憂国の花束

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『日刊ゲンダイ』への違和感・・プリテュール ノブル (pourriture noble)腐っている

2021-11-28 21:43:14 | 皇室
😇 皇室2000年。貴腐と腐敗、本質は変わらない。眞子さまは『日刊ゲンダイ』が言うように国民の常識より一歩も二歩も進んでいたのでは無い、腐った高貴から生じた我儘な考えに突き動かされていただけでしょう、と思うが…。

この記事は『週刊ゲンダイ』「眞子さんも…皇室の女性はなぜ叩かれ続けるのか? バッシングの歴史」 の続編だが、前回と同じような違和感を感じる。


「眞子さまの乱」(20年11月)は国民の常識の一歩も二歩も前を行っていた
 2021/11/28 07:18 日刊ゲンダイ
<抜粋>
 眞子さんはなぜ3年近くもバッシングされ続けるのか――。

😇 眞子さんは3年近くもバッシングされていない。
眞子さんに批判的な眼が向けられ始めたのは、2020年11月13日に発表された眞子さんの『お気持ち文書』が発表されたのがきっかけですが、それでもハッキリとした批判にまでには至らなかった。

秋篠宮家を叩くのが目的のような〇〇ちゃんねる系、ヤフコメ、アンチ秋篠宮系では眞子さんもバッシングされていたのかもしれませんが、ニュースサイトで眞子さま批判の記事を見かけたことはありません。ましてネットを離れた一般社会では今も眞子さんは「世間知らずゆえに悪い男にひっかっかた」という評価です。世間も週刊誌も小室と佳代さんを非難しても眞子さんを批判しては来なかった。
眞子さん批判の空気が強まったのは、複雑性PTSDの病名と共に儀式無し、一時金辞退の結婚が公表されて以降、決定的になったのは結婚記者会見、此処1ヶ月程度でしょう。

『週刊ゲンダイ』の記者は、書き込みや読者の数の多さが群を抜く〇〇ちゃんねるや怪しげな皇室系サイトから情報収集していて、眞子さんがずっとバッシングされて来たと思い込んでいるのではないでしょうか。

久々の皇室スキャンダルに世間は驚くと同時に注目したのだが、もしこれが高度経済成長期で起こっていたら、これほど長くバッシングは続かなかったのではないだろうか。

😇 NO!NO!高度成長期はおおよそ1955年(昭和30年)から1973年(昭和48年)。美智子さまを受け入れたとはいえ、昭和天皇の威光は陰ることなく皇室の威厳とルールが保たれていた時代には、小室のような男は内親王に近づけ得かった。高度成長期の皇室には起こりえないスキャンダルです。
それだけに、もし、高度成長期に起こっていたら、今以上に国民は批判したでしょう。会社のため家族のため、24時間働くモーレツ社員が日本の誇りを支えた時代に、小室のような借金を踏み倒してのらくら生きようという男は今以上に軽蔑されたでしょうし、そのような男と結婚する内親王にも、結婚を許した皇室にも失望する人は今以上に多かったのではないでしょうか。

現在が多様な生き方を認めなければいけない時代だからこそ、小室への批判も小室を伴侶に選んだ眞子さんへの批判も、この程度で済んでいるのでしょうね。


問題があったのは小室家であって、小室圭さんには何ら関係がない。

😇 違いますね。小室家に問題はありません。「小室家」というのは単なる箱ですから。

箱の中の佳代さんの言動、圭さんの言動に、二人が親族となれば皇室(という箱)の尊厳をそこなうような問題がありすぎるのです。

もちろん世間も、結婚は個人と個人の意思で結ばれるのだから家とは関係がないと理解しているのだが、結婚は家同士が結ばれることが当たり前だった時代が最近まで続いたせいか、今でも完全に抜けきれないのだろう。小室家と小室圭さんをごっちゃにしてしまったのだ。

😇 『日刊ゲンダイ』の記者は、結婚に反対する者達が佳代さんという個人の言動、圭さんという個人の言動への批判をしているのだということを全く理解していない。
小室家と小室圭さんをごっちゃにしているのは、記者さんではないでしょうか。笑。

かつて週刊誌を読むのは若い世代だったが、今は若くても50代で、中心は60代、70代だ。この人たちにはやっぱり結婚は家の結びつきというイメージが強く残っているから、混同したのも仕方がなかったのかもしれない。

😇 戦後76年。79歳の人でも、物心ついた時は戦後、受けた教育の基本は自由平等思想です。
この世代にもう結婚は「家」と「家」の結婚という考えはないでしょう。
中には「家格」に拘るひともいますが、どちらかといえば少数派ではないでしょうか。

現に週刊誌も眞子さんと小室の結婚問題を「家」と「家」の結婚という観点で書いていたことはありません。『日刊ゲンダイ』の記者は週刊誌を読んでいないのでしょうか。

「皇族は『私』を抑えて『公』を優先するのだから、小室さんのような“いかがわしい男性”と結婚するはずがない」―ー。そのうえ長期にわたって日本を離れ、2人は会う機会も失われた。どう考えても婚約破棄は確実だった。

😐 その通りです。 ”いかがわしい男性”だから反対したのです。

皇族である眞子さんは当然「公」を優先すると思っていたのに、結婚という個人的なことには「私」を優先したのである。 

平成の天皇は国民に寄り添ってきたが、眞子さんはさらに進んで、「私は国民のみなさんと同じです」と宣言したようなものだ。

😱 皇族が「私」を優先することと、小室のような”いかがわしい男性”と結婚することは別問題でしょう。国民は誰でも「好き」だけで結婚していると思われているのなら大間違いです。

小室のような”いかがわしい男性”を好きになった眞子さんから「私は国民のみなさんと同じです。」と言われたら、なんだか嫌な気分になります。
国民の中には眞子さんや小室より、はるかに勤勉で使命感を持って生きていらっしゃる方は男女共に大勢いらっしゃいます。「国民」のレベルを下げないでくださいね。

国民はバカじゃない。このあたりから「皇族も私たちと同じなら、眞子さんが好きな人と結婚したいなら認めてあげるべきじゃないの?」と変化しはじめたのである。

😇 眞子さんが「好き」なら誰でも、小室でも、良いというなら バカでしょ。

内親王としての眞子さんは、決して「私」を優先してきたわけではない。皇族は「公」を優先すべきであっても、そのために「私」を犠牲にすべきではないーーと、ジェンダー平等が重視される時代にあって当たり前のことを言っただけなのだ。

😇 は?「好きな人と結婚したい」という眞子さんの願望が、何故ジェンダー平等につながるのでしょうかー。

「好きな人とずっと一緒にいたい。」という願望は、人間が言葉を持つ以前からあったでしょうし、言葉を持ってからはその願望を当たり前のように言葉にして、今日に至っています。そして、その願いを万人が果たせて来たわけでも無い。

>眞子さんは決して「私」を優先してきたわけではない。

「私」優先で遊びと静養はしても、公務を全くしなかった雅子さまと比べれば、高校時代から公務をしてきた眞子さんは「私」ばかりを優先してきたわけではないともいえるが、「公務をする」と「公を優先する」は同義ではない。
眞子さんが、本当は遊びたいのをぐっと我慢して公務してたのであれば、遊びより「公」を優先したといえなくもない。


こうやって振り返ってみると、眞子さんの皇族らしからぬ強靱な意思のナゾも多少は解けるのである。
😇 前回と今回拝読して思うのですが、記者さんの分析の元となっている事実認識には、情報の少なさから来る誤認があるように見えてしかたありません。
失礼ながら、記事を書くのに過去の出来事についてはネットで検索しただけ、世論は〇〇ちゃんねるから収集。で済ませてませんでしょうか?

”皇族らしからぬ強靱な意志”って…。
「強靱な意志」は、持って生まれた個人の資質ですから、「皇族らしい」も「皇族らしからぬ」も無い。
習得によって得る「皇族らしい考え方、振る舞い」とは別物です。
眞子さんが強靱な意志をお持ちなのは、ナゾでも何でもありません。眞子さんがそういう資質をお持ちだというだけです。
ナゾなのは、何故小室のような男に執着したのか、でしょうね。

眞子さまの場合は、国民の一歩、二歩先を行っているというより、その考え方や振る舞いが、国民が信頼していた皇族の姿ではない、と言うべきだと思います。国民は皇族の良識を信じていただけだったのですが。

高貴なる腐敗という腐敗。