デザントの朝は、広い部屋にポツンと置かれたベッドから始まる。
目覚めたらまず身支度を整え、朝食を取る。
王妃の部屋に挨拶に行き、本の塔に登って講義を受ける。
軽い昼食を挟んで又講義を受けると、短い休憩の後、湯を浴びて、王妃、デュエールと共に夕食を取る。
王妃は気を遣って、時々話しかけるが、会話は続かない。
デュエールはいつも曖昧な微笑みを浮かべて、二人の様子を見ながら、挨拶をするだけだ。
その後、寝る迄の時間は、一人で過ごす。
今迄とあまりに違っていた。
侍従や侍女達もよそよそしく、デュエールと比べ、失望している様子が垣間見えた。
母もいない。
ダコタもいない。
あそこには、もう帰れないのだ。
自分が後継ぎになってまったから。
その自分がまずしなければならないことは、勉強だ。
デザントは、自分にそう言い聞かせて、毎晩机に向かった。
けれどもなかなか、思うようには進まなかった。
「今日はここまで」
壮年の教師は、僅かに首を曲げて、デザントを見た。
「王太子様。最初に申し上げた通り、今までとはお立場が違います。学ぶべきことも、その量も、全く異なるのです。殿下はまず、その入り口に立たなければならない。焦りは禁物ですが、急ぐことは必要です。今日お教えしたことは、次までにしっかり、身につけてらっしゃるように」
「はい。有難うございました」
俯いたまま立ち上がって教師を見送り、デザントは溜め息をついた。
窓の外を見たが、自分達が遊んだ庭の木は、よく見えない。
身を乗り出そうとして、窓枠に付いた手が滑った。
慌てて体を中に戻す。
そして、壁を背に座り込んだ。
ダコタの姿が見えたとしても、自分はもう、手を振ってはいけないのだ。
又、甘えたくなってしまうから。
第一、自分にその資格は無い。
あの日、自分は振り向かなかったのだから。
デザントは階段を駆け下りた。
庭に飛び出すと、小道を進んで茂みの陰で丸くなる。
精一杯、頑張っているのだ。
それでも出来ない。
どうすれば良いのか分からなかった。
このまま見つからなければいい。
そんな思いと、楽しかった記憶、教師達の冷たい横顔が、頭の中をぐるぐると回る。
暫くそうしていると、目の前に影が落ちた。
「どうしたの?」
デュエールだった。
長かった赤毛は、短く切り揃えられている。
いつもな曖昧な笑みのまま、デザントの左横にしゃがみこんだ。
「なんでもないです」
顔を背けてから、相手の耳が不自由だったことを思い出す。
しぶしぶデュエールの顔を見て、口を大きく動かしながら、同じ言葉を繰り返す。
「何でもないです?」
デュエールの確認に、デザントは頷いた。
「有難う。そんな風に話してくれると少し分かる。でも」
デュエールが首を傾げた。
そうすると、十一歳らしい幼さが目立つ。
「何で泣いているのかが分からない」
「泣いていません」
デザントはとっさに言い返した。
それから口を大きく動かし、もう一度。
「泣いていません」
言葉にしたら、涙が溢れた。
本当はずっと、泣きたかったのだ。
涙が自然に止まるまで、デュエールは横にいた。
「頑張っているのに、勉強が出来なくて」
デザントがポツポツと話し始める。
「出来ない?ご免ね。他は?」
デザントは指で土に書いた。
「皆にも馴染めなくて」
これも後から土に書く。
「ああ、それは僕も悪かった。心細い思いをさせてご免ね。これからは一緒に復習しよう。今みたいに口を大きく動かしたり、書いてもらったり、面倒だとは思うけど。僕も口を読む練習にもなるしね。王妃様はサス国で生まれたから、その国のダンスがお得意なんだ。習うといいよ。かなり動くから僕は無理なんだけど、殿下なら大丈夫」
「デン、でいい」
「え?」
「デン、がいい。デンと呼んで下さい」
「デン?わかった」
デュエールが微笑む。
「じゃあ僕のことは、デュー?」
「兄上、がいいです」
「兄上?」
「はい」
デザントは少し照れながら頷いた。
「じゃあ、そうしよう」
デュエールがデザントの頭に手を置いた。
軽快なリズムに合わせてデザントが回る。
ステップ三回で右に三回転、左にターンして手拍子、すぐに逆回りで繰り返す。
男性がサポートする時は、デザントは手を伸ばすだけで、王妃が一人でポーズを取る。
それでも王妃は楽しそうだった。
「本当にデンは筋が良い。私と背丈が釣り合う時が待ち遠しい」
曲の合間に声を掛けられ、デザントが嬉しそうに笑顔を返す。
デュエールは鈴を片手に、微笑みながら見守っている。
再び曲が始まった。
踊りながら王妃は、思考に沈む。
どうしてデュエールを丈夫に生んであげられなかったのか。
どうして耳を聞こえなくしてしまったのか。
人一倍賢く、王家を繁栄させるという、赤毛に生まれついたのに!。
王妃である私と王との、ただ一人の愛し子なのに!!。
夜通わなくなったのは、王の気遣いだ。
廃太子も、デュエールの体を思ってのことだ。
デザントも第一夫人も、ある意味被害者だ。
だけど!!。
頭の中の、堂々巡りは終わらない。
ーそれでもー
デザントは活発で努力家だ。
デュエールは、穏やかな笑みを浮かべながら、鈴でリズムを取っている。
二人は互いに学び合うことで、次第に仲良くなって来た。
ーこれでいいー
頬を紅潮させ、息を弾ませながら、王妃は思った。
思いは消えない。
けれどもこうして、時間をともにすることで、少しづつ感じ方が変わってくるだろう。
ーこれでいいのだー
王妃は左にくるりと回った。
二人での勉強は、一年ほどで必要がなくなったが、週一回のダンスは、習慣になっていった。
デュエールが十五歳になり、別の棟に移っても、それは続けられた。
「王妃はっ!」
王が丘の上の別荘に、飛び込んで来た。
王妃が雷に驚いて、崖から足を踏み外したのだ。
途中の枯れ木に引っ掛かり、下までは落ちずに済んだが、その枝に太股を裂かれ、出血が止まらなかった。
デュエールと共に、療養に訪れていた時のことだった。
寝台の左側に医師と侍女が、右の枕元にデュエールが立っている。
デュエールが一歩下がって、王が王妃の右手を取った。
「王妃っ」
王妃が薄く目を開けた。
苦しい息の下、途切れ途切れに言う。
「私は、王妃としての、役割を、十分に、果たすことが、出来ません、でした。申し訳、ございません、でした」
「何をいう王妃。私こそ未熟な王であった。許してくれ」
「畏れ、多いことで、ございます」
王の手に、力が加わった。
「王妃。いや、ジャスミン。私は身勝手な夫であった。今だけは、いや、一度くらいは、妻として、不満の一つも聞かせてくれ」
王妃が微かに笑った。
「そう、ですね・・・・。少し、ほんの、すこおし、寂しく、思って、おりまし、た」
言い終えると、静かに目を閉じた。
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