「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「西寿寺」(さいじゅじ)

2008年09月09日 07時45分30秒 | 古都逍遥「京都篇」
 洛西の西大路通りを金閣寺方向に向かって車を走らせる。西大路通りは高校生の全国マラソン大会などのコースとしても知られている。左大文字を目標にしながら北上し金閣寺の手前のわら天神の交差点を左折し、木辻馬代の交差点を左折して高尾方面へと進み、立命館大学前を経て、石庭で名高い龍安寺、徒然草にも登場する仁和寺を右手に見ながらさらに進むと福王子の交差点に至る。そこを右折すると国道162号線・周山街道を高尾へと通じる。ここから3~4分ほど走っていると総合病院の看板があり、その信号を右折。細い急な上り坂を上りきると黒い鳥居の山門が目に入る。
 幹道からの目印が分かりにくく、すんなりとは当寺の場所を見つけることができず、この界隈をグルグルと探し回って、ようやく見つけた。小寺のわりに駐車場が広く確保されていることに驚いたが、その理由が取材していて分かった。そ理由は最後に紹介する自然葬にあった。京都に詳しい人は、天神川通りを北上し、仁和寺の門前通りから左折し医王子交差点に出ると近い。

 西寿寺は浄土宗の尼寺で、江戸時代初期の寛永4年(1628)、浄土宗の高僧・岱中(たいちゅう)良定上人を開山に念仏三昧道場として創建されたのが始まり。
 本尊は平安末期に円派の仏師によって造られたという阿弥陀如来坐像。万治元年(1658)、近江の新宮大明神社(現甲賀郡甲南町)に祀られていた本地仏を遷座したとされる。身の丈は約3㍍もあり「丈六の弥陀」さまと近隣の人々に親しまれている。

 観光寺院で無いため参拝者は少ないが、境内は美しく清掃されていて、谷間の静かな空間が広がっている。山号の由来は、本堂建築の造成中に太陽と星と月が彫られた三光石が現れ、その下から泉が湧き出したことから清水が湧き出したことから泉谷山と名付けられたとされる。この清水は、日照りが続き旱魃が起きても枯れることなく湧き出していて、今日も手水に使われている。三光石は、現在鎮守社・三光石神社のご神体として大切にお守りしているそうだ。

 本堂の左手にある三重塔は近江(滋賀県)の石塔寺にある阿育王(あしよか)塔を模したものという。
 当寺には現存する水琴窟の中の最高傑作だと言われて水琴窟がある。陰陽一対の水琴窟の音色を聴くことができ、陽は「三光石」、陰は「丈六」と名ずけられ、静寂な山寺で癒しの音色が満喫できる。
 
 水琴窟は基本的には公開されておらず、希望者は往復葉書で希望の日時、住所、電話番号と氏名(人数)を書いて送る必要がある。
 また当寺は、大覚寺や仁和寺のように、TVや映画の時代劇の舞台として利用されているが、とくに「必殺仕事人」など必殺シリーズに多く登場し、「暴れん坊将軍」や「隼人が来る!」「子連れ狼」「水戸黄門」のロケにも度々使われている。

 もう一つ、当寺では自然葬(庭園葬)が行われており、それも一般的な樹木葬とは異なり、遺骨は生前の本人や遺族の希望の場所に埋葬する。埋葬ヶ所に墓石や植樹はせず、目印として“竜の髭”(玉龍)を植えるという。先般6月24日、「新しい葬送」について、筆者とも縁がある第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員が講演を行っていた。

 所在地:京都市右京区鳴滝泉谷町16。
 交通:市バス福王子下車。嵐山電鉄鳴滝下車。 京福電気鉄道北野線鳴滝駅下車か市バスで福王子下車。
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