「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「毘沙門堂」(びしゃもんどう)

2007年05月08日 21時41分49秒 | 古都逍遥「京都篇」
 毘沙門堂は、御法山出雲寺と号する天台宗の門跡寺院で、京都御所北の出雲路に大宝3年(703)の創建と伝えられ、延暦年間(782~805)に伝教大師が下出雲路(しもいずもじ)で自ら作った毘沙門天を安置して「下出雲路寺」と名付けが、都人たちが毘沙門堂と呼び信仰したという。

 中世以降、たびかさなる戦乱により荒廃し、天正年間(1573~91)には、織田信長が上洛による戦火で堂宇を全焼。その後、寛文5年(1665)天海大僧正の遺志を受け継いだ弟子の公海堂宇により、旧地より場所を移して再興した。代々法親王が入室し毘沙門堂門跡とされた。

 境内には、宸殿、勅使門、控え書院、弁天堂などが立ち並び、本堂には、伝教大師作の毘沙門天を本尊(一寸四五分=約4.4cm)として祀っている。宸殿内部の障壁画・襖絵は狩野探幽の養子・益信の作といわれ、その筆の巧みに彷彿とさせられ、さらに方丈の杉戸絵に描かれた円山応挙の鯉が生きているかの如くである。また、谷川の水を引いて造った江戸時代初期の回遊式庭園の雄大な池には心字の裏文字をかたちどってある。緩やかな坂道を上り、極楽橋を渡れば、まさに極楽浄土に続くような70段の石段へと導かれる。
 また、鎌倉時代から桜の名所で知られ、歌人、藤原定家も『名月記』に花見に訪れたと記している。寝殿前の毘沙門枝垂れ桜は、江戸時代から受け継がれていて、現在のものは5代目で、高さは10m、樹齢100年を超える巨木である。秋には宸殿裏の晩翠園の紅葉が素晴らしく、参道から山門に至る路に零れた散り紅葉が私の好みだ。平成18年4月、NHKで「古都の桜」として紹介され多くの人が知るところとなった。

 所在地:京都府京都市山科区安朱稲荷山町18。
 交通:京阪京津線・JR琵琶湖線・地下鉄東西線山科駅より北へ徒歩15分、JR東海道本線「山科駅」下車徒歩20分。
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