憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

祭祀王の祈り 

2021-11-22 22:40:09 | 公務
昭和61年(1986年)5月、上皇(当時皇太子)
天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っています。このことは、疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また「朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表われていると思います
 *昭和61年11月29日 千代田区体育館に避難した大島島民に初めて膝を屈して慰問。

平成29年(2017年)2月21日 今上(当時皇太子)誕生会見
<象徴天皇については,陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこれまで何度かお話ししたように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。 

このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。 

令和3年(2021年)2月19日今上誕生日会見
日本の歴史の中では,天変地異や疫病の蔓延など困難な時期が幾度もありました。これまでの歴代天皇のご事蹟せきをたどれば,天変地異等が続く不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を作られた聖武天皇,疫病の収束を願って般若心経を書写された平安時代の嵯峨天皇に始まり,戦国時代の後奈良天皇,正親町天皇など歴代の天皇はその時代時代にあって,国民に寄り添うべく,思いを受け継ぎ,自らができることを成すよう努めてこられました。

その精神は現代にも通じるものがあると思います。皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います。そして,時代の移り変わりや社会の変化に応じて,状況に対応した務めを考え,行動していくことが大切であり,その時代の皇室の役割であると考えております。

国民を思い,国民に寄り添う点で,災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。


😐 平成の天皇も令和の天皇も、何か勘違いされているのではないかと思う。
嵯峨天皇、後奈良天皇、、、歴代の天皇たちは、上皇や今上が繰り返し言われるように、国民に寄り添うべく祈ったのではない。
国と民に多大な被害をもたらしている災害、疫病を鎮めるために祈ったのである。
後奈良天皇は「天子に徳がないと、災害が起きる」という当時の思想に従って、起きている災害を自分の徳のなさゆえと受け止めて祈ったのである。
いわば、唯一人で災害に祈りをもって立ち向かおうとした。祭祀王というものは古来、そういうものでしょう。

平成の天皇も今上も「祈りの力」を信じておられないのは仕方がないとして、祭祀王として祈りで災害に対峙した御先祖の業績を「国民に寄り添う。」などという甘やかで耳障りだけの言葉の証左に使用されるのは如何なものでしょうか。

😑 国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ねー。
口で言うのは簡単ですが、陛下には出来ないでしょう?

雨にも負けず 風にも負けず
・・・・・
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
 
実践しようとした宮沢賢治は無理がたたってシンでしまった。

陛下は
「災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。」

そうですね。各地の行政が準備した被災者代表、障害者代表、高齢者代表、福祉等の活動家に面会して、ねぎらいの言葉をかけることで「国民に寄り添い、苦楽を共にした。」と思い込んでいらっしゃるだけではないでしょうか。

陛下がねぎらいの言葉をかける人々の後ろに、誰にも認められずとも黙々と成すべき事を成している国民、苦しみ悲しみに注意を払って貰えないままに耐えている国民、が多く居る、いや、殆どの国民がそうだということに思いを馳せたことがおありでしょうか。


アメリカの属国・・元皇族米政府関連施設へ就職?

2021-11-22 14:20:58 | 小室
改めて、そうだ、日本は敗戦国だったのだ、と忘れていた歴史が蘇る。

😇 全国民に啖呵を切って出て行った姫君だが、旦那共々独り立ちする気はさらさら無く、一生日本政府に面倒を見てもらつもりのようです。

眞子さまのNY勤務先は宮内庁・外務省が連携してリサーチ「政府や州の関連施設が望ましい」
 2021年11月22日 デイリー新潮
<抜粋>
2人が住むマンションは築4年でジムやスパなどが併設されており、1ベッドルームの家賃は月50万円ほどだという。

7月の司法試験に落ちたからといって、弁護士事務所から受け取ると想定されていた報酬である2000万円がガクっと減るわけではないようです。ただ、“多少は減らされた”と宮内庁の人間は把握しているようでした」
 と、担当記者。

😇 政府は、最初から小室夫婦に3000万円程度を捨て扶持で与えることを考えていたと見ていますがどうでしょうか。

 名目はどうであれ、小室に2000万円、眞子さんに1000万円。
現在、独立して生計を営む親王の皇族費は3000万円強です。同程度の金銭的保障はするということで政府と秋篠宮との間に合意が為されているんじゃないかなーっと。私の直感、妄想ですが。笑。

眞子さんに1000万円を渡すために、政府は骨を折っているようです。

「物価が高いNYでの留学生活の中でいかに節約をするかというのをずっと実践してきたのが圭さんなのですが、さすがに眞子さんがいてこの家賃を負担するのに圭さんひとりの収入では心もとない。今後、新しい家族が増える可能性も大いにありますし……ということで、眞子さんは“NYでも仕事をしたい”と宮内庁側に伝えていたといいます」 

😇 眞子さんの「働こう」という意欲は買いますが、宮内庁に就職先の世話をお願いするのは頂けません。皇室がイヤで出て行くのに、宮内庁は利用する。
眞子さんにはプライドというものが無いのでしょうか。恥知らずの小室を配偶者に選んだ時点で、もしかして恥知らずではないか、と薄々思ってはいたのですが。

「宮内庁側はその後、眞子さんがどういった職種を希望するのかなどについて確認したそうです。それを受けて、宮内庁から外務省を通じ、現地の大使館や領事館と就職先を検討することになりました」

「宮内庁、大使館や領事館の協議の結果、民間組織ではなく、連邦政府や州の関連施設が望ましいのではないかという話になっているようです」(同)

過去に名前の挙がったメトロポリタン美術館やアメリカ自然史博物館は、政府が運営に関与しているわけではない。

「そういう面もありますし、圭さんの母・佳代さんと元婚約者との金銭トラブルのインパクトは大きいようです。“新たな”トラブルだけは避けなければならないと関係者は肝に銘じて事に臨んでいると聞いています」(同)

😇 「恥かしい。」という感覚が欠落しているのではないか、と疑わざるを得ない小室一家。ICUで培ったグローバルでボーダレスな国際感覚は日本という国には固執しない。加えて「恩義」にも無頓着となれば、国際都市NYで日本国を無自覚に裏切るようなことをしないとも限らない。
民間組織に置くよりは、連邦政府関連、州関連の施設に置いたほうが、まだしも監視ができる?

日韓併合の時代、朝鮮王族男子達は志願して日本軍の上級士官に組み入れられたという。一般日本人以上の待遇で遇するが人質でもあり、内外に日本と韓国の結びつきを見せつけるためでもあった。

アメリカの属国の姫君が連邦政府関連の施設に易々と就職出来るのも似たようなものかもしれない。国民の信頼を失った元皇族眞子さん個人の値打はともかく、天皇の娘、天皇の姉にはその位の値打ちはあるのでしょう。




 皇室どころか日本から遠く離れたとはいえ、しばらくは日本政府と関係のある生活になりそうだ。

😇 しばらく?一生政府との関係は続くのではないでしょうか。
小室には労働意欲が無い、御姫様には生活能力が無い。

22日~28日 ご予定

2021-11-22 12:28:01 | ご予定
宮内庁は22~28日の予定を発表した。天皇陛下と秋篠宮さまは23日、新嘗祭神嘉殿の儀に臨む。
 
天皇、皇后両陛下、愛子さま
11/23(火)
天皇陛下 神嘉殿(新嘗祭神嘉殿の儀)

11/25(木)
天皇陛下 蓮池参集所(賢所勤労奉仕団と面会)

皇嗣家(秋篠宮ご一家)
11/22(月)
秋篠宮さま 赤坂東邸(パラグアイ外務大臣と面会)
佳子さま 赤坂東邸(第4回みどりの「わ」交流のつどい都市の緑三賞表彰式をオンライン視聴)

11/23(火)
秋篠宮さま 神嘉殿(新嘗祭神嘉殿の儀)

11/26(金)
佳子さま 赤坂東邸(日本テニス協会会長らから報告)
秋篠宮さま 宮邸(山階鳥類研究所「所員会議」にオンライン出席)
秋篠宮ご夫妻 赤坂東邸(外務省国際法局長から説明)

高円宮家
11/22(月)
久子さま 宮邸(海上自衛隊海上幕僚長らと面会)

11/25(木)
久子さま 赤坂区民センター(高円宮杯第73回全日本中学校英語弁論大会決勝予選大会)

11/26(金)
久子さま 有楽町よみうりホール(高円宮杯第73回全日本中学校英語弁論大会決勝大会)


😇 新嘗祭 天皇が神様と一緒に食事をする“御直会” には、天皇と皇太子しか参加できない。秋篠宮殿下は皇嗣という名の皇太子です。「いわゆる内廷とは違う」などど仰らずに御自覚遊ばして。

😇 久子さまは、相変わらず活動的。
「高円宮杯全日本中学校弁論大会」

創立に関わったのは高松宮殿下。最初は「高松宮杯」だった。
高松宮殿下が薨去された後、高円宮殿下が名誉総裁を引き継ぎ「高円宮杯」になった。
こういうものは、秩父宮ラグビー場、高松宮賜杯全日本軟式野球大会 、みたいに創立に関わったかたの名を残すものだと思い込んでいたが…。高円宮がちゃっかり乗っ取ったようで、なんだか嫌な感じ。笑。

常陸宮殿下は高松宮妃がされていた「高松宮妃癌研究基金」の 総裁職を喜久子様が亡くなられた後、引き継がれていらっしゃいます。
引き継がれた時、周囲が「これからは殿下が総裁をされるのですから、常陸宮癌研究基金に変えましょう。」と提言したが「このままで良い。」と仰せになったとか。

人間性の差、家風の差、でしょうか。


鷹揚


チャキチャキ


15日~21日 陛下ご動静

2021-11-22 10:48:01 | ご動静
宮内庁が15日に発表した陛下のご予定は

天皇、皇后両陛下、愛子さま
11/17(水)
天皇陛下 御所(外務省総合外交政策局長から説明)

となっていましたが、実際には以下のようにご活動されました。

(17日)
【午前】
陛下 大使6人の認証官任命式(宮殿)
陛下 モルディブ、ケニア、タジキスタン、パナマ、クウェート、コートジボワールの赴任大使が拝謁(宮殿)
【午後】
両陛下 人事異動者が拝謁(御所)
両陛下 岡野正敬・外務省総合外交政策局長から進講お受けに(御所)

(18日)
【午後】
陛下 離任するマレーシアの駐日大使をご引見(御所)

(19日)
【午前】
陛下 堤公長掌典が拝謁《神宮新嘗祭勅使につき》(御所)
【午後】
陛下 ご執務(御所)


ご執務 週一回午後。

*外務省総合外交政策局

外務省総合外交政策局局長のご進講は、ただのお勉強でしょうか。
こっそりと親子三人でイギリスご訪問のご相談?それとも、眞子さんご支援のご報告?。時期が時期だけに気になります。

伊勢神宮への勅使がご挨拶にあがり、新嘗祭の準備も滞りなく進められていることを目出度く拝する。