしょう。た〜だ、彼らの本音は国の借金を消すことでもなければ、国民生活を豊かにすることでもなければ、景気を良くすることでもありません。国民(公務員を除く)がどんな生活レベルに落ちようが消費税をビシバシ上げていけるかどうかが、もう組織の目標に置き換わっているからです。と妄想します。すみません。担当者レベルでは国の事を考え、日々の激務をこなされている方は大勢おられるでしょうが、組織としては上記の状態にあるように思えます。
 それはかつての太平洋戦争時、農林省は満州に一人でも多くの日本の農民を送り込むことが目的であったこととダブリます。それはもう日本が戦争に勝つとか、日本国民が幸せになるかというマクロな視点はなく、ただ与えられた数値ノルマというミクロの視点の目標を組織で突き進んで行った姿とダブります。
 本当に財務省が税収を上げたければ消費税を廃止して、景気を循環させて所得税から得た方が効率が良いのです。今までの統計でそういう結果が出ています。ではなぜそうしないのか。それは所得税方式だと景気に左右されるから嫌だそうです。財務省は景気を信用していないのです。どんな不景気でも安定した税金が徴収できるように消費税を進めたいのです。「景気が悪化しようが、国民が貧困にあえごうが、安定して税金を取り立てる仕組みを目指すぞ」というミクロな視点が財務省の組織の目的になっています。
 そして「税収=財務省の権力」ですから、財務省の権限を強くするために、あとは、頭の良いエリートたちが、競争に勝ち続けたエリートたちが、今度は自分たちの組織をより強くするべしというエリートの本能から、ひたすら消費税の税率アップに邁進していくことになります。
 消費税を廃止しようとする政治家が現れると財務省が潰しにかかることでしょう。歴史的な支持率を誇る安倍首相でも消費税の廃止は無理で増税延長が精一杯でありました。さすが財務省ですね〜(皮肉)。


 さて国民に1000万円を強制的に貸し付ける妙案ですが、もし本当に政治家がそれを述べたら、財務省はきっとこういって反対するでしょう。
「総額1000兆円もの財源はありません。どうするのですか?財源。空気から手品のように出すのですか?」


 はい。財源はあります。次回は日銀の秘密について妄想してみたいと思います。



つづく



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景気考。その4。魂の貯金。魂の借金。

2016-09-27 10:23:57 | まるぞう経営学

 経済や景気のことについて、考えるとき、必ず最後に行き着くのは、お金の本質とは何だろうか。人が生きていくことの本質とは何だろうか。という命題です。この本質への問いかけを忘れてしまうと、経済の話は単に「奪う」「奪われる」という損得勘定の話にそれてしまうからです。


 私達のような慎ましやかな庶民であっても、逆にエリート中のエリートの財務省官僚であっても日銀のトップであっても、権力を持った政治家でも、そして、ユダヤ系国際資本財閥の幹部であっても、皆同じです。何も変わることはありません。
 どんな大金があっても、死ぬ時にあの世に持ち越すことは誰もできません。
 あの世に持っていけるとしたら、それは、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
だけではないでしょうか。


 たとえどんな大金を稼いだとしても、多くの人から「奪われた〜」「騙された〜」という念と共に集めたお金は、それが大金であればあるほど、大いなる借金になってしまっているのではないでしょうか。魂の借金であります。





 もう一つ、考え着きますことは、どんな人生でも、誰でも、必ず足りないように出来ているということです。そしてこれこそが人生の真実なのでありました。
 そして、どの分野にどれだけ足りないか。というのは恐らく私達が生まれて来る時に自分で決めて来たことかもしれません。


 恐らく、足りないながらも生き切った時に、その生き切った足りない部分が魂の貯金となるのではないかと思います。
 たとえば、人生の過不足ない状態を100とします。しかし自分は生まれて来るときに、90しか与えられない人生を選んだとします。10不足する人生です。そしてその足りない部分というのが、自分の魂の試練となります。その試練の中で、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
を全うすることができると、今回の人生の魂の貯金は10となります。


 しかし中にはチャレンジャーの魂もいて、足りない試練を倍の20を選ぶか人もいるかもしれません。いろいろなモノが足りない人生です。お金かもしれませんし、健康かもしれませんし、家族関係かもしれません。それでもその自ら課した試練において、①と②をやりきって、そして20の貯金にチャレンジします。


 ひょっとしてもっと厳しい厳しいチャンレンジを自分に課している方もいらっしゃるかもしれません。50の貯金や80の貯金にトライされているかもしれません。そういう方々は、さぞかし厳しい人生であろうかと思います。





 さて、景気や経済の話になると、面白いことに、多くの人は「奪う」「奪われる」の視点になってしまいます。本来自分の人生の目的である「与える」という視点と180°逆の思考になるということです。
 本当は自分の魂は、この人生の中で、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
を試したかったはずだったのに、そんな事はキレイサッパリ忘れてしまうかの如くです。





 話は少し変わりますが、良く経済の専門家が言う言葉があります。「国の借金」です。何でも国民一人当たり800万円という借金があるそうです。この国には。


 これはもう本当に大嘘です。「二酸化炭素が地球の温暖化の原因だ。」ぐらいの大嘘です。
 一体誰が何のために「日本の国の借金は国民一人あたり800万円ほどに膨らんでいる」なんていう大嘘をマスコミに流しているのでしょう。
 日本の財政に関していえば、国の借金と言われているものは、ほぼ国民の資産であります。という解説をもう一度お話したいと思います。その時に忘れては行けないのは、自分たちがこの人生を終えて持っていけるものは、お金ではなく、①と②の行為という魂の貯金だけであるということです。



つづく



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景気考。その3。移行の痛み。

2016-09-26 10:06:20 | まるぞう経営学

 昨日のNHKスペシャルは、日本の人口減についての特集でした。私たちの日本が今後どういう社会に向かっていくか。ということを考えさせてくれる番組でした。多くの日本人はあれを観て暗澹なったかもしれませんが。


 さてこの日本列島ですが、どのくらいの人口が適切でありましょうか。諸説はあるでしょうが、私は八千万人くらいが適切であると思います。明治維新後が約三千万人です。八千万人というと1950年代の頃です。日本が高度成長という大変化を起こす直前の頃の人口です。その頃の時代が、人間と国土自然のバランスが取れていたように思います。


 そう。私たちの国土は、その頃の人口具合が丁度いい、としてその頃の人口に戻し始めている過渡期が現在なのではないでしょうか。
 過疎の村も少しずつ廃村にならざるを得なくなります。公共サービスを提供する地方自治体からすると、集落は街の中心にかたまっていればいるほど効率がいいからです。
 自治体の財政が苦しくなればなるほど、山間の村々は自然と消滅し、人が滅多に入り込まない山地が増えていくことでしょう。日本国土の多くが、事実上禁足の山地に戻っていくことでしょう。日本の国土の大自然の精霊が、人間を山からゆっくり追い出し始めているようにも思えます。山間の村々は高齢化で人口がゆっくり現象していき、限界点を越えた時点で全員が里の街に移動し、そして山地は自然に返されていきます。






 これからの人口減少は高齢者(65才以上)の割合は増えたまま、生産人口(15〜65才)が減る社会となります。NHKの番組では悲観的でありましたが、私達が腹を括る(くくる)には丁度良い時期であります。


 もし私の家族が10人家族で、働き手が7人であったら、結構良い暮らしが出来ることでしょう。しかしもし働き手が3人しかいなかったら、生活は窮々としたものになるでしょう。生活は切り詰めなければなりません。
 これからの日本の人口構成はそのようになるということです。私達の国民の生活も、働き手よりお金を使う人の方が多くなるので、生活の便利さの多くを手放さざるを得なくなるということです。
 でもそれは本当に不幸なことでしょうか。例えば1950年代の生活インフラの不便さは、本当に不幸であったでしょうか。24時間のお店がなくても、年末年始三が日はお店が開いてなくても、充分幸福でありました。ネットで発注したものが翌日届くなんて贅沢過ぎることでしょう。
 そのように考えると、私達の生活は丁度良い不便さ、生活に感謝を忘れない程度の不便さに戻ろうとしているだけのように思います。人生には生活が不自由なほど精神の健康が保たれる面がありますから。ある意味1950年代れベルの生活の不便さは、今の現代の生活より健全であるかもしれません。


 また個人の家庭で、10人家族で3人しか働き手がいない場合、働けるものは働きに出ざるを得なくなります。それと同じように、これからは70、80才でも現役として働きに出る社会とならざるを得なくなるでしょう。
 そのため、自動車や農耕機械の自動運転技術、高齢者介護のためのアシスト技術、高齢者自身が働ける医療補助技術などが日本で大きく進化することとなるでしょう。


 私は、幸せな人生とは出来るだけ最期まで現役でいられることであると思います。定年後悠々自適になった御仁ほど老け込むのが早いのを見るにつけそう思います。
 これからの高齢者社会とは、日本人が人生の終わる直前まで現役でいられる社会に変わりつつある過渡期であると思います。


 年金が破綻する。65才からの、年金は本当に貰えるのだろうか。そのように心配する方がおられるかもしれません。しかしこれからは、身体が健康であるならば、ギリギリまで現役で働いて自分の生活費は自分で稼ぎたい。と考える高齢者が大半を占めるようになるでしょう。自分の身体が元気なのに、まだ充分働けるのに、自分だけ年金を貰って遊び暮らす生活は「苦しく感じる」日本人が大半となる社会に戻るように思います。かつての日本社会がそうであったように。
 最期まで、人の役に立ちたい、人を助けたい、人に喜んで貰うことが何よりの自分の幸せだと思い出す日本人に戻っていくのではないでしょうか。


 今の日本人の考え方のままでは、そのような理想郷社会に移行するには痛みを伴う決断も数多く試練として向き合わなければならないでしょう。クレクレの思考の人は、これからの日本の社会は暗澹たるものと思います。
 しかし私達の人生ってどういう生き方が最終的に幸せなんだろう、という羅針盤を忘れなければ、この日本の行く先は本来あるべき理想郷(=日本の国土が望む理想郷)へと収斂(しゅうれん)していくことと思います。


 これからの日本の時期は、多くの日本人が「足るを知ること」「人の役に立つことが自分の喜び」を思い出す社会への移行期間であるように思います。昨晩のNHKの番組は「奪われることの恐怖」「失うことの恐怖」を煽っていた一面がありますが、本来私達は何も持っていないのであります。人から喜ばれる想いだけが自分の人生の宝であるのですが。


 日本が理想郷へと移行する過程は、他の国々にも大きなヒントとなることと思います。
1,足るを知る社会。勿体ない社会。
2,人から喜ばれることが人生の宝であることを思い出す。
3,高齢者でも現役で暮らせる働けるハイテク技術。


 日本の景気を考える時に、これから日本が変貌しつつある理想郷のゴールがどうなっているか、どうしたいか、が大切であると思います。単純に通過発行量を制限したり、金利を操作したり、税率を変えるだけでは、本当の景気は回復しないと思いますので。日本の景気とは「日本人の与えたいという気持ち」の総和であるというのが本質であると思うからです。



つづく。



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景気考。その2。何より税収を確保せよ。

2016-09-25 10:40:04 | まるぞう経営学

 誰もが「景気が良くなればいい」と願っておることでありましょうが、この「景気が良い」という言葉の意味は、政府・日銀が使っている場合と、我々庶民が使っている場合では定義が異なるようです。


 政府・日銀の「景気が良い」の定義は「国民や企業が借金をしてでもいいから不要なものでもいいから、皆モノを買いに殺到する状態」です。「買いたくて買いたくて、モノがどんどん値上がりする状態」です。ニュースで経済のプロが難しい横文字を並べて解説しますが、突き詰めると「国民や企業が借金してでもモノを買え」という政策の解説です。


 一昔みたいに、日本でも皆物欲が旺盛でありましたら、通貨量や金利をコントロールすることで、国民や企業の「モノを買う」量を制御できたでしょうが、今はもう多くの日本の国民の物欲そのものが薄れ始めております。なかなか日銀の思惑どおりにインフレが進まないのもそれが一番の原因であろうと思います。通貨量や金利の政策では、薄れ始めた物欲を再燃させることは難しいことでしょう。


 きっともう国民の物欲を煽るという経済政策は時代遅れになる時代に入っているのかもしれません。


 そしてただでさえ国民の物欲が薄くなり始めているところに、景気の足を引っ張っているのが財務省というお役所であります。
 片や、政府と日銀は「国民の消費を煽れ」と政策しているのに対し、財務省は「消費すれば罰金な」という政策を推し進めているからです。
 そうそれは「消費税」という名前の「罰金制度」であります。モノを買えば買った金額に応じて罰金を支払ってもらうよ。という制度でありますから、消費が落ち込むのは当然であります。


 だからもし本当に国民の消費を煽るのであれば、正反対の制度を導入すればいいのです。買えば買うほど奨励金が政府から出せばと良いのです。消費税は全廃して、100万円のモノを買うと8万円の報奨金を年末調整で支払います。そうするだけで消費がグンと上がるでしょう。国民の物欲は薄れつつはありますが、そういう報奨金制度であればまだまだ消費が伸びる余地があります。「景気」とは「人々の気持ちの総和」でありますから。そういう報奨金制度という目新しさで人々の消費は上がることでしょう。日銀は毎年80兆円刷って国債という借金を作るぐらいなら、消費税ではなく消費報奨金としてバラ撒いた方が、彼らの言う「景気」には意味があることでしょう。


 ではなぜこんな素晴らしいアイデアが実現されないかというと、それは財務省が強行に反対するからです。なぜか。それは財務省は「税金を確保する」というのが最大の存在目的であるからです。景気という水ものに左右されることなく、確実に税収を確保しなければならないという最大命題を持つからです。


 一般企業だと売り上げを増やすことが存続のために一番重要な事と言えます。そして官僚機構にとっての売り上げとは「税金」でありますから、とにかく「税金を確保する」ことが官僚機構にとって一番重要なことであるわけです。特に財務省は官僚中の官僚。頭の良い人達のうち、更に頭の良い人達が選ばれて集められた組織ですから、とにかくどうやって国民から税金をとるか、にもう百年以上心血を注いだ伝統を持つ日本最高のエリート組織です。


 この財務省官僚からすると、正直「景気の良し悪し」は本音は関係ないことでしょう。景気が良くなれば法人税や所得税の税収があがる可能性が高いから、その意味では「良い景気」は賛成しますが、あくまで税収があがる要素の一つとしてです。
もし
「景気が向上するが、税収は下がる」
「景気が悪化するが、税収は上がる」
二つの選択肢があるとするならば、間違いなく財務省は後者を選択することでしょう。財務省とはそういう組織であり、消費税とはそういう制度なのです。国民の購買意欲を低減させて、景気を後退させてでも税収を確保する。という制度です。
 想像ですが、財務省官僚の本音を言えば、消費税は多ければ多いほどいいことでしょう。8%、10%なんて甘い甘い。20%、50%でも足りないぐらいです。100%あったってまだまだ足りない。そのように彼らの「税収」の欲にはキリがなく暴走するかもしれません。彼らの組織の目的が「税金の確保」であるからです。人間の「足りない足りない」欲望にはゴールはありませんし、優秀な官僚ほど、全体目的ではなく、近視眼的な目的に目標を見失う罠があるからです。


 話はずれますが、先の大戦で日本が戦争に向かって暴走した理由の一つが、官僚機構にあると私は思うのです。国全体の利益より、官僚組織の目的が最優先されてしまったことが、戦争の暴走を止めることができませんでした。
 先日のNHKスペシャルでもありましたが、一度満州への開拓団を送り込むという入植者の数値目標が決まってしまうと、もう戦争が不利になって関東軍が撤退を始めだしても、官僚組織はひたすら日本人農民を満州に送り込むことを止められませんでした。そして送り込まれた多くの日本人が、特に老人、女性、子供たちなどの凄惨な最期を迎えたのでした。しかし驚くべきことに、そのような悲惨な事件に対して当の官僚組織だった人たちは、終戦後もほとんど罪悪感を抱いていないということが驚きでありました。自分たちの政策は正しかったと述懐していたのでした。


 官僚組織には良い利点もたくさんあります。本当に優秀な方々は大変な労力で「日本のために」と働いておられるのは事実です。しかし国という全体ではなく、自分の官僚組織の命じられた目的のみの実行という近視眼的な努力にのめりこむ危険性はいつもどこにもあるように思います。そして官僚機構では一度決定されたことはなかなか覆(くつがえ)せません。


 そして同じように財務省が、国民の生活よりも、自分たちの目的である「税金を確保する」ことに全ての精力を注ぎ込んでいることは、優秀な官僚ほど陥りやすい罠であるように思えてなりません。
 本来は、国民の生活を豊かにサポートするための「公共サービス維持のための税収」であるはずが、国民の生活よりも与えられた「税収を少しでも多く安定的に確保する」に入れ替わっています。



つづく



 ありがとうございます。
※本日は新月週間ですね。



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景気考。その1。景気とは何か。

2016-09-24 10:38:56 | まるぞう経営学



 私の子供の頃は、物価というものは上がるものでした。インフレがアタリマエでありました。だから教科書にデフレという説明があっても、理論上はそういうことが考えられるが、実際に社会で起こることはあり得ないと思っていました。
 しかしなんと私が大人になると日本の社会はデフレになっていました。物価が下がりだしたのでした。モノの値段が下がるのは嬉しいことですが、給料も実質下がるので、結局大変なのは同じでした。インフレ時は給料も上がりますが、物価もそれ以上のスピードで上がりますので、インフレでもデフレでも生活が大変な「本質」は変わりません。バブルの瞬間は生活がラクに思える時期もありますが、バブルとは未来の富の先食いなのでバブルが弾けたあとは長い長い日陰の時代となりますので、結局「本質」は変わりません。



 さて日銀と政府がインフレを目指すといって、毎年2%のインフレを目指すといって、円を刷りまくったにも関わらず、物価が上がりませんでした。これって凄いです。もう日本では本当に物価が上がらなくなってしまったのでしょうかね。ふむ〜。



 でも何でインフレがいいのでしょう。それはインフレの方が景気が良くなりやすいからです。インフレだとモノの値段が上がって行きますから、あとで買う方が高くつきます。買いたいモノがあったら、今買った方がお得です。
 また借金しても、インフレだと将来返す額が相対的に減っていきます。だから今借金して今買った方がお得です。
 そういってみんな借金してモノを買うため、景気が循環するのです。だから適度なインフレは景気対策に必要であると言われています。



 ふうむ。では景気って何でしょう。それはみんながモノを買うということです。必要なモノかそうでないかは関係ありません。自分の収入の中で買うのか、借金して買うのかは関係ありません。とにかくたくさんの人がたくさんのモノを買えば買うほど、景気が良いとされます。
 必要なものでなくていいのです、借金でも良いのです。とにかくたくさん人がモノを買うようにする。ということが景気対策ということです。世論調査で「景気が回復して欲しい」と答える人は多いですが、その本質とは「多くの人が、必要のあるものないもの関わらず、借金してでもたくさんモノを買う社会になって欲しい。」ということになります。
 多くの人は「景気が良い」とは「自分の給料が上がる」が「社会の物価は下がる(あるいは据え置き)」であることを漠然と望んでいるようですが、そういうことは長期的には有り得ません。自分の給料が上がる時は、物価もそれ以上に上がるインフレか、物価が据え置きが下がる時は、自分の給料も据え置きか下がるデフレでありますから。



 さて経済力の指標にGDPというものがあります。「一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額」とされます。
 ただこのGDPにはいくつかトリックがあって、人が必要としないモノでも過剰に作り出し続けている間は、GDPが上がっている。と計上することが可能です。
 たとえば中国のGDPが世界2位であるのも、このトリックによる嵩上げ(かさあげ)がかなり寄与しているのではないか。と私は思っています。
 買う人がいなくても住む人がいなくても、大量に作り続ければその途中の過程の売り上げの総計は、GDPとして計上出来るのですから。



 さて景気を考えると、「作り手がたくさんいる状態」より「欲しい人がたくさんいる状態」の方が望ましいことになります。
 なぜなら、今の中国のように「買いたい人」より「作りたい人」の方が、多いと、とにかく過剰にモノを作り続けることになります。民間企業だと過剰在庫で売り上げが上がらないと資金が枯渇して倒産してしまいます。しかし中国共産党のように国策として人民元を刷り続けることができる社会は、過剰生産が延々と続き、見た目の経済は伸び続けるトリックが可能です。
 しかしそれではいつかはバブルが弾けます。だから本当は「作り手がたくさんいる」より「買い手がたくさんいる」方が好景気には望ましいのです。「買い手がたくさんいる」と安定して景気が伸びて行けます。だから「必要なものだろうが不要なものだろうが、借金してでもモノを買いたい」という人を社会にたくさん創出することが「景気対策」であると言えます。
 そして「景気対策」をそのように定義すると、日本の景気は、もうバブルのように回復することはないであろうと思います。



 なぜなら、日本人はもうかつてのように、借金してでも買いたいモノ、人に見栄をはるために不要なものだけど欲しいというモノが激減しているからです。
 これは日本人の精神が成熟しつつある一つの現象であると思います。そもそも本当に「景気」が良いことが、社会にとっても良いことなのでしょうか。と思います。不要なモノでも見栄のために借金して購入することが、良いことなのかどうか。多くの日本人がそのように感じ始めているように思えてならないのです。



つづく。



 ありがとうございます。
※本日は新月週間ですね。



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ゴール。

2016-09-21 09:46:22 | まるぞう経営学

 ヨメの知り合いの旦那さんです。彼も自分で会社を起こした人だそうです。最初の頃はやはり苦労が多かったようですが、事業が軌道に乗り今では、人生の成功者です。邸宅を新築し、先日もまた外車を買い換えたということでした。同じような年代で、同じような起業をし、片やセレブの仲間入り、片や朝から晩まで働いても庶民の慎ましやかな暮らし。どうしてあなたは、あのご主人のように、事業が大成功しないの?そのようにヨメが尋ねました。
 ヨメは特にセレブの暮らしをしたいとは望んでいないでしょう。慎ましやかな庶民の暮らしの中に幸せを感じていることのようです。ただこれだけ旦那が苦労しているのに、なぜ報われないか。が疑問のようです。


 とても良い質問だと思いました。なぜうちが大金持ちのセレブにならないのか。それは私が、心の深奥でそれを望んでいないからでありました。もちろん自分で発案して、苦労して開発したものは、成功して欲しいです。たくさんの人に使って貰いたいです。そしてもっと安定的に社員たちの給料を払える保証が欲しいと願います。
 ただ自分が大金持ちになったりセレブになりたい。という欲望は希薄であるため、うちは庶民の生活のままであるのでした。きっと他に優先するべきことがあるのでしょう。


 私の心の奥が本当に望んでいることが、最近少しだけ分かってきました。私はこの人生において「下から目線」を体験したかったのだろうと思います。今まで前世とかなんとかはあったかどうかは知りません。でももし前世というものがあるのであれば、その数多い人生の中で、私が最後まで身につけることができなかったのが、「下から目線」であり「謙虚さ」であったのでしょう。そう考えると本当にいろいろ辻褄が合います。


 私は新しいアイディアを生み出すことが得意のようです。また普通の人よりは要領の良い才能も持っているようです。ですから「謙虚さ」を養うことはとても難しいです。「下から目線」を経験するのはとても難しいです。


 私の深奥の心が望んでいたことは、この人生で「下から目線」と「謙虚さ」を学ぶことでした。そして社会に出て、大きな企業のサラリーマンになりましたが、流れ流れて、小さな会社の経営者になりました。この境遇が自分にとって、最大の課題を達成するのに一番良い境遇でした。


 小さな会社でありますから、事業がうまく行かないことがあれば、それは即自分の責任となって跳ね返ってきます。大きい会社であれば誰かの責任に転嫁できたことでしょう。私は口は立ちますから。しかし小さな会社ですから、社員のせいにはできません。どんなことでも会社の問題は、私の問題として瞬時に跳ね返ってくるのでした。シビレます。笑
 会社の業績が悪化すると、もうそれは資金繰りにダイレクトに響くのでした。もう数カ月後には会社の資金が尽きる。という状況で、とにかく自分の家族と社員の生活費を稼がなくてはいけません。サラリーマンの時のように、少々手を抜いても、決まった給料が受けてれる身分ではありません。
 会社の業績と、私の「下から目線」が連動していることに気がついたのは、起業してから何年も経ってからのことでした。私が傲慢になるとあっと言う間に商談が離れていき、売り上げが激減するのでした。「下から目線」を努力していくと、少しずつ商談案件が集まってくれるのでした。しかし傲慢になって失うのは一瞬でありました。シビレます。笑



 私の心の奥底は一体何を考えているのか。その一部を垣間見ると、私は「謙虚さ」と「下から目線」を自分の実体験として経験したがっているのでした。事業が成功して大金持ちになったり、セレブになったり、名声を得ることは全く望んでいないのでした。ふむ〜。逆にそれらは「謙虚さ」「下から目線」の体験の邪魔になるようでした。
 この世の中のオモテの世界(富とか名声とか)では「陰」に徹せれば徹するほど、ウラの世界(自分の魂が望んでいた本当の課題)では「陽」を積むことが多い傾向になるのでしょう。オモテで「陰」に徹するほど、その魂は「自由」を得やすいということであります。



 どんな人であっても、もしその人が「自分の人生は苦労が多いなあ」と感じるのであれば、きっとそれは、その人の深奥の自分の心が望んでした、それぞれの「課題」を体験するのに最上の環境であると思います。オモテの世界の「陰」の環境であり、ウラ(自分自身の深奥の魂の世界)の「陽」であります。
 私が元気で働ける期間が、この人生であとどのくらい残されているかわかりませんが、その期間の間、「謙虚さ」と「下から目線」の体験を少しでも多く蓄積させて頂きたい。と思います。



 ありがとうございます。
※本日は中潮ですね。



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定年後に残るもの。

2016-09-17 14:09:43 | まるぞう経営学

 昨日あるNTTグループのIT会社の人と話をする機会がありました。NTTとは今は民間会社ですが、その昔は日本電電公社という国の組織でした。
 彼いわく、「NTTグループの役員候補となるべき人材は入社した当時から決まっていて、周囲の人間は彼に不祥事の責任を被せないことが仕事なんだ。亅ということを言っていました。

 昔「踊る大捜査線」というテレビドラマでキャリア組とノンキャリア組の構造が描かれておりましたが、NTTグループも一種の官僚機構なので、そのようなことが今でも残っているのかもしれません。
 蜜蜂は生まれた時から女王蜂となるべき幼虫が決められていて、ロイヤルゼリーなど特殊な餌を与えられ、女王蜂に育てられます。日本の官僚キャリアもそのような構造なのでしょう。民間会社でも官僚機構の名残がある組織は今でも似たような人事構造なのかもしれません。



 私と話をしたその彼はその女王蜂のエリート社員のことを羨ましそうでした。
 私はこういった巨大企業の社内のヒエラルキー(権力構造)については知っていましたので、特にそのエリートさんのことを、うらやましいとは思いませんでした。
 陰と陽の視点では、彼は表面上は出世という肩書を得ることができますが、オモテを得れば得るほど、本来自分に課した人生の宿題というウラの成果が難しくなることが多いからです。



 窓際だった人も、そこそこ出世できた人も、あるいは最高峰のエリートで女王蜂になれた人も、結局定年退職して、一人の人間に戻ります。定年後の退職金や年金の多寡(多い少ない)の差はありますが、一人の人間に徐々に戻って、一人の人間として自分の人生を振り返ることとなります。



 その時自分の人生を振り返って、実りのある人生だったのか、どうか。そう判断する時の「人生の財産」とは何でしょうか。
 おそらくどこまで出世できたか。という最終の自分の役職なんかは、本当に名刺一枚分の値打ちしかなかったかもしれません。
 それより、サラリーマン生活の中で一番財産として心の奥で輝いているのは、苦手だった人、嫌いだった人と、最後はうまく仕事ができて成功した。という経験ではないかと思います。



 私達が生まれて来る時に、自分が自分の人生に課す宿題は様々でありましょうが、多くの人は、「苦手な人、嫌いな人との和解」を自分の宿題にしているのではないかと思います。
 「苦手な人、嫌いな人」とは自分自身の鏡であります。ですからそれは「自分自身の鏡との和解」とも言えるかもしれません。



 出世の本流に乗れなくても、傍流の子会社かもしれませんが、自分の「人生の宿題」をたくさんクリアされている方もたくさんおられます。オモテではぱっとしないように捉えられるかもしれませんが、ウラでは人生の勝者と言えるかもしれません。そういう方は定年になって自分の人生を振り返った時に、自分は良い人に恵まれて幸せな人生だったな。と思えることでしょう。
 そしてそういう方は定年になっても、あちらこちらから声がかかって忙しそうに人の世話役をされておられることも多いかもしれません。高卒であったか、大卒だったか、本社だっか、傍流子会社だったかは全く関係はないのでした。人生の真の宝を積めた人は、社会の方から彼を引き寄せるように思います。


 逆に本社で役員まで出世された方でも、弱いものを犠牲にして成り上がった人は、定年後はどうでありましょうか。
 確かに、定年直後は会社の肩書の看板の名残は有効ですが、徐々にその看板は関係なくなります。かつての部下たちも自分との距離を置きたがっているのも肌で感じます。もう定年した人は(当時いくら社内権力を持っていても)今は、もう「過去の人」でありますから。
 オモテの肩書が偉くなると、普通の人間は謙虚さから遠ざかりやすくなります。謙虚さから遠ざかると、自分に課したウラの「人生の宿題」をクリアするチャンスがどんどん失われます。「人生の宿題」をほとんどクリアしないまま、定年を迎えた人は、やはりお気の毒であるかもしれません。偉そうなまま社会から切れてしまうと、残りの人生で宿題をやりきるのはなかなか難しくなってしまうからです。



 サラリーマンとは大変なお仕事です。それは他の職業と同じように大変な仕事です。
 しかし「苦手な人、嫌いな人」と和解する。という宿題を自分に課した魂の人間にとっては、とても試し甲斐のある仕事であると思います。人に頭を下げなければならない役職、謙虚にならざるを得ない役職、下から目線で見つめなければならない役職こそが、本当の勝者の役職ではないでしょうか。



 ありがとうございます。
※大潮ですね。



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