マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

知られている

2016-09-08 00:49:07 | 教会の風景
今日は祈祷会のため教会へ。
少し早めに寮を出て向かいました。
到着してまずは換気。




今晩の祈祷会の通読箇所は、ヨハネの黙示録2章のスミルナにある教会への主のメッセージ。
教会に「わたしは知っている」と語る主。

(2:9)
わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

今晩も、集まった方々と祈りとみことばのひとときを持つことができて感謝でした。



さて、礼拝説教のあらすじ(旧約聖書の講解分)も掲載しておきます。

2016年6月 ヨシュア記9-10章
 聖書は、信仰者の生涯を霊的戦いにたとえている。誤解のないように言うならば、私たちの思想や信条、価値観という領域でのことと言えば良いだろうか。信者であろうと、聖書の示す真理よりも世俗の価値観や流行の思想に従っている場合がある。この時、イスラエルの民を迎え撃つ、カナンの先住民たちは一致団結して抵抗しようとしていた。(9:1,2)その一方、ギブオンの町の住民は計略を用いた(9:3-5)。彼らの使者は遠方の民を装い、イスラエルと条約を結ぶことで滅亡を免れようとした。肝心な局面でありながら、ヨシュアと民の指導者たちは『主の指示をあおがなかった』と伝えている(9:14)。結局、イスラエルは異邦のギブオンの住民と条約を結び、将来の世代への信仰上のリスクを負うことになった。主に尋ねることを疎かにすれば、自ずと主観に頼らざるをえない。
 ギブオンがイスラエルと条約を結んだことで、カナンの他の地域の先住民たちは動揺した(10:1,2)。そして、彼らの攻撃目標をイスラエルではなくギブオンに絞った(10:4,5)。ギブオンからヨシュアのところに救援の要請が届き、ヨシュアは援軍を率いてギブオンに向かった。主は再びヨシュアに『恐れてはならない』と励ましの言葉をかけた(10:8)。主はこの時、ヨシュアに「わたしが彼らをあなたの手に渡した」と語り、恐れなくて良い理由も示した。主のことばに力を得たヨシュアは、約30㎞の距離を「夜通し」の行軍で進み、敵の連合軍を打ち破った。その勝利は「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので」とされる(10:10)。主は圧倒的な勝利をもたらし、ヨシュア率いるイスラエルは快進撃を果たした。信者の霊的戦いで恐れは危険だ。私たちの霊的戦いは福音の宣教によって果たされる。宣教には困難が伴うとしても、恐れる必要はない。勝利の主に導かれ、勇気を失わずに福音の宣教に励んでいきたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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